虎之助は旗本、有馬家の次期当主。ところが屋敷を一歩出れば、着流しを大きくはだけて目つきは鋭く、「若親分!」と方々から声が飛ぶ。じつはこの虎之助、侠客の大親分を祖父に持つ根っからのやくざだった……。風野真知雄の痛快時代小説シリーズ、『大名やくざ』。次々と舞い込む難題に、稀代の暴れん坊はどう対峙するのか? 読めば江戸にタイムスリップしてしまう、臨場感たっぷりの本書の第一話をご紹介します。
* * *
三
有馬虎之助は、この時点ですでに数奇な運命を辿っている。
実父の名は石野八太夫則員。旗本で、石高は三百石。
この石野家の五男だった。
本来なら、三百石の旗本の家で、冷飯食いである。一生、日陰の身。
ぐれる若者は多い。
かつて世を騒がせた旗本の不良集団、いわゆる〈旗本奴〉の類いも、たいがいこの口だった。
虎之助もそれでぐれた?
それは違っている。
虎之助は、妾腹である。妾腹というのも武家には多いが、ただの妾ではない。
石野八太夫は、麻布の屋敷から芝の神明さまの祭りに遊びに来て、そこで仔鹿のような身体つきをした、やけに気風のいい小娘に一目惚れした。
名前も勇ましや、辰。
可愛い顔をしているくせに、
「おれを口説きたいなら、命がけで来いや」
などと啖呵を切る。
そう言われて、石野八太夫はうっとりとなった。女に強く言われることを好んだのである。
「わしはお辰に、心底惚れたぞ」
というのは嘘ではなかった。しつこく、熱心に口説いてものにした。
あげくには子ができた。虎之助である。
この時点で、石野はようやく辰の父に会った。
なんと、辰の父は有名な侠客だった。
「火事の丑蔵」
と言えば、芝口南、芝から三田、伊皿子、高輪あたりまで知らない者はいない。
「最後の侠客」
と呼ばれたりもする。
じっさい若いころ、幡随院長兵衛に可愛がられたという。町人の不良ども、いわゆる〈町奴〉の頭として、旗本奴の頭・水野十郎左衛門と対立した、あの幡随院長兵衛。
芝から高輪あたりまで、飲み屋や岡場所などが揉めごとなく商売がやれているのは、丑蔵のおかげである。増上寺の門前に出る香具師たちも、丑蔵の子分か、あるいはきちんと許しを得た者だった。
むろん、お上にはないしょで賭場も開く。胴元は丑蔵である。
また、丑蔵は近ごろの侠客がたいがいそうであるように正業も持っている。それは駕籠屋で、二十丁ほど駕籠を持ち、大勢の若い駕籠かきを使っていた。
さらにもう一つ。丑蔵には若いときからやってきた仕事があった。
火消しである。
「火事の丑蔵」の綽名も、そこから来た。
このころはまだ、後のいろは四十八組から成る町火消しの制度はつくられていない。大名が自費で火消しを雇い、地元の火事に対処していた。
丑蔵はおもに、五年前まで築地にあった赤穂藩五万石・浅野家の上屋敷などに出入りし、火消しの頭として活躍した。
もちろん縄張りである芝から高輪界隈の火事でも出動する。
丑蔵が侠客という、憎しみも買いやすい仕事のわりに、地元で好かれていたのは、この火消し仕事での貢献も大きかった。
とはいえ、旗本・石野八太夫からすれば、堅気の人間ではない。
しかも、一人娘。男の兄弟もいない。
──とんでもないやつの娘に手を出してしまった……。
それが正直な気持ちだった。
「できちまったものはしょうがありませんが、ニキビやイボじゃねえんだから、しっかり責任は取ってもらいますぜ」
丑蔵はさらりとそう言った。
「もちろんだ。お辰にはちゃんと家を持たせ、食うに困るようなことはさせぬ」
石野は約束した。
だが、辰の実家も怖いし、屋敷の本妻も怖いとなれば、子どもが生まれた妾宅への足も遠のくばかり。
辰だって、来ない男をじっとりと待っている殊勝な女ではない。自然、芝の実家に虎之助を連れて遊びに行くことが多くなっていた。
こうして虎之助は、母の実家である侠客・丑蔵の家で、子分たちに囲まれながら成長する羽目になったのである。
四
なにせ、育った環境が環境である。
清廉で潔白で、礼義正しく、誰にも好かれる人間になれなどと、望むこと自体、間違いなのである。
つねに揉めごとが持ち込まれ、怒号が飛び交い、斬った張ったの怪我人たちが担ぎ込まれるような家である。
一歳のときからサイコロを転がして遊んでいた。
二歳のときには自然にイカサマの技も身につけた。
三歳から始めた戦ごっこでは、本物のドスを使った。
四歳のときには、すでに大人を脅していた。脅し文句はこうだった。
「いまは子どもの虎だけど、いつか大人の虎になるんだじょ」
語尾がいくぶんたどたどしかったが、立派な脅しになっていた。
八歳くらいになると背丈が伸びていたこともあり、カツアゲで得る銭も相当な額になっていた。芝の地元で町人の子を脅すと、あとで祖父の丑蔵に怒られるため、赤坂あたりまで足を延ばし、旗本や御家人の倅を狙うようになった。
「この分だと、どれだけ悪くなるか」
虎之助の行く末は、丑蔵の子分たちから大いに期待され、すこし心配されていた。
その虎之助が十歳のとき、大きな運命の変化が訪れた。養子の口が持ち上がったのである。
じつは、石野家というのは、久留米藩主の有馬家と縁が深い。
有馬家の祖というのは、播磨の守護大名として勇名を轟かせた赤松円心則村にさかのぼる。その赤松円心の娘婿に石野氏満という武将がいた。
いまの旗本・石野家はこれにつながる家系だった。
そして、石野家と有馬家というのは、そのときどきで縁戚関係を結ぶほど、近い親族でありつづけた。
その有馬家の分家筋で、三千五百石の旗本・有馬則故の家が、跡継ぎがなくて断絶するかもしれないという危機に陥ったのである。
親戚中探したが、適当な男子がいない。
いや、一人いた。石野家の忘れられた五男・虎之助。
このころには、辰は旦那が来もしない妾宅など売り払い、実家で暮らしている。
だが、とんでもない悪党に育ちつつある倅の話は、ちょいちょい八太夫の耳に入ってくる。そのうち、石野家でも責任を負わねばならないことが起きるのは間違いない。
石野八太夫は、なんとこの倅を、
「どうぞ、ご養子に」
と、有馬則故の家に差し出したのである。
五男の出世を喜ぶというよりは、
「厄介払い」
という気持ちが強かったに違いない。
「よいのか?」
有馬則故は喜んで訊いた。
「ややきかん気が強すぎるかもしれませぬ」
澄ました顔で言った。
「なあに男子はそれくらいでいいのだ」
「そういう太っ腹であられるなら、むしろ逸材」
逸材はないだろうが、とにかく差し出された。
石野の家は、六本木永坂を下ったあたりにあるが、この坂を上り切ったようなことになった。
三百石の旗本の家の冷飯食いが、三千五百石の旗本の嫡男。
これだけでも大栄達である。
男の玉の輿。
だが、有馬虎之助の栄達は、そんなものでは済まなかったのである。
五
虎之助は懐手をして芝の町にやって来た。
このあたりがいちばん賑わうのは、正月(旧暦)、桜のころ、神明さまの秋祭りのころ、そして年末といったところだろう。
いまは二月も末。町はいくらかは落ち着いている。
ただし、いくらかは、である。
芝の大半は、徳川家の菩提寺である増上寺と、子院が占めている。その足元に町人地である門前町が広がっている。
さぞかし門前町らしく、抹香臭い静謐さに包まれているかと思われるかもしれないが、そんなことはない。
だいたいが、大きな寺の門前には、かならず遊興の場所ができる。
しかも、この門前町の真ん中を貫くのは東海道。
とにかく、いつも人が多い。
こういう町は、猥雑で混沌の極みとなる。
虎之助はそんな町を闊歩している。
「虎之助さん!」
と、声がかかった。
「おう、舟次か」
まだ十七、八のあどけなさを残してはいるが、目元に険がある、いかにも不良顔の若者が、嬉しそうに寄って来た。
「おひさしぶりです。若親分」
「おい、若親分はやめろと言ってるだろうが」
「じゃあ、若棟梁」
「それも違うな」
「でも、虎之助さんは丑蔵親分のたった一人の孫で、跡目を継がれるお人だと、皆、言ってますぜ」
「皆言ってたって、違うものは違うんだからしょうがねえ。おじいの跡目は、弥次郎兄貴が継ぐことになってるんだ」
「はあ」
舟次は納得いかないように首をかしげた。
「おめえ、まだおじいのところにいるのか?」
「いますよ」
「早く足洗え。おめえはやくざなんか似合わねえ」
「足洗ったら、漁師になるしかないじゃないですか。あんな生臭い仕事は勘弁してくださいよ」
舟次は芝浜の漁師の倅なのだ。
「いいじゃねえか。毎日、海の上で仕事できるなんて」
「海の上のどこがいいんですか?」
「ぶんきが晴々するだろうよ」
「ぶんき?」
「気分だよ。ひねくれ者はなんでも逆さまにしたがるのさ」
虎之助がそう言って歩き出そうとしたとき、
──ん?
ごみごみした通りの先に、あまり見かけない男が立っていた。
堅気なら知らない男は大勢いる。だが、堅気でない男なら、この界隈で知らないやつはいない。
その男は、どう見ても堅気ではない。
──どこから来やがった?
虎之助は男に近づいた。
大名やくざ
虎之助は旗本、有馬家の次期当主。ところが屋敷を一歩出れば、着流しを大きくはだけて目つきは鋭く、「若親分!」と方々から声が飛ぶ。じつはこの虎之助、侠客の大親分を祖父に持つ根っからのやくざだった……。風野真知雄の痛快時代小説シリーズ、『大名やくざ』。次々と舞い込む難題に、稀代の暴れん坊はどう対峙するのか? 読めば江戸にタイムスリップしてしまう、臨場感たっぷりの本書の第一話をご紹介します。