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大名やくざ

2019.07.31 公開 ポスト

#5 江戸のやくざの抗争が始まる…粋でいなせな痛快時代小説風野真知雄

虎之助は旗本、有馬家の次期当主。ところが屋敷を一歩出れば、着流しを大きくはだけて目つきは鋭く、「若親分!」と方々から声が飛ぶ。じつはこの虎之助、侠客の大親分を祖父に持つ根っからのやくざだった……。風野真知雄の痛快時代小説シリーズ、『大名やくざ』。次々と舞い込む難題に、稀代の暴れん坊はどう対峙するのか? 読めば江戸にタイムスリップしてしまう、臨場感たっぷりの本書の第一話をご紹介します。

*   *   *

待っているあいだに──。

玄関回りをざっと見た。

(写真:iStock.com/Bulgnn)

丑蔵のところとはずいぶん違う。見た目がどこもかしこも、神社の境内のようにすっきりしているのだ。

柱から床まで鏡のように磨き上げられ、白っぽい土間は、一枚の石のように固められている。正面に神棚。なげしに槍。

丑蔵のところの店先など、通りと境目がないくらい、埃にまみれ、ごった返している。

「おや、丑蔵親分のお孫さんじゃないか」

女が顔を見せた。

歳は三十半ばほどだろう。

一度、挨拶したこともある。万五郎の二人目の女房で、おしまといったはずである。

ひどいご面相をしている。白粉のかわりにそば粉でも塗ったかというように、黒くてざらざらした風合の肌をしている。

やくざは見栄っぱりである。たいがい、驚くような別嬪を女房にしている。万五郎ほどの親分が、こんな女を女房にしたというのは、見栄を捨ててもいいだけのなにかが、この女にあるのだ。

「どうも、お邪魔してます」

「ううん、いいのさ。いつでも遊びにおいでな」

「ありがとうございます」

おしまが消えるとまもなく、

「おう、虎之助さん。どうしたい?」

いかにも大店のあるじ然とした万五郎が顔を出した。

たしか五代目で、歳は丑蔵より四つ五つ若い。

むろん初対面ではない。代々の墓が増上寺の子院の中にあるので、参拝に来たときは丑蔵にも挨拶して行くならわしだった。

その万五郎のわきに、相撲取りのような大きな男が座った。背丈は六尺をゆうに三寸は超えるだろう(およそ百九十一センチ)。目方のほうは、おそらく四十貫(およそ百五十キロ)はある。

いざ、なにかあれば、こいつが万五郎の前に立ちはだかるのだ。

「じつは、丑蔵おじいが斬られましてね」

「斬られた?」

「付け火がありまして、火消しに飛び出したところを狙われました」

「まさか、おれを疑ってるのか?」

「とんでもない。その前に、独眼竜の常を見かけているんです。それで、斬ったのは侍だそうでしてね。なんでも、こちらといさかいがあったとき、独眼竜は侍を連れて来たって噂を聞いてましてね」

やくざの動向は方々から伝わってくる。

虎之助が仕入れるのでいちばん確かなのは、町方同心である境勇右衛門という知り合いから入る話だった。

「聞いてたか」

「ええ」

「上方から来た武士だ。東軍流とかいう流派の遣い手らしい」

「東軍流ね」

鼻でせせら笑った。

「殴り込みを手伝って、近ごろ、常の野郎に道場を建ててもらった。いまや、弟子の数も百人近くいるらしい」

「ははあ。名前をご存じですかい?」

「松井金右衛門というのだ。道場は吾妻橋の近くにある」

「わかりました。それだけうかがえれば結構です」

踵を返そうとすると、

「仇を討つ気かい、水天宮の?」

と、万五郎が目を光らせて訊いた。

芝界隈を牛耳る丑蔵一家が、浅草の独眼竜の常を殺す。となれば、それもまた江戸のやくざの勢力地図を塗り替える。

この二十年ほど、ずっと安定していた江戸のやくざの力関係が、大きく崩れる兆候を見せ始めたのかもしれない。

「そりゃあ、おとなしく引っ込むわけにはいかねえでしょう」

と、虎之助は言った。

「松井ってのは、恐ろしく腕が立つぜ。虎之助さんも斬り合いで勝とうとは思わねえほうがいい」

「斬り合いじゃなかったら、なんで勝つんです」

「おれにまかせるこったな。飛び道具を使う手立てもあるんだ」

万五郎としては、虎之助に先んじられるのは嫌なのだろう。だが、江戸で飛び道具など使おうものなら、逆に万五郎一家がお上の手で壊滅させられる。

虎之助は余裕の笑みを浮かべて言った。

「なに言ってんですかい、鎌倉の親分。そんな野郎は、しょせん道場剣法でしょうよ。この世でいちばん強いのは、やくざの剣法じゃねえですか」

翌朝──。

虎之助は、丑蔵の家で目を覚ました。

(写真:iStock.com/jpskenn)

ここに泊まるのはしょっちゅうである。六本木永坂の家でも虎之助の外泊には慣れっこになっていて、もどらないからと心配されることはない。

昨夜、布団に入って、いろいろ策を練った。

完璧な策が浮かんだ。

朝起きると、まずは丑蔵の枕元に見舞った。

夜通し看病したらしく、辰がそばの長火鉢に肘をついてうたた寝をしている。

「おっかあ」

「あ、虎之助」

「おじいはどうだ?」

「ずっと眠ってるよ。夜、熱が出たんだけど、いまは下がってるね」

丑蔵は額に濡れ手ぬぐいをのせている。息は速いが、静かである。

「なんか食わなきゃ力もつかねえだろう?」

「ああ。牛の乳は力がつくっていうから、いま、目黒の百姓のところにもらいに行かせてるよ」

「牛の乳か。丑蔵だけに効くかもしれねえ」

「ほんとだ」

辰は笑った。

「おれは、また、ちっと出かけて来る」

「どこに?」

「有馬の家だよ。それと、昨夜おじいといっしょだった与平ってのに話を訊きてえんだ」

「上で寝てるよ」

「そうか」

二階に行こうとすると、

「虎」

と、辰が呼んだ。

「なんだい、おっかあ」

「あんたは旗本の跡継ぎなんだからね。わかってんだろう?」

それは辰から始終言われていることである。

辰は石野のおやじのことも、武士そのものについても、恨んだり馬鹿にしたりしているくせに、息子には旗本としてやっていけというのは、どういうつもりなのだろう。

「当たりめえだ。わからなくてどうする」

「余計なことに首突っ込むんじゃないよ」

「そりゃそうだよ」

とぼけた返事をして、虎之助は二階に上がった。

それから半刻(およそ一時間)後──。

虎之助と与平は浅草の吾妻橋近くにいた。有馬の家に行くというのは嘘だった。

「お、そこの道場かな」

朝稽古の声が通りにまで聞こえている。

通りに面した窓には、何人もの武士や町人が、中の稽古をのぞくのに張りついていた。

虎之助は窓に近づき、中を見た。

正面の神棚の下に、道場主らしき男が座って、七、八人の門弟たちの稽古を見ていた。

「駄目だ、駄目だ!」

道場主は立ち上がり、

「そなたたちは目が見えておらぬ。相手の目をよく見るのだ。それで全体を見れば、どんな細かい動きも見極められる。そなたと、そなたと、そなた」

三人を指名し、自ら木刀を取って、三人の前に立った。

「よいか、それぞれ勝手に打ち込んで来い。遠慮はいらぬ」

「そんな、よろしいので」

師匠に対して、三人で打ちかかることにためらっているらしい。

「来ないなら、こっちから行くぞ」

「わかりました」

三対一で対峙した。

「おりゃあ」

「たぁっ」

「きぇい」

掛け声が響くとすぐ、道場主が右から回り込むように動き、相手の木刀をかわしながら、胴、肩、腕と打った。

寸止めもしっかりできていて痛くもなかったのだろうが、それよりも三人は、師匠の目にも止まらぬ動きに呆然となった。

窓から中の稽古を見ていた者からも、

「凄いな」

「どれだけ強いんだ」

などと、次々に声が洩れた。

「おい、与平。いま、三人を打ちのめしたあの男。顔をよく見るんだ」

と、虎之助は言った。

「はい」

「おじいを襲ったのは、あいつじゃなかったか?」

与平はじいっと見ていたが、やがて目を見開き、

「あいつです。あの濃い眉と、奥目の面は間違いありません」

「よし、わかった。おめえはもう帰れ」

「まさか、虎之助さん。道場破りでも……?」

さっきの強さを見たからだろう。不安げな顔をしている。

「いいんだ。ここから先は丑蔵一家に関係ねえことだ」

「でも……」

「与平。おれがおとなしく言っているうちに帰れ。な、おれが怒るとどうなるかはわかってるだろ?」

虎之助が静かな声でそう言うと、

「わ、わかってます」

与平は後ずさりし、踵を返して駆け出した。

それを見送って、

「さて。まずはこの恰好じゃ駄目だ」

と、ひとりごちた。

あたりを見回す。

吾妻橋を本所のほうから渡って来た武士がいた。

歳は二十歳くらいか。背丈は虎之助とそう変わらない。

「おう、お侍さん」

虎之助は気軽に声をかけた。

「な、なんだ?」

「ちょっと、そこまで。ちょっとだけ」

無理やり袖を引き、裏通りに連れて行くと、

「おう、急いでるんだ。袴と羽織を貸せ」

虎之助はいきなりそう言った。

「な、なにを言うんだ?」

「怪我したくなかったら、早く脱げ。用が済んだら返す。どこに行くんだ?」

「浅草寺の前の古本屋に」

「だったら羽織も袴もいらねえだろうが。帰りにまたここに寄れ。そこの木にかけておくから」

凄まじい形相で言った。

「う、嘘ではないな」

「嘘なんか言うか。ほんとに脅すなら、おめえの巾着をもらうだろうが」

「わかった」

若い武士は、虎之助の迫力に負け、袴と羽織を脱いだ。

かつてはこうやって町を歩く武士から巾着を奪った。いまは、そんなことはしない。ちょっと袴と羽織を借りただけである。

すばやく身につけ、髪を整えた。

関連書籍

風野真知雄『大名やくざ』

有馬虎之助は大身旗本の次期当主。ところが屋敷を一歩出れば着流しを大きくはだけて目つき鋭く、「若親分!」と方々から声が飛ぶ。じつはこの虎之助、侠客の大親分を祖父に持つ根っからのやくざだった――。敵との縄張り争い、主筋の藩の跡目騒動、次々と舞い込む難題に稀代の暴れん坊がはったりと剣戟で対峙する!  痛快時代小説シリーズ第一弾。

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大名やくざ

虎之助は旗本、有馬家の次期当主。ところが屋敷を一歩出れば、着流しを大きくはだけて目つきは鋭く、「若親分!」と方々から声が飛ぶ。じつはこの虎之助、侠客の大親分を祖父に持つ根っからのやくざだった……。風野真知雄の痛快時代小説シリーズ、『大名やくざ』。次々と舞い込む難題に、稀代の暴れん坊はどう対峙するのか? 読めば江戸にタイムスリップしてしまう、臨場感たっぷりの本書の第一話をご紹介します。

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風野真知雄

1951年、福島県生まれ。立教大学法学部卒業。93年「黒牛と妖怪」で第17回歴史文学賞受賞。2015年、「耳袋秘帖」シリーズで第4回歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞を、『沙羅沙羅越え』で第21回中山義秀文学賞を受賞した。「極道大名」「大名やくざ」「女だてら 麻布わけあり酒場爺いとひよこの捕物帳妻は、くの一耳袋秘帖  眠れない凶四郎」「大江戸落語百景」「昭和探偵」などの人気シリーズや『恋の川、春の町』ほか著書多数。

 

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