ほかに誰がいる? わたしの心をこんなにも強くしめつける存在が。憧れのひと、玲子への想いを貫くあまり、人生を少しずつ狂わせていく16歳のえり。恋が暴走し狂気に変わる衝撃の物語を、冒頭から抜粋してお届けします。ヤミツキ必至!大注目作家の話題作――
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2
名前がわかった。賀集(がしゅう)玲子(れいこ)というのだ。おばあさんがアメリカ人で、クオーターなのだそうだ。
わたしはあのひとをサバンナに立たせてみる。中天に太陽をぎらつかせてみる。あのひとの浅黒い肌にうっすらと汗をかかせてみる。泡立つように滲(にじ)む透明な汗だ。粒状の汗があのひとのなめらかな肌をころがっていく。あのひとは目をふせて、たっぷりとした量の黒髪を編んでいる。長い睫毛の影がいちだんと濃くなる。
そんなことを屋根の上で考えた。夏休みに入っていた。わたしは毎日屋根にのぼり、肌を灼(や)いていた。
未造作の部屋が二階にあり、そこの窓から屋根にでられる。わたしの家は札幌のなかでも静かなほうの住宅街に建っていた。平日の昼間なら、人通りはほとんどない。
わたしは腕を交叉(こうさ)させ、衣服を思い切りよく脱ぐ。下着だけになって、トタン屋根にタオルを敷いて、うつぶせになる。旧式のトランジスタ・ラジオをかたわらに置き、FMをかけっぱなしにした。
窓から外へ足を踏みだすときは、頭で考えるよりも十センチは余計に足をひらかなければならなかった。ひらいた足のあいだを窓からの風が通り抜けていく。「ひらいている」と実感される。
わたしの肌は白かった。父ゆずりだ。父は、子どものころ、ロシア人との混血ではないかと近所の腕白小僧どもにからかわれたそうだ。それならどんなによかっただろう。それなら、わたしもあのひとと同じクオーターということになる。
クオーターでなくても、もしも母に似ていたら、それはそれでいいなと思う。わたしの母は色が黒いからだ。
しかし、というか、ところで、というか、わたしには、わたしの肌が白いのを不審に思う気持ちがあった。わたしは母から生まれたのに、どうして父に似るのだろう。もう子どもではないから、そのへんの事情くらい知っている。知ってはいたが奇妙に思った。
あのひとの声をわたしはまだ聞いていない。
わたしが知っているのは、名前と、住所と、電話番号だけだった。職員室にいったとき、名簿をのぞくことができた。
あのひとについての情報をわたしはその場で暗記した。お手洗いにいき、生徒手帳に書きつけた。その足で図書館にいき、住宅地図をコピーした。マーカーでしるしをつけた。あのひとの家の右隣は高島さんで、左は山本さんで、道路をはさんで児童公園がある。
児童公園の中心に、丸太やタイヤを組み合わせたアスレチック遊具がある。中央に、物見櫓(ものみやぐら)のようなものが建っていて、三角屋根の頂点に旗をかかげている。街灯は二本。おのおのの下に木製ベンチがあり、座り心地はあまりよくない。
その夜、わたしはそこにいき、腰かけたから知っている。
自転車でいった。三十分くらい、かかった。自転車で三十分ぶん近いあのひとの空気を吸ってきたということになる。
わたしの肌は灼けなかった。赤く腫(は)れるだけだった。
毎日、辛抱強く屋根にのぼったが、炎症がひどくなるばかりだった。水ぶくれがやぶれて爛(ただ)れ、痛かった。しかし、痛さのぶんだけ、あのひとに近づいた感じがした。
結局、あのひとと同じ肌色になれないまま、夏休みが終わった。
ほかに誰がいる
女友達への愛が暴走し狂気に変わる……衝撃のサスペンス
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