ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が。憧れのひと、玲子への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。玲子――こっそりつけた愛称は天鵞絨(びろうど)――への恋心が暴走する衝撃の物語を、冒頭から抜粋してお届けします。ヤミツキ必至!大注目作家の話題作。
* * *
14
パレットのなかで発色を待っていた「わたしたち」の色は、ひからびて、粉になった。
わたしはパレットを捨てた。
円い箱にしまった宝物は、蓋(ふた)が持ち上がるほど溜っていた。これも捨てようと思っている。
しかし、わたしは決して悲観的ではない。わたしは、天鵞絨と新しい関係を築こうとしている。
もともとは、天鵞絨の名前すら知らなかったのだ。わたしは少しずつ欲張りになっていた。わたしがなにより優先しなければならないのは、天鵞絨の幸福だったはずだ。
それなのに、いつしかわたしは天鵞絨の幸福よりも、わたしの幸福に重きをおいていた。わたしと天鵞絨が「わたしたち」になれば、それは世界でいちばんよい状態なのだが、それはもしかしたら、わたしがそう思っているだけなのかもしれなかった。
ストップ。
わたしはいったん思考を停止し、少し前にもどって再度、考えてみる。
スタート。
わたしがなにより優先しなければならないのは、天鵞絨の幸福だったはずだ。
天鵞絨が幸福ならば、わたしは喜ぶべきである。それは、心からのものでなければならない。案外、素直に喜べそうで、その心境にわたし自身がとまどっている。わたしは天鵞絨と「かれ」を祝福できそうなのだ。これも苦行のたまものだろう。
ストップ。
レビュー。
スタート。
それは、心からのものであるのが望ましい。
わたしは、わたしと天鵞絨が「わたしたち」になる日を信じ、苦行を重ねた。天鵞絨のわたしへの仕打ちも許してきた。わたしは、天鵞絨と「かれ」を祝福できる寛容さまで身につけた。
しかし、天鵞絨にとっての「わたしたち」は、わたしと天鵞絨ではなく、天鵞絨と「かれ」だった。ふたりを結びつけるきっかけをつくったのは、わたしである。
天鵞絨は、わたしを、手柄を立てた家臣とでも思っているのではないか。ごくろう、といえば、それですむと思っているのか。
ストップ。
レビュー。
スタート。
しかし、天鵞絨にとっての「わたしたち」は、わたしと天鵞絨ではなく、天鵞絨と「かれ」だった。
わたしは天鵞絨の親友でしかなかった。
「でしかなかった?」
声にだして、反復した。苦笑いがこみあげてくる。よくもまあ、「でしかなかった」などと生意気をいえたものだ。天鵞絨のそばにいられる幸福をなんと心得ているのだろう。
わたしは、いつのまにか、こんなに傲慢になっていた。天鵞絨がわたしから離れていって当然だ。わたしだって、さっさと見切りをつけたくなる。でも、わたしは、わたしを見放したくなかった。わたしは、わたしに見限られたら、生きていけない。
いったん、すべてを白紙にもどそう。
できることはそれしかないような気がする。天鵞絨を知らなかったころのわたしにもどろう。
わたしは、あの六月の電車の窓越しの出会いすら、なかったことにしようと思っている。わたしと天鵞絨はこれから出会い、新しい関係を一からつくっていくのだと、こう思うことにする。わたしは、過去のわたしと天鵞絨を捨てようと決めた。
円い箱の蓋を開ける。
びっくり箱みたいだ。写真やメモが飛びでてくる。
十一月七日のわたしたち。八月十日のわたしたち。二月二十日のわたしたち。楽しそうなわたしたち。
天鵞絨の文字。撥(は)ねと止めのめりはりがきいた天鵞絨の文字が、わたしに何度もなぞられて黒ずんでいる。
ノートもでてきた。表紙に天使の翼を描いている。Vol .1から32まで。33は、机の引きだしのなかにある。
箱の底にしまっておいたポスターは、折り皺がところどころやぶけている。何度もひろげては見、折ってはまたひろげて見たポスターだ。
わたしたちの家に、指先で触れてみる。床に膝をついた。お尻を浮かせて背をまるめ、指の腹で触れてみた。
わたしたちの家が熱を放ち、わたしのひと差し指をオレンジ色に染める。
ストップ。
レビュー。
スタート。
パレットのなかで発色を待っていた「わたしたち」の色は、ひからびて、粉になった。
穏やかに微笑する灰色に亀裂(きれつ)が入っている。
わたしは、水を加える方法を、新たに考えてみることにしよう。よい方法がきっとあるにちがいない。
ほかに誰がいる
女友達への愛が暴走し狂気に変わる……衝撃のサスペンス
- バックナンバー
-
- #16「抱きしめてあげる。えりのこと」…...
- #15 放熱…破滅へ向かう少女の恋
- #14 ストップ。レビュー。スタート。…...
- #13「しゅうちゃん」…破滅へ向かう少女...
- #12 血の味…破滅へ向かう少女の恋
- #11 臓物…破滅へ向かう少女の恋
- #10 離ればなれ…破滅へ向かう少女の恋
- #9 おまじない…破滅へ向かう少女の恋
- #8 公園の「かれ」…破滅へ向かう少女の...
- #7 あってはならないこと…破滅へ向かう...
- #6 丸い箱…破滅へ向かう少女の恋
- #5 おとうさん…破滅へ向かう少女の恋
- #4 似ているふたり…破滅へ向かう少女の...
- #3 天鵞絨(びろうど)の手触り…破滅へ...
- #2 肌を灼く…破滅へ向かう少女の恋
- #1 ガシュウレイコ…破滅へ向かう少女の...
- #0 あのひとの横顔…破滅へ向かう少女の...