ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が。憧れのひと、玲子への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。玲子――こっそりつけた愛称は天鵞絨(びろうど)――への恋心が暴走する衝撃の物語を、冒頭から抜粋してお届けします。ヤミツキ必至!大注目作家の話題作。
* * *
4
わたしの頭の横に、柔らかなものが浮かんでいる。左上に浮かんでいるのは、たましいのようなものだと思えてならない。
天鵞絨(びろうど)の部屋にいる。わたしたちは同じ髪型にしている。
灰色の絨毯(じゅうたん)には百合(ゆり)の地模様が入っている。テーブルには、甘くない冷たいのみものとお菓子がのっている。部屋の奥に机があり、壁にそってクロゼットと本棚。窓側にはベッド。六畳って狭いよね、と、天鵞絨がいった。
ドラッグストアで買いこんだマニキュアやマスカラを試したり、つけぼくろをしたりして、わたしたちはひとしきりあそんだ。そのあと、胸にかかるくらいの、同じくらいの長さの髪をワックスを用いて一角獣のつのみたいに、お揃いでまとめた。
わたしたちは頬と頬をくっつけて寄りそい、ふたりで協力し、腕をのばしてカメラをかまえた。シャッターを切ったのは天鵞絨だった。ポラロイドだったから、あかんべえをする舌のようにカメラから黒い紙が出てきた。その紙を天鵞絨が軽くつまんで少し振ると、わたしたちが浮かび上がってくる。フィルムを二パック、使いきった。
テーブルには、さまざまなポーズのわたしたちが並んでいる。神経衰弱ができるかもしれないねと笑い合った。どのポーズも二枚ずつ撮ったからだ。わたしたちはカラーの油性マジックで、いたずら書きにかかった。
天鵞絨がなにかいった。
わたしは、写真のなかのわたしたちの周りに、ぶどうと、ぶどうの蔓(つる)を描くのに夢中で、天鵞絨のことばを聞き逃してしまった。顔を上げて、天鵞絨を見た。
「ねえ、あたしたちって、なんか、似てない?」
キャップをしめたマジックで写真を差している。ふたりでピースをした写真には「ふたごみたい!」と書いてあった。
「ほんとだ。まるで、ふたごだね」
驚いたようにわたしがいった。やれやれ、やっと、気がついてくれたというわけですか。
「まあ、黒いのと白いのとの差は歴然なんだけど」
天鵞絨が写真をマジックでなぞっている。わたしを見て口元だけで笑った。
「でも、いいよね、えりは。色が白くて」
「黒いほうがいいよ。痩(や)せてみえるし」
「そんなことないって」
天鵞絨が横を向いて、うつむいた。わたしはいけないことをいったのかもしれなかった。
「……白くなれる黒じゃないもん」
天鵞絨はやはり薄く笑っていた。それは自嘲(じちょう)という笑いによく似ていた。襟足に手をやって、そこをさすっている。唇を結び、浅い息をもらした。天鵞絨は、心細げにふるえている捨て犬のようだった。いま、おかあさんが助けてあげますからね。
「だから、いいんじゃん」
重大な秘密を打ちあけるように、わたしは声を落としてひとりごとをいうふりをした。
「すごく、いいんじゃん」
わたしたちはベッドで腹這(はらば)いになって、クスクス笑いながら、ふたりで一冊の雑誌を読んだ。
わたしにとって、天鵞絨のすべてが美しかった。
わたしは天鵞絨になりたいと、しんから願っていた。
眉(まゆ)のかたちを天鵞絨と同じ直線にととのえている。わたしの眉は薄いので、眉ペンシルは欠かせない。天鵞絨の歩調にも合わせている。右足、左足、右足。わたしは天鵞絨のように歩ける。しかし、これらは表面上のことにすぎない。
天鵞絨と同じになるというわたしの最大のテーマでは、具体的な努力よりもまず優先させるべきことがある。
わたしは頭のなかで、わたしと天鵞絨を重ねようと精をだしていた。
パレットに、絵の具のチューブを二本絞りだし、水で溶くイメージを描いた。その二色は補色にした。赤と緑。あるいは黄と紫、もしくは、黒と白。混ぜると灰色になる。
灰色は目立たぬ色だ。声高に主張する色彩にうもれ、穏やかに微笑しているような色だと思い、わたしはそこが気に入った。天鵞絨の部屋の絨毯の色でもあった。
しかし、口でいうほど簡単な作業ではなかった。
想像のなかでさえ、二色はなかなか溶け合わない。二色のそれぞれがサイケデリックにうねるばかりで上品な灰色に到達しない。加える水の量が足りないのだ。
水分というのは、わたしの精神状態だと思われる。
二色はきっと溶け合うのだと信じて水を加えていかなければならなかった。わたしは、本心から、信じていないのかもしれなかった。信じられないのは、わたしの心に混じりけがあるからではないか、と、そう、考えた。水は、純水のほうがいいと思う。そして、水量は豊富なほうがいい。
わたしは毎晩、自転車で天鵞絨の家までいった。天鵞絨と会って話をするためではない。そのすがたをひと目見るためでもない。心を純水で満たすためだ。ただ、「そこ」にいきたくていくという、それだけの気持ちにあかしを立てるために、わたしは天鵞絨の家までいった。雨でも、雪でも、風が吹きすさんでも、どんなに観たいテレビがあっても、わたしは毎晩、自転車をこいだ。
苦しければ苦しいほど、わたしの心は磨かれるのだと思った。
わたしはそれだけ天鵞絨に奉仕し、天鵞絨のことだけを考えているのだから、それをわかってもらいたかった。わかってくれてもいいのではないかな、とも思った。しかし、それは間違った考えだとわたしはすぐに反省する。天鵞絨は、天鵞絨のままでいい。
わたしのプジョーの自転車は、銀色のほうき星のように真っ黒な夜空を駆ける。
児童公園に自転車をおいて、天鵞絨の家まで歩く。足を止め、胸に手をおき、天鵞絨の部屋を見上げる。大きく息を吸い、息を吐く。天鵞絨の家の周りの空気は特別な滋養を含んでいる。そんなふうに思われる。
わたしは、自分がしっとりとしたサバランになった感じがして、安心して家に帰る。
天鵞絨がクオーターであること、皮膚の色がいくぶん黒いことをとても気にしているのは、わたしにとって歓迎すべきことだった。慰め、元気づけることができるからだ。
わたしがかけることばにより、わたしたちはよりぴったりと重なり合っていく気がする。そうして、わたしたちの色は溶け合い、わたしたちならではの、穏やかに微笑する色をつくっていくのだ。
ほかに誰がいる
女友達への愛が暴走し狂気に変わる……衝撃のサスペンス
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