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東京23区の地名の由来

2019.07.12 公開 ポスト

渋谷のシンボル「忠犬ハチ公」の墓があるのは港区金子勤

東京23区内にある、416の地名のルーツを徹底解説した『東京23区の地名の由来』。葦(あし)が生えていたから「足立区」、古墳のある高い場所だから「竹の塚」、一日に千駄も薪を伐り出したということから「千駄木」など、その土地の歴史や地形の変遷が地名から見えてきます。次の休みは本書を片手にお散歩してみては? 一部を抜粋してご紹介します。

*   *   *

港区

昭和二十二年、三区(麻布・赤坂・芝)が合併して成立。「城東区」「東港区」の中から単に「港区」とし、東京湾による区の発展を願ったという(港区史)。

1 赤坂

明治時代までは、一ツ木村の小名であった。地名の由来は赤土の坂。どこにでもある地名である。赤羽も、他説も二、三あるものの、赤埴で赤土という意味。現在、赤坂一~九丁目まである。

2 北青山

由来は、天正十九年(一五九一年)に青山忠成が家康から拝領した広大な屋敷があったことによる。現在、北青山一~三丁目まである。地下鉄半蔵門線・外苑前、表参道などあり。二丁目に秩父宮ラグビー場、三丁目には善光寺がある。

3 南青山

青山通りを境に、北青山と南青山に分かれている。現在、南青山一~七丁目まである。二丁目の青山霊園には、吉田茂をはじめ大勢の有名人、忠犬ハチ公の墓まである。同じく二丁目の外苑前の近くには梅窓院があり、青山家累代が眠る。青山家は岐阜の郡上藩主。その縁で、例年六月には青山の地で「郡上おどり」が盛大に行われる。

4 虎ノ門

かつてこの地は江戸城の外郭門であった。その門は明治六年に撤去。昭和二十四年、虎ノ門という町名になる。由来は諸説あり。

(1)四神説の江戸城右、白虎の方角にあったから(御府内備考)。

※白虎隊は会津城の白虎の方角というところから付いた名前。

(2)「千里行くも千里を帰る」虎にちなんだという(新編江戸志)。

(3)門内の内藤屋敷にある「虎の尾」という桜の木から(風俗画報)。

現在、虎ノ門一~五丁目まである。

5 六本木

文政十一年(一八二八年)、六本木町から幕府に提出した書に、

(1)往古、松の大樹があったから(御府内備考)。

(2)諸大名屋敷(上杉・朽木・高木・青木・片桐・一柳)があったから(遊歴雑記)。

と、由来が記されている。現在、六本木一~七丁目まである。

6 愛宕

標高二十六メートルの山の頂上に「火防の神」である愛宕神社があったから。本宮は京都市右京区愛宕神社。NHKの前身である東京放送局があり、大正十四年、愛宕山頂で日本初となるラジオ放送が開始された。現在、愛宕一~二丁目まである。東京放送局の跡地には、昭和二十年、敗戦のショックで集団自決した人々の弔魂碑もある。

(写真:iStock.com/F3al2)

7 新橋

江戸城の外堀にあった橋名に由来する(町方書上)。昭和七年に汐留町、二葉町など十一町が統合して、新橋一~六丁目となり現在に至る。新橋駅前には蒸気機関車、「汽笛一声新橋を~」の鉄道唱歌の碑もある(注・当時の新橋駅は現在の汐留貨物駅)。

8 麻布狸穴町

「麻布」と「狸穴」に分けて説明しよう。

麻布とは──阿佐布、麻生、浅府と書き、三文字の地名は戦国時代、二文字は古代(奈良・平安時代)か江戸時代以降というのが通念。「阿佐布」の初見は、戦国期永禄九年(一五六六年)北条氏が阿佐布善福寺(現・元麻布一丁目)に掟(おきて・とりきめ)を出す(東京市史稿)。

「麻生」は、(1)相模・武蔵の地名語源である苧が自生していた(根のいも)、(2)麻は春分に種をまき秋分に刈り取る習い。両方とも草丈二メートル以上にもなり、さらした製品はほとんど区別がつかない。これらを府中に献上する。東京の調布、川崎市の麻生も同じく献上した。栽培管理は地元の寺社が行った。

狸穴とは──色々な書物に色々なことが書かれているが……。マミとはママ(間々、大間)で崖のことを指す。その崖地に穴を掘って、この穴に穴熊(タヌキ、ムジナ、キツネ)が棲みついている。外敵から身を守るために急な崖地を選ぶ(神奈川県の地名)。昔からこの地域に穴熊が生息していたのだろう。現在、麻布狸穴町は丁目なし。

9 永坂町

文字通り長い坂があったからそういう。南北に走る長い坂は、飯倉永坂から狸穴を通り、永坂町までの長い長い坂である。現在は、麻布を冠し麻布永坂町となっている。丁目はなし。

10 汐留

江戸時代、この地は海水がざぶんざぶんと入ってくるアシの沼地だったが、明治になると海は堤防で仕切られ、埋め立てられた。海水・汐は止められ「汐留」となった(町方書上)。明治五年、汐留町は鉄道用地となり新橋駅となった。わが国最初の鉄道開通式がここで行われた。現在、町名としては使われていない。

11 麻布十番

元禄十一年(一六九八年)、白金御殿を建築の時、土運び人足が一番から十番に編成され、この地域の人々が十番目に当たっていたことに由来するという(御府内備考)。十番という町名はいっとき消えるが、昭和三十九年から復活。現在、麻布十番一~四丁目まである。江戸期から評判で、大田南畝も訪れた永坂更科そば屋の脇に十番由来碑が建っている。

……続きは本書にて!

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金子勤

1929年、神奈川県横浜市生まれ、早稲田大学卒業。関東地方各都県の地名の由来を研究。2008年に『神奈川県の地名』(神奈川新聞社)を刊行。「長津田宿の歴史を活かしたまちづくり研究会」のメンバーとして、長津田十景などを紹介した「長津田歴史探訪マップ」の編算に携わる。他に大山道今昔(神奈川新聞社)、風車の回る異人館(講談社)などの著書がある。

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