長生きして逝った犬や猫と飼い主が過ごした日々と、訪れる別れを綴ったエッセイ『楽しかったね、ありがとう』刊行を記念して、試し読みをお届けします。最後には、豆柴センパイと捨て猫コウハイのミニ対談つき。
「長生きさせる秘訣? んー、特別なことを何もしないことかな」
そう言って静かに笑う山本ひろみさん。ひろみさんはイベントディレクター。現在は、都内にある公共のホールでコンサートやイベントの企画をしている。彼女とは、私が所属する動物愛護を啓蒙する団体のイベントで知り合った。ボランティアとして来てくれて、写真展の設営などを手伝ってくれた。少し話をして、彼女が猫好きだということを知った。そういえば、そのとき「長寿だった愛猫を少し前に亡くして……」と言っていたような気がする。
ひろみさんの愛猫は美香(三毛猫)と省(洋猫ミックス)。2010年に省ちゃんを17歳で、2011年に美香さんを19歳で亡くした。あの頃のことを思い出すと、今もひろみさんの目に涙が浮かぶ。ひとり暮らしの部屋にトイレも1匹にひとつずつと思って2つ置いていたし、ごはん用と水飲み用のボウルも2つ。2匹がいなくなったあとに片付けたら、なんだか部屋ががら~んとした。
「あんたたち、案外場所をとっていたんだねぇ、と、気づいたら、姿のない猫たちに話しかけていました」
今もときどき、美香さんの夢を見るひろみさん。目が覚めてもまだ部屋にいるような気がして姿を探し、「あぁ、やっぱりもういないんだな」と我に返る。
美香さんはしっかりしていていつも冷静で、よくおしゃべりをする。ひろみさんの帰宅が遅くなると「まったくもう、こんな時間までどこに行ってたのよー」と、彼女のあとをついて歩いては小言を言っていた。省ちゃんはやんちゃで単純な、永遠の弟キャラ。小さないたずらをしては笑わせてくれた。
美香さんは、ひろみさんが岡山・倉敷に住んでいたとき、隣町の知り合いのAさんの家で生まれた。とはいえ、飼い猫が産んだのではない。ある日、床下から仔猫のか細い声が聞こえてきたというA家には、先住の老猫が3匹。日に日に声が小さくなっていく猫が気にかかり、A家のおばさんが「えいっ」と畳をあげ、床を抜いて、仔猫を助けた。
どこかの野良猫が床下に入り込んで出産。3匹生まれたようだったが、母猫は1匹だけ置いて姿を消した。救出された仔猫は、おばさんの手のひらにも余る小ささ。ノミだらけで瀕死……。
A家では野良猫を保護しては育て、里子に出したりしていたので、ひろみさんもことあるごとに猫の飼育を勧められていた。当時、彼女は学校に勤めていて仕事時間は規則的。その上、たまたま新しい部屋に引っ越したばかり。「環境が整い、いいタイミングかも」と、仔猫を引き取ることにした。その仔猫が美香さんだ。以後、19年も一緒に暮らすようになるとは考えもしなかった。
仔猫を引き取るため、休日にA家まで車で迎えに行った。猫とは、そのときが初対面。
「なんだか、ものわかりがいいというか、最初から私になつき、家に連れて帰った最初の日でさえ、夜鳴きもしなかった。仔猫と暮らすのははじめてなのに、“困ったなぁ”ということがひとつも起こらなかった」
多少手こずることも覚悟していたが、ひとりと1匹は、案外すんなりと馴染んだ。壁で爪研ぎをしようとしたから、「あ、それはだめよ。やめてね」と言ったらやめてくれた美香さん。なんと聞き分けのよい子なの。相性がよかったということなのだろうか。それだけでもないような気もするけれど。
それから2年後、お世話になっていた獣医師から、「昼間、留守番をさせていることを考えたら1匹よりも2匹のほうが絶対いいから、もう1匹どう?」そう勧められ、当時、動物病院で保護されていた生後6ヶ月ほどの猫を引き取ることに。それが省ちゃんだ。
省ちゃんがトライアルでひろみさんの家にやって来たときに、「どうかしら、この子。もし、あなたが嫌だったら返してもいいことになっているから、無理はしないでいいからね」そう美香さんに言い、しばらく様子を見ることにした。遊びたいさかりのやんちゃな猫を、少々迷惑そうにしながらも「まぁ、いいんじゃないかしら」という素振りで彼女は受け入れた。
それからずっと3人暮らし。引っ越しも3回(そのうち1回は倉敷から東京という遠距離)。
「猫は家に付く、とも言うから、さぞ大変だったのでは?」と想像されるけれど、美香さんも省ちゃんも、新しい環境にすんなり馴染んだ。ひろみさんの的確な気配りが、2匹を安心させていたようだ。現在は、東京の武蔵野に暮らす。ここでの生活ももう20年が過ぎた。
省ちゃんは、オス特有の尿路結石になったり、晩年は腎臓を患ったりしたものの、猫たちには、ひろみさんを悩ませるような悪癖もない。誰かが脱走したとか、家具を壊したとか、そんな大事件はひとつもなく、食餌にこだわったこともなく、そのときどきに買ったり貰ったりしたドライフードを食べさせた。スペシャルおやつなどもあったかなかったか……。
2匹にとって、大好きな場所はひろみさんの膝の上。美香さんがひろみさんの膝でうたた寝し、目を覚まして膝から下りると、すぐに省ちゃんが乗ってくる。だが争奪戦になることはなく、お互いに譲り合うことを知っていた。昼間は近すぎず遠すぎずの距離にいて、夜にはひろみさんと3人、ロフトのベッドでくっついて寝る。
精神的に自立したおとな同士が暗黙のルールを守り、無理もせず我慢もせずに、おだやかに淡々とときを重ねた。
美香さんはワクチンの接種と健康状態を診察してもらうために、年に1~2回動物病院に行く程度。丈夫だったし、老化は本当に少しずつゆるやかに、という感じで、あまり気づかないくらい。「急に老けてショック」なんていうことはなかった。
「若い頃は棚の上のほうにいることが多かったけれど、そういえば、最近高いところに上ってるのを見ていないなと、あるとき気づく、みたいな」
いつの頃からか、美香さんは「上れるけれど下りるのはしんどい」と感じていたらしい。14歳か15歳の頃から、あまり遊ばなくなって、眠っていることが多くなったり、同じ場所でじーっと窓の外を眺めていたりなど、動かないでいる時間がだんだん長くなってきて、“あぁ、これが年を取ったということか”と実感した。
「人もそうかもしれないけれど、猫も年齢とともに、欲がなくなってくるものかな、と思います」
省ちゃんも美香さんも、若いときはごはんの催促をしたり、遊んでー、と甘えてきたりしたけれど、次第にそんなこともなくなり、心に波打つことがない、海でいうと“凪”の状態。省ちゃんが亡くなるまでの数ヶ月間は看病もしたけれど、精神的には落ちついた日々だった。
省ちゃんの最期は、ひろみさんと美香さんで見送った。省ちゃんが息を引き取るまでに、美香さんは、省ちゃんを注意深く見守り、亡くなるとすぐその場を離れた。
「省ちゃんの死を瞬時に受け入れていた美香さんを見て、猫ってすごいなぁと思いました。人は、誰かが亡くなって受け入れるまでに、たくさんの儀式や時間がいるのに」
ひろみさんが印象に残っているエピソードのひとつ。
省ちゃん亡きあと、美香さんはひとりで留守番。2011年の3月。東日本大震災が起こった日もそうだった。その夜は、都内の交通網が麻痺し、帰宅できなかったひろみさん。翌日なんとか帰ると、部屋の中は棚から飛び出した本やCD、DVDでぐしゃぐしゃ。美香さんはベッドの中で震えていた。「ごめんごめん、心細かったよね」と抱いて、お互いの無事を喜んだ。その頃から徐々に弱り、季節が秋から冬に変わる頃、美香さんはひろみさんの腕の中で静かに息を引き取った。
「健康状態を安定させるために点滴をしたりしていたけれど、病名が付くようなことではなく、しいて言うなら老衰ですね」
そう振り返る。
「本当に、ゆっくりだけど確実に弱って小さくなっていく美香さんを見ていて、亡くなる半年くらい前から、これから起こるであろうことを受け入れる準備を無意識にしていきました」
美香さんの身体が弱っていくのと同じ速度で、ひろみさんの中に看取る覚悟が育った。
亡くなったあとは、ものすごく寂しくて喪失感もあったが、不思議と気持ちは落ちついていた。
「年齢も年齢だから、というのが納得できた大きな理由かな。ちゃんと看取ることができたので、よかったと思っています。“19年生きたから満足”というわけではないけれど」
ひろみさんの冷静でおだやかな性格が、猫たちに安心を与え、決めたことを淡々と続けるように暮らす彼女を猫たちは信頼した。2匹がいなくなり、何年経っても寂しいが「また次の猫」という気持ちにはなかなかなれず、「人生の中の20年近くをともに過ごしたという重みを実感しています」。それでもやっと最近「どこかに困っている子がいたら、引き取ってもいいかな」と思えるようになった。
しかし、今は仕事が忙しいので仔猫を育てている余裕はなく、「ちゃんとお留守番ができる大人の猫がいたら」と考えている。ひろみさんの性格や生活は猫がいてもいなくても変わらない。相手に合わせるのではなく、合わせてもらうのでもなく、お互いを尊重し合える関係でいたい。その相手が人でもどうぶつでも同じことなのだ。
ひろみさんは、澄んだ眼差しで猫たちを見つめ、猫たちもまたひろみさんを信じ愛した。特別なことは何もないゆるやかな日々の中に、ひとりと2匹の暮らし、美香さんと省ちゃんの生と死があった。(おしまい)
センパイ(以下、セ)「連載最後は、美香さんと省ちゃんのおはなし。飼い主はひろみさん。実は、ひろみさん、私たちも会ったことあるのよね!」
コウハイ(以下、コ)「そう、うちに遊びに来てくれたことがあるニャ。そっか、そのときのことを思い出したよ。ひろみさんって“キャ~、カワイイ~!”とか強引に迫ってこなかった。落ちついていて、様子を見ながらボクたちを尊重してくれる人だった」
セ「そうね。このおはなしもそんなひろみさんらしさが感じられます。ふんわりとして淡々……。たぶん、猫の美香さんもひろみさんに似たタイプの猫だったのかも。そんな美香さん、晩年にはひとりで留守番しているときに東日本大震災が来て……」
コ「だニャ~。次の日にひろみさんが帰宅したら“ベッドの中で震えてた”って。心細かっただろうに。ボクだったらどうなっていたことか」
セ「コウちゃんだったら、キッチンで食べものを探したり、やりたい放題だったかもね。でもさみしがり屋だから、鳴き続けて声を枯らしていたかもね。美香さんがおねえさん猫で、省ちゃんがやんちゃな弟猫というのも、なんとなく我が家のようでもあり、親近感があります」
コ「“美香さんが聞き分けがよくて”って書いてあったニャ。センねえたんがどうかちら……ニヤリ」
セ「そんな意地悪言わないで。ひろみさん、やっと“また猫と暮らしてもいいかな”と思えるようになったそうです。忙しいから仔猫は無理で、お留守番が得意な猫がいたら……って。また気の合う子に出会えますように☆」
コ「みなさん、新刊発売記念の特別連載を読んでくれてありがとうございました。『楽しかったね、ありがとう』をよろしくお願いします。」
セ「著者のゆっちゃんにかわってお礼申し上げます。このような犬と猫と人との物語が詰まった1冊です。読んでニャ!」
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楽しかったね、ありがとう
「寂しいけれど、悲しくはない」「綱渡りのような日々も愛おしい」「あえてさよならは言わずに」「お疲れさま、ありがとう」「先に行って、散歩しながら待ってて」
15歳の犬から25歳の猫まで、長生きして逝った動物たちと飼い主の日々。見送ったあとに、飼い主たちの心に残った想い。自らも14歳の柴犬・センパイと9歳の保護猫・コウハイと暮らす著者が綴る、犬と猫と人の、すばらしい物語。
犬や猫は人間の何倍もの速さで「生」を駆け抜けていきます。私たちにとって変わりばえのしない今日であっても、動物たちと過ごせる瞬間がいかに貴重で、今を精一杯いつくしむことがどれだけ大切か……。(はじめにより)