ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が。憧れのひと、玲子への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。玲子――こっそりつけた愛称は天鵞絨(びろうど)――への恋心が暴走する衝撃の物語を、冒頭から抜粋してお届けします。ヤミツキ必至!大注目作家の話題作。
* * *
16
抱きしめてあげようか、と、天鵞絨(びろうど)がいった。
「え?」
「抱きしめてあげる。えりのこと」
天鵞絨のいっている意味がわからなかった。
「だって、えり、疲れているみたいだから」
「それほどでもないよ」
そう答えると、天鵞絨は声を立てずに笑った。ゆるりとかぶりを振る。かんばしいかおりがほのかに立った。藤(ふじ)か、ライラック。うすむらさきの花のかおりだ。まぶたを閉じそうになった。
天鵞絨は、小首をかしげて、思案している。その角度。五線譜がわたしの目の裏に浮かんだ。新しい曲が書き入れられていくのではないかな。そんな希望がよぎった。
「あのね。抱きしめられると、気持ちが落ち着くものなんだよ」
天鵞絨がわたしの目を見ていった。わたしも天鵞絨の目を見た。でも、わたしたちはちがうものを見ているようだった。わたしの目は、たぶん、洞窟(どうくつ)みたいにぽっかりあいていた。ネズミたちがチキチキと暴れ始める。
「あたしも、しゅうちゃんに会うまでは知らなかったの」
わたしはなか指でこめかみを押さえた。そこをゆっくりと揉(も)んでいく。天鵞絨がつづける。
「しゅうちゃんに抱きしめられると、すごく、大丈夫なんだ、って思うの。理屈じゃないの。ほんとにそうなの」
なか指をこめかみからはずした。目も、口もあけて、わたしは天鵞絨を見ていた。
「えり、最近、元気ないし。痩せちゃったし。あたし、ぎゅうってしてあげたいと思って」
指をひらいて、髪に入れた。頭皮を指で強く押した。わたしの頭皮は張り子の感触だった。ネズミたちに内側から侵食されているからだ。
「しゅうちゃんに、抱きしめられる?」
わたしの声はとても小さかった。だから、天鵞絨が聞き逃したとしても無理はない。天鵞絨はすっきりとした横顔を見せて、話している。
「えりは、いつもあたしを勇気づけてくれた。こんなこと、本人を目の前にしていうのは照れるけど、あたし、えりには、ほんと、感謝してる。えりは、あたしの絶対いちばんの友だちなんだ。えりは、あたしの自慢なんだよ」
天鵞絨が、瞳をうるませて、わたしに訴えかけている。しかし、そんなことより、わたしには訊きたいことがあった。頭のなかが熱かった。脳みそが煮えてしまいそうだ。
「しゅうちゃんと」
わたしの唇がひとりでに動いた。
「寝たの?」
天鵞絨の答えは憶えていない。ことばなど、不要だった。
天鵞絨の頬が見る間に赤く染まり、わたしの好きな本来の肌の色が濁(にご)った。天鵞絨は、それでも芳香を放っていた。しかし、それは、うすむらさきの花のかおりではなかった。羽虫を誘うような、べたついたにおいだ。
天鵞絨は、からだをよじり、けたたましく笑った、機関銃のように「かれ」との経験を話し始める。
わたしは、天鵞絨の話に耳をかたむけることがすでに習い性になっていたので、おとなしく聞いていた。でも、断片しか憶えていない。
※続きは書籍『ほかに誰がいる』でお楽しみください。
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