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家畜人ヤプー

2019.06.26 公開 ポスト

#4 家畜になった日本人…三島由紀夫を魅了した「戦後最大の奇書」沼正三

ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが……。「戦後最大の奇書」とも称される、沼正三の『家畜人ヤプー』。三島由紀夫、澁澤龍彦ら、そうそうたる小説家が絶賛したこの作品の冒頭部分をお届けします。

*   *   *

2 読心家具

舌人形は、蹴られて意識が回復した。読心神経中枢に主人の激しい怒りをピンピン感じた彼は、腹這いになり四肢を縮めて恐縮の態だった。露出した背中に、人の足型の凹みが二つ見える。

(写真:iStock.com/Sergei-Q)

ここで、この舌人形の持つ読心能について説明しておかねばならない。読心家具が初めて作られたのは地球紀元換算三〇世紀のことで、二〇世紀世界の読者には説明なしでは何のことかわからないであろう。

読心家具は生体家具といわれるものの一種である。生体家具とは、ヤプーの肉体をそのまま材料にして家具にしたものであるが、これを可能にしたのは、畜体循環装置の発明であった。後に説明するように(第六章2)、一般のヤプーはすべて体内に天馬吸餌回虫なる腸虫を寄生させ、その消化力を借りて最下等の汚物から成る畜餌乳液を自己の栄養分に化してしまうのであるが、この場合、定時的な給餌が必要である。一般ヤプーは自分で摂餌行為をするからそれでよいが、個体性・移動性を奪って家具化したヤプーには使用者側から給餌して回らねばならないことになる。その煩を除こうというのが畜体循環の思想であった。ヤプーの体は、本来人体と同じで、その栄養は小腸皺襞からの吸収によってまかなわれる。そこで、体外から管を入れて小腸の先端につなぎ、腸虫により消化吸収できるよう組成を変化させた畜餌乳液を注いでやる。吸収済みになった廃液は、小腸末端のあたりで別につないだ管によって外に導く。さらにこの出管には、膀胱からの輸尿管も開孔させ、いっしょにして排出させる。これによってその肉体は、摂餌・排泄の両作業の要がなくなり、口腔や舌や胃等を本来の用途から転じて別の作業に使用しうるに至る。

この二つの、つまり入管と出管とを一つにまとめて電機具コードのような体裁にしたのを、装着するのに肛門から挿入して接続させる。これをこうして装着されたヤプーは、そのコードにつながれてのみ生存しうる生体家具としての使用に耐え、衣食住の労なく室内に置かれて主人の使役を待つ身となるのである。

生体家具は移動性がない──電機具のように、コードを別のコンセントに差し替える、といった方法での移動は可能であるが、独立の移動能力はコードの長さに限定されている──が、個体意識は必ずしも失われているわけではない。それをさらに一歩進めて、心身共に個体性を奪ってしまったものが読心家具である。あとで説明するように(第二四章3)、個体として独立している原ヤプー、たとえば従畜を読心能化するのはなかなか面倒なのであるが、生体家具の場合には、常時畜体を循環する乳液があるので仕事はしやすい。ちなみに、家具化・材料化されずに個体性・移動能力を持っている畜人系動物(原ヤプーも含めて)を個畜といい、これをさらに、労役を主とする役畜(運搬畜など)と主人の身辺の雑務に侍らせる従畜(畜人犬など)に分つのである。個畜と家具との中間形態として生体利用家具(肉椅子など)というのもある。従畜をpantieと称ぶのは、S・マックレーンの『語源考証』によれば、身辺に内密の用を足させる点でpantyに似ているからである。

もっとも、こういう生体家具コードは、四次元操作を施されているから、普通なら人間の視覚には映らないものである。それが円盤の墜落で装置が故障したため目に見えるのである。

特定人の肉体から採られた液体──血液・淋巴液、何でもよいのだが、普通は尿が用いられる──を物質複製機にかけ、その同質の液体を定常的に生産補給しつつ乳液に混ぜてやる。常時液体を小腸から吸収させるとともに、大脳の一定部位──視床後部の局所──に脳波感応増進薬テレポルモン(telepormone〈telepathy+hormone〉)を注射すると、IQ(知能指数)の高いヤプーなら、その部位に、他人の思考を脳波として受信し得る神経中枢を生じる。

そこへ、小腸から吸収されて後血液にはいった特定人の体液が作用すると、その特定人の脳波だけを受信するようになる。この読心能を維持するためには、その液を常時乳液に混ぜていなければならないが、複製機があるから、人体からの採取は一度で足りる。

読心能化した家具の自意識は消滅する。潜在的な記憶を残すことはできるが、少なくとも主体性ある思考作用は不可能になり、肉体のみならず、精神的にも個体性は失われ、その特定人の四肢の延長そのものに化してしまうのだ。そして、一度その特定人のための読心能を付与されると、これを消去したり、改めて他の人のために読心能化したりすることは、イースの脳波科学をもってしても不可能である。完全にその特定人の精神に従属し、その死とともに死ぬ──いや、その肉体はべつに死にはしないのだが、痴呆化してしまって他の人間のためには用をなさぬから、殉死処分(従物廃棄)されてしまう。これが読心家具というものだ。

(写真:iStock.com/iLexx)

読心能化が可能なためのIQは一五〇以上とされている。ヤプーの旧学者・教授たちの血統を交配してIQの高い原ヤプーが繁殖生産され、血統書付きで読心家具用に市場で特別に売られるのはそのためである。

しかし、だからといって、誰でもが読心家具を使えるわけではない。それは貴族だけである。法律上においても〈原畜人加工取締法〉で平民には使用が禁止されているが、それ以上に、第一、生理的にそもそも使用不可能なのである。脳波科学の進歩していなかった二〇世紀人にはわからないことかもしれないが、つまり人間の思惟形態はそれぞれ固有の脳波型を持っていて、たとえば憤怒波、愛情波、命令波等々が区別できるのであるが、このうちで、命令波というのが読心家具使用に密接な関係があるのである。即ち、OQ(命令波指数)一〇〇以下の脳波では、いくら鋭敏な読心家具も動かせない。ところが、この一〇〇以上のOQは、貴族でないと持ち合せてはいない。貴族だけが遺伝的にOQが高いのである。厳密にいうと、突然変異などの理由で例外も生じるが、『帝国貴族典範』により、OQの低い貴族子弟は平民に落されるし、逆に平民の子弟でも、OQが一〇〇以上であれば、他の諸条件を審査されたうえで下級貴族に叙せられる可能性がある。つまり、強い命令脳波ということがイースの貴族たる資格の一つになっているのである。これが世襲身分制に支えられたイース貴族階級の生理的・生物学的保障になってもいる。

生きた器物に囲まれて、自身は指一本動かさず、心に思うだけで一切の用事が片づいていく快適な生活は、有史以来、イース貴族のみがその享受を実現し得たのであった。

さて、この舌人形はこういう読心家具の一つだが、これはなお特に、ポーリーンがジャンセン家専属(イースでは、貴族に対する荘園経済と平民に対する市場経済とが奇妙に混り合っている。しかし、特に大貴族の場合には、ほとんどあらゆる品に自家専用の工場を持っている)の家具工場に特別注文して作られた別誂えのものだった。受胎告知者の知らせで(第二八章1)彼女の妊娠がわかり、さっそく地球別荘行きを決心したのだから、まだ一月余りしかたっていない。

「肉足台兼用の舌人形を作ってほしいの」。貴族であるポーリーンは、貴族仲間に対するときとは違って、平民であり使用人である工場長に対しては、自分の使う舌人形のことを話すのに何の羞恥感もなかった。「旅行用だから小型にして、でも性能は並以上に。できる?」

「畏まりました。舌長を前のと同じにしておきます。たしか若奥様のは……」と手帳を調べながら、「全長二十五センチ、唇外長十九センチにすればよろしいので」

「今使ってるのは顎が張ってるけど、今度のはもう少し削って。旅先で腰掛けてて使うことが多いと思うから、あまり開股角度の大きいのは困るわ」

「ごもっとも、削ります」

「それと、妾はjuiceが多いほうだから……」

平民相手の羞恥心の無さから、こんなことまで平気で口にするのだ。

「存じあげております。例のような唇の細工に、並のよりはスポンジをふやしておきましょう」

「読心能をつけておいてね」

「畏まりました。で、ご出発は?」

「二週間くらい先よ」

「畏まりました。では、さっそく一匹お選びいただきまして……」

「原畜舎に行って、お前がまず十二匹ぐらい下選びしてよ。その立体型録を見て妾が決めるわ」

工場長にしてみれば、二週間というのはずいぶん短い期間だった。染色体手術の技法が発達しているので、授精前の精子と卵子に核酸のバイオテク加工して、注文どおりの肉体で生れて来るように按配することはむずかしくないのだが、それには最低一年はかかる。早急にといわれれば原ヤプーへの整形外科加工しかないのである。

彼が選んだ候補畜の中から、ポーリーンがその一匹を選び出したときまでは、今彼女の足元にうずくまるこの奇形侏儒は、立派な肉体とIQ一七四という優秀な頭脳を持った原ヤプーだったのだ。血統書によれば、先祖には邪蛮国の大学教授が何人もいた。ジャンセン一族への信仰心もトップクラスの数値だった。

「これにするわ、丈夫そうだし、血統もいいから……」

「畏まりました。十日間お待ち下さいませ」

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家畜人ヤプー

ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが……。三島由紀夫、澁澤龍彦らが絶賛した「戦後最大の奇書」最終決定版。

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沼正三

1926年、福岡市生まれ。本名、天野哲夫。旧制福岡商業を卒業後、満州特殊鋼鉄株式会社に就職、帰国して海軍に入隊。復員後は、風俗誌にマゾヒズムをテーマにした原稿を投稿する傍ら、数々の職業を遍歴し、1967年、新潮社に入社。同社校閲部に勤務しながら、小説・エッセイを書き続ける。風俗誌「奇譚クラブ」の連載をまとめた『家畜人ヤプー』が戦後最大の奇書として話題となる。2008年死去。

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