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家畜人ヤプー

2019.06.24 公開 ポスト

#2 空飛ぶ円盤、現る…三島由紀夫を魅了した「戦後最大の奇書」沼正三

ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが……。「戦後最大の奇書」とも称される、沼正三の『家畜人ヤプー』。三島由紀夫、澁澤龍彦ら、そうそうたる小説家が絶賛したこの作品の冒頭部分をお届けします。

*   *   *

クララ・フォン・コトヴィッツ嬢は東独の名家の生れだが、幼いころ、ドイツの敗戦のどさくさで両親・兄弟は死に、姉レナーテとも離れ離れになって天涯孤独の身となった。召使いに助けられて西独にのがれ、豊富な遺産と父の友人の庇護により、無事成人して順調な学生生活を送ってきた。現に女ながら大学馬術部の主将として活躍している一方、天成の美貌とあふれる才気によって「大学の女王」と称ばれる存在でもある。

(写真:iStock.com/Avesun)

そういう女性と婚約して、級友にうらやましがられている日本人留学生・瀬部麟一郎は当年二十三歳。前年T大法学部卒業後、最年少で留学して来た秀才で、かつ柔道の名手である。今は、大学院の博士課程で勉強している。

半年ほど前、与太者数人に襲われたクララを偶然通りかかった麟一郎が男たちを投げとばして救ったことから、二人の間に愛情が成立し、彼の人柄や学問も検討した上で彼女は彼の求婚に応えたのだった。今年四月、彼女が成人になって父の友人の後見を脱した日──ちょうど大学の舞踏会の日だった──二人は婚約指輪を交換して将来を誓い合ったのである。

来春彼の学位取得後クララも連れ立って日本を訪れ、挙式の予定であった。

「ちょっと水を浴びてくるよ」

麟一郎は煙草を捨てて立ち上った。足元にはいつの間にか、彼がクララに贈った犬のタロが来ていた。

「山の水は冷たいわよ」

「大丈夫、なにしろひどい汗でね」

男が立って行く後ろ姿を頼もしそうに見やってクララは、タロの頭をなでながらふとつぶやいた。

「彼は何になるだろうか?」

4 自慰

円盤の中では、ポーリーンが、さっきからロバートのことを考えていた……

──貞操帯をつける前の晩はえらい元気だったわね、ボブ。トンネル・ボーイは殺すし、ボンボンも五つは作ったわ(トンネル・ボーイについては〔第九章3〕、ピデ・ボンボンについては〔第一六章5〕)……もう何日になるかしら? 外してほしいだろうね。あと半月の我慢よ。うんとそのときには乗ってあげるからね(イースでは女上位を正常とする)……

いつか腰の思いが燃え上っている。それを敏感に感じ取って肉足台が身動きした。読心能を持っているのだ(第二章2)。ポーリーンの両足が肉足台の背中の凹みからおろされ、両脚が少し開かれた。その間へ、徐々に這い込んでくるこの肉足台は、舌人形を兼ねているものだった。

それがどんなものか詳しくは次章に譲るとして、その役目と仕事の概略についてはここで述べておきたい。

舌人形(cunnilinger)というのは、独り寝の女性を慰めるのを唯一最高の任務としている一種の生体家具である。独り寝の男にも唇人形(penilinger)というものがあるが、未婚の間はともかく、結婚して「女主人」(イースでは、夫は妻に隷属している。そこで、夫は自分の妻のことを、二人称・三人称いずれの場合にも女主人と称ぶ。ちょうど昔の日本の女性が、夫のことを三人称では「主人」と称んだのに似ている)を持ってしまうと、唇人形の使用はまるで彼女への不満の表明ともいえるので、既婚男性は多少とも後ろめたい気持でしかこれを使おうとせず、それに、ちょうどロバートのように、独り寝になる前に妻から貞操帯をつけさせられると、玉門畜といって顔面に女主人のとそっくりの局部を備えたヤプー(第二九章4)と接する以外には、自慰もままならなくなってしまうことが多いのに反し、女性のほうは、女権文明の当の担い手たる特権として、夫にも面首(男妾)にも接しない夜、舌人形を使うぐらいは当り前にしている。ポーリーンのように、三十歳にもなった既婚女性が独り旅の旅先に舌人形を伴うのは、昔の男性が剃刀を忘れなかったくらい当然なことであった。

生体家具は生きているけれども器物である。舌人形・唇人形は畢竟寝台の備品にすぎない。だから、これを使用する側としては、決して人間を相手にしている気持にならず、単純に自慰の意識しか生じない。未婚の男女が使用しても問題にされないのはそのためである。

長椅子に腰をおろしたままポーリーンは、両腿で舌人形のツルツルの頭部に触れ、細くなっている顔の下半分が内腿に触れ股間部に密着すると左右から締めつけた。と、舌人形の機能が活動を開始した。花芯をせせっていた柔らかい舌先がしだいに太く固くなり、花びらを分けて花筒のひだを擦り上げつつ花奥へと進んでゆく。ほてった肉体はたちまち潤ってきたが、花蜜は厚い唇に吸われて服を汚さない。両腿の締めつけを緩めたり強くしたりすると、男根舌はそれに合わせて伸縮する。

子宮をノックする素晴らしい技巧……

彼女はいつか恍惚状態に陥り、ときどき思い出したように、両腿を締めつけはするが、ほとんど半醒半睡の境を彷徨している……精気煙草が手から落ちた。

壁の下部、仕切扉の向うから、時ならぬ愛犬ニューマの吠え声を聞いて、ポーリーンは、ハッと意識づいた。──墜落感がある。

あわてて横の立体レーダーを見ると、風景はグッと近く、刻々山肌が大きく迫ってきている。

──いけない! 自動操縦装置の故障だわ!

舌人形を蹴飛ばすようにして立ち上り、操縦席に駆け戻ろうとした途端、激突のショックがポーリーンを襲い、彼女は頭を中央の卓の角にぶつけて失神した。

5 UFO

そのとき、麟一郎は渓流を泳ぎ下っていた。突然の異様な轟音に耳をそばだてると、女の悲鳴が小屋の方角から聞えた。

(写真:iStock.com/fergregory)

「クララだ!」

彼は岸に飛び上った。危急の際である。麟一郎は意を決して、素裸のまま、百六十三センチの短軀ながら、柔道で鍛えた隆々とした肉体を、全速力で小屋のほうに駆けらせた。

異様に大きな物体が、さっきまで樵小屋の立っていたあたりの空間を占領して無気味なオレンジ色に輝いていた。クララはその前に、放心したように佇立している。

「クララ!」

「ああ! 麟! こわかったわ……」

思わず抱き合った。右手に乗馬鞭を持った乗馬服の白人女性と、一糸も身にまとわぬ日本人男性の抱擁の図は、なにか不調和ではあった。女のほうは、男に比べ十二、三センチほども背が高かろう。伸び伸びした四肢の持主である。背の低い素裸の男を抱く彼女は、まるで牧野神を愛でるオリンパスの女神のようだった。

「よかったね、無事で……」

長い長い接吻──あとから考えれば、これは彼が対等に彼女と唇を交わし得た最後の機会になったのだが──のあとで、麟一郎は安堵の吐息を漏らした。

「妾も泳ごうと思って小屋を出たの、その途端、一瞬の差でこれが小屋をつぶしてしまったの!」

クララはまだ驚愕の情から覚めてはいない。

「タロは?」

「馬から外して中に置いた鞍ね、その見張りに残したの。──可哀そうなことしたわ。馬はつないであったから仕方ないとしても、犬は妾の供をさせれば助かっていたんだわ」

「仕方ない、君の身代りだよ。……だがいったい、こいつは何だっていうのだろう?」

お互い無事とわかるとそれが問題だった。

「麟、空飛ぶ円盤じゃないかしら──」

──なるほど、そういわれてみれば、評判の「空飛ぶ円盤」いわゆるUFOに相違なかった。平たくつぶしたドーナツに、ピンポン玉をはめ込んだとでも譬えればよかろうか、直径三十メートル、厚さ三メートルほどの完全な円盤体の中央部が、直径十メートルほどの球体にふくれ上っているのだ。オレンジ色に輝く金属で張られた外側の一部分が破損し、内部から柔らかく光が射し、うかがうと機械らしいものが作動しているのが見えた。

麟一郎はだんだん裸が気になってきた。さっきは危急の際だった。彼女が無事だったとわかった以上、恥ずかしさをおぼえる。婚約したとはいっても、まだ肉体関係には至っていない間柄なのである。

思わず赤面し、川縁の脱衣した場所まで一走りしてこようとしたとき、円盤内部の機械の動きが止って突然のように軸が折れ、機械の一部が横倒しになって、その間に、人一人通れるほどの空隙ができた。

クララは、勇敢にもそこへ近づこうとする。

「待て! クララ」、麟一郎は叫んだ。「中に何があるかわからん、危険だ。僕が服を取って来るまで待って、それからにするんだ」

「今見たいのよ」、クララはわざと彼のほうを見ずにいった。好奇心と冒険心の強い女であった。

「また難題をもちかける……」

実際、のっぴきならなかった。──服を取りに行っている間に、彼女の性格からすれば、一人ででも中にはいってしまうだろうことは明らかだった。そんな危険なことはさせられなかった。

「いいよ。このままじゃきまり悪いが、僕が先に立つから──」

二人は、こうして墜落した円盤の中へはいって行ったのだが、麟一郎が裸でいたばっかりに、とんでもない運命が二人のその後のすべてを、根底から変えてしまうことになる。だが、二人がそれを感知するはずはなかった。

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家畜人ヤプー

ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが……。三島由紀夫、澁澤龍彦らが絶賛した「戦後最大の奇書」最終決定版。

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沼正三

1926年、福岡市生まれ。本名、天野哲夫。旧制福岡商業を卒業後、満州特殊鋼鉄株式会社に就職、帰国して海軍に入隊。復員後は、風俗誌にマゾヒズムをテーマにした原稿を投稿する傍ら、数々の職業を遍歴し、1967年、新潮社に入社。同社校閲部に勤務しながら、小説・エッセイを書き続ける。風俗誌「奇譚クラブ」の連載をまとめた『家畜人ヤプー』が戦後最大の奇書として話題となる。2008年死去。

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