虎之助は旗本、有馬家の次期当主。ところが屋敷を一歩出れば、着流しを大きくはだけて目つきは鋭く、「若親分!」と方々から声が飛ぶ。じつはこの虎之助、侠客の大親分を祖父に持つ根っからのやくざだった……。風野真知雄の痛快時代小説シリーズ、『大名やくざ』。次々と舞い込む難題に、稀代の暴れん坊はどう対峙するのか? 読めば江戸にタイムスリップしてしまう、臨場感たっぷりの本書の第一話をご紹介します。
* * *
一
塵一つないほど磨き上げられた道場である。
広さは十坪ほどか。屋敷内の道場ゆえ、そう広くはない。
親子が竹刀を持って向かい合っている。
父、有馬則故。子は有馬虎之助。
二人とも青眼に構えている。
父・則故は、七十一(数え歳)という高齢にもかかわらず、背筋は伸び、構えも見事なものである。骨董のような構えとでも言うべきか。
一方の虎之助は、三十二というまだ青年と言っていい歳のわりに、覇気というものがまったく見られない。どこか投げやりな態度すら垣間見られるのだ。
「虎之助。切っ先が揺れておるぞ」
「自分では止めているつもりなのですが」
子の虎之助は首をかしげた。
「気合が足りぬからだ」
「だが、剣先が揺れてはいけないという理由はあるんですかね」
むしろ、剣先は揺れるほうがいいのではないか。そのほうが相手の動きに柔軟に対応できる気がする。
「屁理屈でごまかすでない」
「いや、そういうつもりはなく」
「くだらぬことを言ってないで、さあ、打ってこい」
まだまだ勝つ気でいるらしい。執念深い年寄りはいい死に方ができないと思うのだが。
「そのお歳で怪我をなさると長引きますよ」
「心配するな。そなたの竹刀などにまだまだ打たれはせぬ」
「そうまでおっしゃるなら」
虎之助はじりじりと右足を引き、ゆっくり竹刀を右の脇構えまで移動させた。
則故は死後硬直でもしたみたいに、微動だにしない。
刻限はすでに夕方に近い。
窓から陽が斜めに差し込んでいる。
六本木の高台にある千五百坪の屋敷は、よく陽が当たり、静かである。
長い静寂のあと、
「きぇいっ」
虎之助は高い声を張り上げ、身体を横に倒すように傾けると同時に、則故の胴めがけて竹刀を繰り出した。
「とぁっ」
則故の竹刀が少しだけ動いた。
だが、それは繰り出された虎之助の竹刀を上から強く叩いた。
このため、虎之助の切っ先は流れ、則故の胴を打てそうになかった。
そこで、足を踏ん張らず、則故のわきを駆け抜けるように進み、その際、竹刀を大きく振るって則故の背を打とうとした。
ところが、則故は思いがけない速さで虎之助の後方へ回り込み、竹刀を振り回す寸前の肩を、
パシッ。
と、鋭く打った。
「痛っ」
思わず声が洩れる。
だが、打ち込みは浅い。これが真剣でも、たいした傷にはならない。
虎之助は逃げながら体を落とし、父の小手を狙って竹刀を繰り出した。
それよりも則故の動きは速い。
ポン。
と、頭を叩かれた。
「あら?」
こっちの動きが見切られていたらしい。なおも、
ポン。
ポン。
と、二つつづけて打たれた。
ひどく屈辱を感じる打たれ方である。
「糞ぉ!」
正面から、打って出た。
真剣なら、相手は真っ二つというほどの剛剣。
だが、空を切った。
そのかわり、回り込んだ則故の竹刀が、これはかなりの鋭さで虎之助のわき腹を打った。
ドスッ。
「うっ」
息が詰まった。
さらに二の腕に一撃。
パシッ。
これで虎之助は竹刀を取り落とし、あまりの痛さに道場の板の上を二転三転した。
「あっあっあっ、痛たたた」
息はできないわ、痛いわで、顔を歪め、ごろごろと転がる。
ようやく攻撃は終わった。
有馬則故は、かつて旗本でも指折りの剣士として知られた。
さすがに動きもいいし、太刀筋は鋭い。
それにしたって七十一である。
──こんな爺いに。
と、虎之助は情けなくなる。
「大丈夫か?」
則故が訊いた。憐れみを含んだ声である。
「ええ、まあ」
虎之助は二の腕をさすりながら言った。
「ちと、力を入れ過ぎたか?」
「なあに、これしき」
とは言ったが、痩せ我慢である。
ほんとに痛かった。
もうすこし早めに止めてもらいたい。耄碌して、寸止めの加減が利かなくなっているのではないか。
「修行が足りぬな」
則故は情けなさそうに言った。
これでまた、用人の秋野忠右衛門に愚痴を言うのだろう。「まったく、あれがいつまでもしっかりせぬから、わしは家督をゆずれぬのだ」と。
そして、かならずやこう付け加えるのだ。「あれを一代飛ばして、孫の大次郎に家督を譲るか」と。
もしもそれができたら、用人はじめ、この家の関係者一同、大喜びするだろう。
「修行不足は承知しております」
「だったらそれなりのことをせよ。そなたは三千五百石、旗本有馬家の嗣子だぞ。剣の腕はもっと磨かねばならぬ」
「わたしは道場剣法というのがどうも苦手でして」
虎之助がそう言うと、則故は軽蔑したように笑い、
「負け惜しみを言うでない。道場で弱ければ、真剣だって弱いに決まっている。まだまだ腕を磨くことだ」
もう百回以上聞いた説教をすると、則故は足早に道場を出て行った。
これから寄合仲間の会合があるのだという。
今度は仲間同士で、だらしのない跡継ぎどもの愚痴をこぼし合うのだろう。
こうやって稽古に付き合わされるのが、のべつだと堪らない。だが、せいぜい年に二、三度のことなので付き合ってあげている。
当人は剣の稽古というより、虎之助の性根を試すというつもりなのだ。
剣そのものの腕については、すでに見限られているらしい。
父──といっても義理の父ではあるが──の退出を見送ると、虎之助はつまらなそうに竹刀を軽く振りながら言った。
「ちっ。わかってねえなあ、あのおやじも。この世でいちばん強いのは、やくざの剣法だってことを」
二
「ちっと出かけて来るぜ」
そう言って屋敷を出ようとした虎之助に、
「どちらに?」
と、家の雑事をつかさどる用人の秋野が訊いた。
この男は、虎之助と話すとき、いつも眉をひそめ、迷惑そうに話す。こいつが庭の草だったら、引っこ抜いて火にくべてやりたい。
「なあに、祖父の見舞いだ」
「丑蔵さんの?」
秋野が困ったような顔をした。
「おれの祖父はあの人だけだろうが」
「このあいだ増上寺の前でお見かけしました」
「それで?」
「お元気そうでしたが」
「そう見えるだけで、いつぽっくり逝ってもおかしくない。なにせもう六十八だ。それとも、祖父の見舞いなどはすべきではないと?」
「いえ、そういうつもりでは。お早いお帰りを」
それには答えず、虎之助は六本木永坂にある有馬家の屋敷を出た。
高台の屋敷である。
永坂を下れば麻布だが、しばらく平坦な道がつづく飯倉のほうへ向かった。
歩きはじめてすぐである。
虎之助は、妙なことを始めた。
ちょん髷の後ろ、たぼのところをふくらませ、鬢のあたりを掻くようにして、ほつれ毛を出した。
さらに、着物の胸元を大きくはだけさせる。
虎之助は上背がある。六尺(およそ百八十センチ)に一寸ほど足りないくらい。身体は引き締まって細身。盛り上がっているところはすべて筋肉である。
藍の生地で、黒いどしゃぶりのような縞柄の着物を着流しにして、一本差し。刀は、いまどき珍しいほど太く、鎧のようにがっしりした拵え。
それで、肩で風を切って歩く。
さきほど道場で見せた覇気のない態度とは、まるで別人のようではないか。
目つきは青眼の構えのように鋭く、斜めを見るときは八双の構え。
この姿は、三千五百石の大身の旗本の嫡男にはどうしたって見えない。どう見ても、
「やくざ……」
である。
ただし、「やくざ」という言葉、この当時はそれほど使われていない。
博打から生まれた言葉である。
おいちょかぶで、八と九の札を持っているのに、欲をかいてもう一枚引いたら三だった。八、九、三。合わせた数の一桁は零になり、いわゆるブタ。この世にあって、なんの役にも立たないというわけである。
当時は、腕と意気地で生きている男のことは、
「侠客」
とか、
「男伊達」
と、呼んだ。
ただし、それも過去のものとなりつつある。
「いまどき侠客なんて言ったって、ろくなもんじゃねえ。幡随院長兵衛は遠い過去の人になった」
などと言われた。
有馬虎之助もそれは承知している。自分でも、
「おれは侠客だ」
なんてことは言わない。
「そんな立派なもんじゃねえ。おれは、やくざだ。ろくでもねえごろつきだ」
と、言っている。
だが、不思議ではないか。
かりにも直参旗本三千五百石、有馬家の嫡男なのである。父の有馬則故が老齢にもかかわらずまだ家督をゆずってはいないが、いずれは当主になる身の上である。
さらに、奥方もいれば倅もいる身である。
それがなぜ、
「おれは、やくざだ」
などと自称しなければならないのか。
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