長生きして逝った犬や猫と飼い主が過ごした日々と、訪れる別れを綴ったエッセイ『楽しかったね、ありがとう』刊行を記念して、試し読みをお届けします。最後には、豆柴センパイと捨て猫コウハイのミニ対談つき。
ジャックラッセルテリアのチャムを半年ほど前に亡くした井出綾さん。15歳と3ヶ月だった。フラワーアレンジメントの仕事をし、2人の男の子を育てた母でもある。かごやフラワーベースに花を生けるとき、心に留めているのは「花は野にあるように」。華美ではなく可憐、芯があり素朴さを感じるアレンジや花束は、綾さんの人柄そのままだ。
「チャムは加齢とともに弱ってきてはいたけれど、さよならするのはまだもう少し先のような気がしていた」と綾さん。
「ワンダーが17歳と6ヶ月まで生きたので、チャムもそれくらいまでは、と、思っていました。もちろん享年15歳も立派なのですが」
ワンダーは、先住の犬でジャックラッセルテリアのオス。ジャックラッセルテリアとの暮らしはのべ20年にもなった。ワンダーが亡くなって、チャムがひとりっ子(?)を謳歌したのは1年ほど。「この時期がもっと長ければよかったのに」と、今でも残念に思う。
幼い頃から、兵庫の実家では犬を飼っていた。コリー、ヨークシャーテリア、マルチーズ、昭和の人気犬種ベスト3というような並びだけれど、「なんだか犬運はよくて」、どの犬も貰ったり、拾ったり。犬好きは遺伝するのか、長男が小学生になると、犬を飼いたいと懇願するようになった。「飼うならば、子どもたちと一緒に遊んでくれそうな。そして、住宅事情を考えると大型犬は無理で……」と時間をかけて何度も家族会議をし、もともとテリアが好きだった綾さんの好みもプラスされ、当時はまだ珍しかったジャックラッセルテリアを飼おうと決めた。その後、『愛犬の友』でジャックの特集が組まれたときに、たまたま掲載されていた愛知のブリーダーに連絡を取ったところ、オスの仔犬を1匹譲ってもらえることに。長男が小学6年生のときだった。
我が家の犬というより、あくまでも「長男の犬」ということにした。親として、もちろんフォローはするけれど、中心になって世話をしたり、何かあったときに責任を持ったりするのは、基本、長男。ブリーダーさんへのお礼も「彼がおこづかいを貯めたお金で」。名前も長男が本棚にあったレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』という本から付けた。ふたり(ひとりと1匹)は、すぐに打ち解けよき相棒となり、ともに元気に成長。家族の中での序列は、長男、ワンダー、次男。
それから4年が過ぎた頃、今度は次男がこう言い出した。
「お兄ちゃんにはワンダーがいるのに、なんで僕にはいないの? 僕も僕の犬が欲しいよ」
綾さんは次男の気持ちも理解できたが、ペットショップで犬を買うことに積極的になれず、「どこかにいい犬がいればな」と、なんとなく先延ばしにしていた。そんなある日のこと。仕事でクタクタに疲れ、夕ごはんにコロッケでも買って来ようと肉屋へ自転車を走らせていたとき、2匹のジャックラッセルテリアを散歩させている紳士と出会った。
「ジャック、かわいいですね!」、つい声をかけたところ、「この犬のこと、わかるの?」と紳士。「えぇ、うちにも1匹いるんですよ」
そんな会話からしばし立ち話となった。すると、紳士の家にはこの2匹のほかに、生まれたばかりの仔犬が4匹もいて、「貰ってくれる人を探している」という。さらには、「実は、里親が決まっていたけれど、1匹だけキャンセルされてしまって困っている」と。そして「うちで育ててもいいけれど、すでに2匹いるし、どこかに貰ってくれる家があれば、そのほうがいいと思ってね」。そんな流れから、綾さんは近所にあった紳士の家に犬を見に行った。「ワンダーとの相性もあるし」と躊躇したが、「1日連れて行って様子を見てみたら?」という紳士の言葉に背中を押され、そのまま預かってみることに。
「ただいまー、犬連れて来たよー!」
コロッケを買って来るはずのおかあさんが、犬と一緒に帰って来た。なんというサプライズ、子どもたちは大喜び。特に次男にとっては、願いが叶えられた記念すべき日となった。
ハイパーな一面を持つ先住犬のワンダーも、小さな仔犬を攻撃することはなく、これなら大丈夫そうだ。翌日には「うちの子として迎えます」と紳士に連絡。しばらく慎重に様子を見ようと思っていたのに、決断は早かった。やっぱり「犬運」がいい。
2匹目の犬の責任者は次男。「世話もちゃんとする」と約束が交わされ、名前は「チャム」と彼が名付けた。ワンダーのときに倣い、もちろん紳士へのお礼も次男から。やんちゃ坊主同士のコンビが誕生した。
2匹の散歩、ブラッシング、ごはん……。子どもたちは犬の面倒をよく見た。部活の都合などでふたりが散歩に連れていけないときのピンチヒッターは綾さん。前もって家族のスケジュールを照らし合わせ、1週間のシフトを組んで、何曜日は誰が散歩の当番かがすぐわかる一覧表を冷蔵庫に貼って家族に周知。チームワークで乗り切った。
ワンダーとチャムは特別仲がよかったわけではないけれど、争うようなこともなく、ほどよい距離を保って暮らしていたが、「ワンダーの晩年には、寝ているワンダーにチャムがお尻をくっつけて寝たりしていたから、もしかしたら、チャムはずっと甘えたり遊んだりしたかったのかもしれませんね」と綾さんは振り返る。
ワンダーもチャムも健康に恵まれ、大きな病気をすることもなく年齢を重ねたが、ワンダーは16歳のときから、てんかんのような発作を起こすようになった。はじめは驚き、どうすればいいのかわからず、かかりつけの動物病院に電話をするのが精一杯。獣医師からは「脳に何か異変が起こり、その影響での発作と思われる」と告げられた。綾さんは、ワンダーの今後を自分が決断するより、まずは長男の意見を聞くことに。
「ワンダーは長男の犬なので、どう治療したいかも彼が考えて、決めるのがいいと思って……」
すでに社会人となっていた長男は、ワンダーの年齢のことも考え、積極的な検査も治療もせず、そのときそのときをワンダーが苦しくないように、痛くないように緩和ケアをしながら見守ることに決めた。そして「治療費も自分で出すから」と。
ワンダーの発作は繰り返し起こり、そこから回復するのに時間もかかった。そのつど病院に運び、点滴や投薬。寝ていることが多くなったが、体調がいい日には近くを散歩することもあったり、また具合が悪そうな日が続いたり。一喜一憂。しかし食欲だけは衰えず、ほぼ寝たきりになってからもよく食べて、「さすが食いしん坊のワンダー!」と、家族で喜んだ。
しかし、ある日、いつものように食事をさせようとしたら「プイ!」と首を動かして、ごはんを差し出す綾さんのほうを見ようともしない。「もう興味ないよ! って感じ。そんなことは今までに一度もなかったのに」と綾さんを驚かせたが、それが合図だったかのように、ワンダーはその日の夕方に亡くなった。
ワンダーが逝って1年。寂しさをチャムに慰められていたが、チャムもワンダーと同じような発作を起こすようになった。発作が起きると苦しそうに唸る。歩いてもくるくる回ってしまったり、立てない日があったり。
「今度は次男に、チャムの治療方針をしっかり決めるように相談しました。そしたら彼も考えた末に、長男と同じ判断をしました」
発作のあとには点滴を打って、チャムができるだけつらくないように、苦しくないように。痛いところがないように……。症状が回復したり悪くなったりのサイクルもまた、ワンダーのときと同じ。
獣医師とのやりとりの中では「安楽死」という言葉も出たが、「その決断はどうしてもできませんでした」。子どもたちも同じ気持ちだった。
「治る見込みがないのだから、苦しみを増やすことはないかもしれない」「ここまで精一杯がんばってきたのだから、もういいよ。大変だったよね」「お疲れさま、ゆっくり休んで」「少しでも長く生きていてほしい、そう思うのは人間の身勝手かな」
さまざまな気持ちが、そのときどきで移り変わっては押し寄せた。綾さんたちの決断がよかったのかどうかはわからない。その人、その犬、その環境で、答えはひとつではなく、思いはそれぞれにある。
徐々に寝たきりになったチャムは、食事を摂らないまま1週間ほど過ごし、旅立った。心残りなのは、2匹ともひとりで逝かせてしまったこと。忙しくしていたので、犬の介護に時間をたっぷり取れず、仕事の時間になると、気持ちを残したまま、家を出るしかなかった。
「行って来るよー」「すぐ帰って来るからね」「ひとりで逝っちゃだめだからね」「待っててね」
しつこいくらいに声をかけて、何度も振り返りながら家を出た。
「その時期が一番つらかったです」
介護にはゴールが見えない。いつも霧の中にいるようで、心のどこかに重く大きなかたまりがいつもある。いつ霧が晴れてくれるのだろうかと思うけれど、そのときは……。
ワンダーがもういよいよ、という日も綾さんには仕事があり、長男が予定を早めに切り上げて帰宅することになった。時間ぎりぎりになって「行って来るよー、今日もちゃんと待っててねー。お兄ちゃんもすぐ帰って来るよー」、そう声をかけて綾さんは家を出たが、長男が帰って来たとき、ワンダーはもう息をしていなかった。その間わずか30分。
「ワンダーは、ひとりで旅立ちたかったのかもしれない」と今なら思える。それが照れ屋で気丈な彼らしさのような気もする。仕事を終えて、帰宅した綾さんは、長男の泣きはらした目を見て、「ふたりだけでゆっくりお別れの時間が持ててよかったかな」とも思った。母がいたら、息子も思いきり泣けなかったかもしれない。
「20年ずっと犬と暮らしていたけれど、うちは大きな旅行もしなかったし、特別な思い出もないんですよ」
そう笑うけれど、だからこそ、小さなひとつひとつが大切な宝物。「ただいまー」と家に帰っても犬たちの足音が聞こえてこないのが寂しい。キッチンで料理をしていて、キャベツの芯を捨てるときに「ワンダーがいたら喜んで食べるのにな」と思い、ヨーグルトの容器を洗って捨てるときは「チャムだったら洗うよりきれいになめるのに」と思い出す。日常は宝箱だ。
長男が大学生、次男が中学生のときにシングルになり、仕事をしながら子どもを育ててきた綾さん。長男は成長し、自分の世界を持ち、状況も理解できるようになっていたけれど、次男はまだ不安定で多感な時期。誰もいない家にひとり帰宅していた彼に「寂しい思いをさせているかな?」と申し訳なく思っていた。後年、そのことを詫びると、次男は言った。
「家に入ると犬たちの足音が聞こえて、2匹が玄関まで迎えに来てくれてたから、誰もいない家に帰るなんて思ってなかった。“寂しい”なんて感じたことは一度もなかったよ」
ふたりの息子と2匹の犬。はじめはみんな足並みを揃えて大きくなったが、途中から、犬たちは何倍もの速さで年を取り、老い方、死に方まで見せて教えてくれて、綾さんと息子たちの前を駆け抜けていった。
「あたりまえのことですが、命が尽きるまでは『生』。最期までしっかり生きてくれた2匹の犬に“生きる”ということを教えてもらったような気がします」
日々の世話などほんの些細なことで、犬たちはそれ以上の大きな軌跡を残してくれた。息子たちのやさしさと思いやりは、2匹が育んでくれたものだ。ふたりの息子も社会人。ワンダーとチャムもいなくなってしまった。綾さんにとって、今が自分のことを思いきりやれる時期。
「寂しくないわけではないけど、精一杯日々を楽しみたいと思います」
人間に比べて犬の寿命は短い。しかし、看取れる寿命だからこそ、ともに暮らしていけるのだ。(おしまい)
コウハイ(以下、コ)「今回は、ボクからおはなしさせて! ボクね、このおはなし大好きなの。ジャックラッセルテリアのワンダーとチャムとね、井出さんちのふたりの男の子のおはなし。ワンダーとチャムもオスだから、男の子同士の関係とかね、じーんとしちゃう。ボクも男の子だから」
センパイ(以下、セ)「へぇ~、なるほどねー。あたちがおもしろいと思ったのは“ひとりの子に1匹の犬の責任を持たせた”というところ。子どもたちも一生懸命向き合ってお世話したんだろうな~とか、想像しちゃった」
コ「でさ、一緒に成長していたのにさ、いつの間にか犬のほうがどんどん歳をとってしまって……」
セ「ね、ちょっとせつないね……。取材のときにね、ゆっちゃんは井出さんから家族の記念写真を見せてもらったんだって。男の子たちはすっかり大人になってね、そうするとわざわざ写真撮ったりしないじゃない? でも犬たちがいて、犬たちの命が短いのを知っているから、みんなで写真を撮ったんだって。“犬たちがいてくれたからこの写真が撮れたの”って。これもワンダーとチャムからの贈り物よね。みんないい顔で写ってる記念の1枚」
コ「キャベツの芯を捨てるときに“ワンダーがいたら喜んで食べるのに”とか、ヨーグルトの容器を洗うときに“チャムならきれいに舐めるのに”って思ったり、って書いてあったニャ……。ふと寂しくなっちゃうけど、思い出すことがあるって、しあわせなことだと思うニャ」
セ「そうね。そう思うと、死んでしまっても、思い出の中では生きているし、ペットたちとの思い出を自分に染み込ませて生きているのね、人間も」
コ「ねえたん、いいこと言うニャ!」
楽しかったね、ありがとう
「寂しいけれど、悲しくはない」「綱渡りのような日々も愛おしい」「あえてさよならは言わずに」「お疲れさま、ありがとう」「先に行って、散歩しながら待ってて」
15歳の犬から25歳の猫まで、長生きして逝った動物たちと飼い主の日々。見送ったあとに、飼い主たちの心に残った想い。自らも14歳の柴犬・センパイと9歳の保護猫・コウハイと暮らす著者が綴る、犬と猫と人の、すばらしい物語。
犬や猫は人間の何倍もの速さで「生」を駆け抜けていきます。私たちにとって変わりばえのしない今日であっても、動物たちと過ごせる瞬間がいかに貴重で、今を精一杯いつくしむことがどれだけ大切か……。(はじめにより)