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家畜人ヤプー

2019.06.25 公開 ポスト

#3 二千年後の世界から…三島由紀夫を魅了した「戦後最大の奇書」沼正三

ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが……。「戦後最大の奇書」とも称される、沼正三の『家畜人ヤプー』。三島由紀夫、澁澤龍彦ら、そうそうたる小説家が絶賛したこの作品の冒頭部分をお届けします。

*   *   *

1 美女と侏儒

こわれた機械室の扉口から回廊に出て間もなく、二人は中央部につながる廊下を発見した。照明装置は見当らないのに一面に明るい昼光が満ちていたのは、電子発光による面光源を用いているためであろう。絨毯こそ敷かれてなかったが、床の表面はゴムのように弾力に富み、麟一郎の素足に金属特有のあの冷たい感触がないのは、どんな材質によるのであろうか。中央室との仕切扉は自動装置らしく、二人が近づくとひとりでに開いた。

(写真:iStock.com/Surovtseva)

畳が八つほどはいる円形の天井の一室が目にはいった。部屋の中央部に箱庭のような工作物を載せた円卓があり、その一隅に計器類をおびただしく置いたのは操縦席であろうか、しかし人影はなかった。

扉口から一歩踏み込むと、隣室からか獣の唸り声のようなものが聞えた。見回すと右手の壁面に沿って丸く豪奢な長椅子がしつらえてあり、その前の床に女が倒れていた。ほとんど露出した下半身の豊満な太腿に始まり、格好のよい踝に終る脚線の見事さがまず麟一郎の目を射た。

はせ寄って彼は、さらに胆を奪われた。素晴らしい美人なのだ。年のころは二十五、六か、背はクララと同じくらいであろう。羽織っていたらしい紫色に光る不思議な毛皮のケープが脱げて、海水着のような、乳房から腿の付根までを包むだけの簡単着しか身についていなかった。右腕が横に開いて腋の下に金色の腋毛が見える。玉貝のような透き通った簡単着の下に血色のいい薄桃色の肌、隆起した胸、締まった腰と豊満な臀とを連ねる成熟した女体の曲線、それらがじかに麟一郎の目を挑発するのだった。房々した金髪を床上に乱して双眼は閉じたまま、細く濃い眉の気品、真っ白な歯がのぞく口元の薄い唇のコケトリー、格好のよい鼻と耳、……その衣裳に感じられた異国風な味にもかかわらず、彼女はまさしく北欧系金髪女の最高級の標本に違いなかった。一見外傷はなく、呼吸もすっかり止ってはいない。墜落の時の衝撃による気絶であろう。麟一郎は女の頭のわきに両膝ついて坐り、上半身を抱き起した。するとえもいえぬ芳香が彼の鼻のあたりに漂ってきた。

抱き上げた途端、二人は思わず叫んだ。ケープの下になっていて、それまでは見えなかったのだが、女の体の下にちょうどクッションのように横たわっていたものが現われてきたのである。

人間だった──そんな奇形侏儒でも、人間といえるならば、である。身長は九十センチほどで素裸、切断されたペニスのあと、胴体は短いが肉付きはよい。両脚とも足首から先がなく、端が擂粉木のようになって、手指には爪もない。そして奇妙なことに、長椅子の下から一見電機具コードを思わせる肉質の紐が出て床を這い、彼の肛門の中に挿入されている。しかも頭部が極端な逆三角形で、子供並の頭蓋に顔の下半分がさらに細く、まるで左右から搾木で圧縮したようで、その上耳殻がなくて耳の穴があるだけ、鼻も削いだように欠けて穴が二つあるだけ、目は開いてはいたが、瞳は濁って視力の乏しいことがそれでわかった。頭髪はもとより、睫毛、眉毛、髭の一本すらもない。やはり気絶して口をだらしなく開いていたが、見ると歯が全部抜けている。なお奥に見える舌は大きく、それに普通人のように平らではなく筒状で、何がしかペニスを連想させる……見れば見るほど醜怪な奇形であった。肌は黄色く、女の下半身のまばゆいばかりの純白に比べるとうす汚れてみえた。

対照が極端すぎるので、応急手当をどちらに施すかについては、麟一郎は何の迷いも感じなかった。侏儒よりも女のほうを先に回復させるべきであった。

「ブランデーか何かあるといいのにね」クララがいった。

その時隣室から、また獣の唸り声が聞えてきた。犬であろうか、壁に体をぶつける音もいっしょに聞えた。

「早いとこ、荒療治をやるぞ」

麟一郎は左手で女を抱えたまま、右手の裏表で女の左右の頬を連打した。クララは立ったまま覗き込んでいる。やがて頬に赤みがさしてきて、女は不意にパチリと目を開け、麟一郎とクララの顔を交互に見た。

頬に痛みを覚えるとともにポーリーンは正気づいた。上から二つの顔が見守っていた。白い人間の顔と黄色いヤプーの顔だった。

──若い令嬢風の美人が若い雄ヤプーを連れている……

彼女はとんでもない錯覚に陥って、出発面たる三九七〇号台球面に、すなわち地球紀元三九七〇年の空間に帰着し、その球面上のどこかに墜落したところを、その辺の別荘の令嬢に救われたのだと思い込んでしまった。オナニーにふけっていて時間を忘れていたためもあるが、おもな理由はクララの服装と麟一郎の裸体とにあった。

(写真:iStock.com/dima_sidelnikov)

前史時代、すなわち人類がまだ宇宙を知らず地球表面だけに文明を営んでいたころには、女が男に隷属し、その象徴としてスカートを穿いていたのだ、とポーリーンは歴史の課業で学んだし、航時遊歩で見物したこともある。本式に古代風俗を研究したわけでもない彼女が、自分たちの穿く乗馬ズボンや長靴は前史時代の女にはまったく無関係なものと考えていたのも無理はなかった。だから乗馬服装で手に鞭を握ったクララを見て、同時代人だと錯覚したのだ。

もちろんその服地がひどく粗末なことは多少不審に思えたが、本国星にいるのでなく、地球別荘に来ているという意識が、深くは彼女を怪しませなかった。人類発祥の故地「地球」は、宇宙帝国イースにとって単なる一惑星以上のものだが、それにしても、シリウス圏の中心本国星からすれば、地球は田舎なのだ。流行おくれもあろう。何といっても、上着が黒、ズボンが白という服装は騎手として正式なものである。それに女はヤプーを連れているではないか。

前史時代に旧ヤプーが人類と並んで──いや、人類を僭称して──ヤプン諸島において国家を形成し、人間並の衣食住生活を営んでいたばかりか人間国家と戦争を試みるほど発達していたこと、『テラ・ノヴァ女王国』による地球再占領後も、原ヤプーの供給源として、人間意識を備えた土着ヤプーの繁殖をはかるために、そのヤプーたちの国家『邪蛮』がヤプン諸島において形式的に存続を許され、傘状の閉鎖空間の中で、公式には「土着畜人飼育地域」として畜人省土着畜人局畜政課の保護育成に付託せられ、そこにジャップ(邪蛮国のヤプー、Jaban+yapooJap)たちが住んでいること……、これらは小学校の理科の課業で“人間以外にも社会生活を営む動物がある”という例として学ぶことで、イースの人間にとっては公知の事実だ。成人して後には何度か狩猟にも行き現物を知ったが、初めて教えられた時は、服を着たヤプーなんてどうしても想像できず、教材の立体映画で土着ヤプーの生活ぶりを見てやっと納得したものだった。……今目の前にいる黄色い顔の持主は裸なのだ。それは前史時代には存在しなかったはずのヤプー風俗だったから、彼女が原球面に帰着したと思い込んだのも無理はなかった。もっともこのヤプーは、未加工の原ヤプー(raw yapoo)であるのに首輪をしていなかった。「原畜人飼養令」の規定があるので、本国星ではそんなことは決して許されないはずだが、ここ地球では特別なのかも知れないという推測がふと働いて、彼女には気にならなかったのだ。

ともあれ、この錯覚に陥ったポーリーンは、実は地球紀元一九六×年の空間に自分がいるなどとは夢にも考えなかった。心配そうに覗き込んでいるクララの顔に、にっこり笑いかけながら礼を述べた。

「お救けいただいて、どうもありがとう」

言葉は英語である。何か妙な訛はあるが英語である。人類の宇宙征服はアングロ・サクソン族によって達成されたから、英語が宇宙帝国『イース』の共通語になった。長い歴史の間に変遷はしていたが、貴族階級はできるだけ昔の発音と表現を重んじ、維持してきた。だから、クララと麟一郎が聞いたのも、訛があるという程度で充分理解できる英語だった。若い女性らしいさわやかな声である。思わず二人で顔を見合わせたが、

「いかが、ご気分は?」、クララが流暢な英語で訊いた。麟一郎も一応の英会話をこなすが、話すほうはクララのようにはいかない。

「ええ、もうすっかりいいわ」

ポーリーンは、麟一郎の腕からするりと身をよじって抜け出し、立ち上りながらケープを羽織りつつ答えた。麟一郎はその敏捷な挙動に啞然としながら、今さらのように自分の素裸を自覚して赤面した。円盤の中でまで美人に会うとは!

──ああ、服を着てくればよかった……

「でも吃驚したわ、今日は。四世紀まで遊航したんだけど、帰りはぐっすり寝込んでいて……」、オナニーに耽っていたとはいえず取りつくろってしゃべったが、頭にパンツもしない(第五章3)舌人形を見つけられた以上、相手は推測しているかも知れないと思うと、ポーリーンは恥ずかしさに赤くなって早口にいい続けた。「……自動装置が故障したらしいの、落ちる感じがして、アッと思った瞬間、ドシーンと来て、あとは覚えがないわ」

──舌人形の奴、技巧家過ぎる。お陰でとんだ醜態を演じたわ。ジャンセン侯爵若夫人が航時遊歩中オナニーにウツツを抜かして墜落したなんて評判されないかしら……

思わずいらいらしたポーリーンは、内心の憤懣をそのまま足の動きに表わして、仰向けに気絶したままの肉足台の福助頭を、サンダルを履いた足で強く蹴りつけた。麟一郎は、女の動作の活発さと蹴り方の邪慳さに驚いた。

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家畜人ヤプー

ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが……。三島由紀夫、澁澤龍彦らが絶賛した「戦後最大の奇書」最終決定版。

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沼正三

1926年、福岡市生まれ。本名、天野哲夫。旧制福岡商業を卒業後、満州特殊鋼鉄株式会社に就職、帰国して海軍に入隊。復員後は、風俗誌にマゾヒズムをテーマにした原稿を投稿する傍ら、数々の職業を遍歴し、1967年、新潮社に入社。同社校閲部に勤務しながら、小説・エッセイを書き続ける。風俗誌「奇譚クラブ」の連載をまとめた『家畜人ヤプー』が戦後最大の奇書として話題となる。2008年死去。

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