長生きして逝った犬や猫と飼い主が過ごした日々と、訪れる別れを綴ったエッセイ『楽しかったね、ありがとう』刊行を記念して、試し読みをお届けします。最後には、豆柴センパイと捨て猫コウハイのミニ対談つき。
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長くともに暮らしたペットの最期を看取れたか否かは、その後の気持ちを大きく左右するのかもしれない。
「うちのジャムのこと、家族3人で送れたことは本当によかったと思っています」
そう話すのは、手芸家の石川ゆみさん。ジャムは2013年に22歳で亡くなった。
「最期は家族みんなで大合唱でしたよ、ジャムー! ありがとー! ジャム──! って」
ジャムは、ゆみさんがアパレル会社に勤めていた20代前半の頃、同僚の家で生まれた。母猫はチンチラのミックス。「仔猫が生まれたから、見に来ない?」そう誘われて友人3人で見に行った。どうぶつと暮らした記憶はないが(ずっと昔、青森の実家には犬がいたらしい)、子どもの頃から猫が好きだった。生まれたての仔猫が5匹、かたまりになってうねうねと動くのを見て、瞬時に「あ、この子!」とグレーの1匹に目をつけた。同行した友人は「私はこっち!」と茶色を指差し、もうひとりは黒猫。それぞれ里親になると即決。
軽い気持ちで見に行った。運命の出会いをするなんて、そんな予感もなかったのに……。これが「縁とタイミング」というやつか。
とにかくかわいかった。顔も姿かたちもひと目見たときに「かわいいっ!」と気に入り、それから22年間。「ずっとずーっと、本当にかわいかったです」そう言いながらゆみさんは写真を見せてくれた。「たしかにかわいい」と私も大きく頷いた。短毛でも長毛でもない、その中間くらいの被毛で薄グレー色。ふわふわっとして、まるでぬいぐるみ。骨格はどちらかといえば華奢。丸顔にくりっとした目、正面から見るとふくろうの赤ちゃんにも似たような。
後日、自転車に乗って引き取りに行き、仔猫を連れて帰ったゆみさん。ジャムという名前は、当時、好きだったバンド名から。8~9週間くらいは母猫と過ごすのがいいらしいが、その頃はそんなことを知らず、ジャムは生後1ヶ月くらいでゆみさんと暮らすようになった。元気で無邪気で遊ぶのが大好きだった。物陰に隠れていて「わっ!」と飛び出してゆみさんを驚かせたり。陽気でおちゃめな仔猫との日々は、毎日が本当に楽しいことばかり。
その後、ゆみさんは結婚。そして母となった。ジャムに見守られること22年、引っ越しは4回。
環境が変わっても、自分なりのペースで暮らしに慣れたジャム。ゆみさんに女の子が生まれたときは、赤ちゃんには近寄ろうとはせずにずっと同じ場所にいた。それは部屋の隅の服の上。「ここ、フェルトが敷いてあったっけ?」というくらい、周囲はジャムの毛でいっぱいになった。長時間座ってじっとしていて、娘が眠るとリビングに出て来る。それがジャムなりの安全な距離の取り方だった。
陽気な反面、人見知りなところがあったジャム。それも普通とはちょっと違う感じの。人見知りな猫は「知らない人が来るとクローゼットに隠れて姿すら見せない」というように、気配まで消してしまうものだけれど、ジャムは、お客さんが来ると、棚の上に陣取り、上から人間を睨みつける。目が合うと「シャー!」と大迫力。
娘の友だちが来ても「シャー! シャー!」と全力で強気。「あんたは誰だい? なんでうちに来たんだ」と、常に戦闘態勢で迫る。お客さんたちも「あー、怖い、怖い」。誰が何度来ても慣れなかった。実は、長年一緒に暮らしている家族にも、心を許していない感じでもあった。ジャムは人見知りというより、人嫌い? もしかしたら「ゆみさん以外の人はみんな嫌い」な猫。
遊ぶことが大好きだった陽気なジャムは、気が強くプライドの高い猫に成長。唯一、気を許す存在はゆみさん。しかし、ゆみさんにも抱っこされるのは気が向いたときだけ。ブラッシングもなかなかできなかった。だから、「動物病院に連れて行くのもひと苦労」。不妊手術後に太り、肝臓を悪くしたり、被毛が溜まって腸閉塞になったりもしたけれど、食事をカリカリのみにして、ウエイトコントロールに成功した5歳頃からは、健康状態も落ちつき、病院通いをすることもなくなった。
15歳のときに、爪が伸びすぎて肉球に食い込んでしまったことがあり(長い間、爪切りもさせてくれなかったゆえ)、そのときの通院も大変だったものの、それ以外は強気高気圧ガール。マイペースの1日、1日。
10代後半になると、知り合いの同世代の猫が亡くなったという話も聞こえてくるようになった。ゆみさん自身も年齢を重ね、生まれた娘もどんどん成長しているのに、なぜかジャムだけが昔のまま。ときが止まったかのように。かわいくて、気が強くて、いつも上から目線。
「死んでしまうそのときがいつか、と思うこともありましたが、先走って想像して悲しくなっても意味がない」し、不確定な将来をあれこれ思い悩むのもナンセンス。ゆみさんは「ジャムはこのままずっと死なずに生きてるのかも」と、軽く思うことにしていた。
しかし、ジャムが20歳を過ぎた頃、夜鳴きをするようになった。深夜2時くらいから、アオ~ン、アオ~ンと、全力で鳴き、それはそれは、とても大きな声だった。そして部屋の中をぐるぐる歩く。「これが徘徊というやつか、いよいよ来たな」と身構えた。目もあまり見えていなかったのか、あちこちにぶつかりながら、歩いて、鳴いて。鳴いては歩く。
「ご近所から苦情が来たらと、気が気ではなくて。仕方がないなぁ、どうしたものかなぁと思いながらも、なまぬるく見守るしかなかったんです」
そしてあるとき、「そういえば、最近鳴いてないよね?」と気がついた。夜鳴きは1年半くらい続いて止んだ。その頃には、さすがにおだやかな猫となり、娘もジャムを(少しは)抱けるようになった。
「でも、あまり触らせてくれないのは相変わらずで、だからいつも目ヤニをたんまり付けて」
幕引きは急に来た。ある日、いつものトイレに入っておしっこをしたジャム。足はトイレに入ってはいるもののおしりははみ出していて、おしっこは床に溜まった。いつもならトイレに入り、くるりと1回転。向きを変えてから砂の上で用を足していたのに。「これはまずい!」繰り返される前にと、急いで紙パンツをはかせた。しかし、紙パンツをはかせたら、ジャムは「は!」となって途端に動かなくなってしまった。もう手すら動かさない。瞬きくらいはしていたかどうか。ごはんも食べないし水も飲もうとしない。なんだかすべてを拒否して、「生きるのやめました」という顔つきで、ジャムは宙を見つめてただじーっとしてるだけ。ジャムは命がけで紙パンツを拒否した。仕方がない。そこで「もう、なるようになれ!」と紙パンツを脱がせ、「おしっこでもなんでも、自由にしていいよ」。
しかし、その2日後、ジャムはあっけなく息を止めた。予感はなんとなくあって、その日は休日だったこともあり、ずっと家族で見守っていた。
亡くなったのは夜でした。その瞬間、あ、死んだ、って思ったんですが、あまりに静かであっけなかったので、あれ、今死んだ? 死んでる? うん、死んだ、よね……みたいな。みんなで確認し合ったりして、ちょっと間抜けな空気になりました。それくらい、さりげなく逝きました」
22年の最期って、案外そんなものなのか。気高いジャムは、紙パンツが耐えられなかった。「こんなのはくくらいなら、あたし、死ぬわ!」と自分で決めた。最期まで強気なジャム。もちろん、それだけではなく、身体の衰弱も進んではいたけれど。
「もう会えない」と思うとすごく寂しいが、悲しくはなかった。ジャムも“生ききった!”という感じで、なんの未練もない顔で逝き、ゆみさんも「22年もありがとう!」という気持ちでいっぱいだったから。寂しくもすっきりした気分で「悔いなし!」。ジャムの亡骸は1・5キロ。両手に乗るくらいの大きさだった。
「そういえば、ジャムと同胎の茶色い仔猫を引き取った友人の話なんですけど」とゆみさんは切り出した。
「あのときの茶色い子は、ジャムより2年長く、なんと24年も生きたんですよ」
近所のスーパーかコンビニかに買い物に行き、戻って来たら、息絶えていたのだそうだ。なんていうこと。そんなことがあるなんて……。その最期の瞬間を見届けられなかったことで、友人は愛猫の死をなかなか受け入れられず、ペットロスになった、と。
「彼女は猫がいないことに耐えられなくて、またすぐ新しい猫を迎えました」
新しい猫に死んだ子を重ねたかったのかもしれない。
「私は、ジャムにはやりきった気持ちしかないから、猫を積極的に迎える心境になれないというか。何かのタイミングで、また私のもとに来るべき猫がどこかにいるんじゃないかとは思ってはいるのですけど」
心の準備はしてるけれど、まだそのときではないようだ。
出会いも突然だったけれど、別れもまた、あっけなかったジャム。
「猫の22歳は、人間では110歳ですからね。すごいことですよ」と知人に言われ、ゆみさんはしみじみとときの流れを噛みしめた。生後1ヶ月から亡くなるまでのジャムの22年間を全部見ている。20代前半だった自分がジャムと出会い、それから間もなく家族ができて、気がつけば、今では娘も高校生。そして自分も手芸作家になっている。あの頃から、道はずっとつながっていた。思いもよらなかった今を生きている。(おしまい)
センパイ(以下、セ)「すごいなぁ、ジャム先輩。生まれたときから22歳で亡くなるまで、ずっとかわいいって、すばらしいことだと思う」
コウハイ(以下、コ)「だニャ~。“かわいくて強気”って、ボクからしたらちょっとドキドキしちゃうよ」
セ「紙パンツを穿かせたら“生きるのやめました”って感じになった、って書いてあったけど、そのへんの強さもかっこいい。憧れちゃうな~」
コ「飼い主のゆみさんが“ずっとかわいかったです”ってコメントしてたけど、そんなふうに言ってもらえたら、猫としてもうれしいと思うニャ。ボクもそう言われたい」
セ「コウちゃんは実力以上にかわいい、かわいいって言われてると思うわよ」
コ「あら、手きびしい……」
セ「ジャムさんは22年も自分の生き方を貫いて、ゆみさんもご家族もしっかり見送って、しあわせなかたちだったと思うわ」
コ「姿を見ることができなくなって、とてもさびしいけれど、しっかりお別れができたから悲しみが残らないのかちら」
セ「うん。それもあるけど、やっぱりゆみさんとジャムは、依存しないでお互いを認め合う関係だったからかもね」
コ「ねえたん、相変わらずむずかしいこと言うニャ! 」
楽しかったね、ありがとう
「寂しいけれど、悲しくはない」「綱渡りのような日々も愛おしい」「あえてさよならは言わずに」「お疲れさま、ありがとう」「先に行って、散歩しながら待ってて」
15歳の犬から25歳の猫まで、長生きして逝った動物たちと飼い主の日々。見送ったあとに、飼い主たちの心に残った想い。自らも14歳の柴犬・センパイと9歳の保護猫・コウハイと暮らす著者が綴る、犬と猫と人の、すばらしい物語。
犬や猫は人間の何倍もの速さで「生」を駆け抜けていきます。私たちにとって変わりばえのしない今日であっても、動物たちと過ごせる瞬間がいかに貴重で、今を精一杯いつくしむことがどれだけ大切か……。(はじめにより)