そうそうたる時代の寵児たちとの華やかな交遊。そして、想像をかき立てられる江戸料理の数々。相次ぐ天災と混乱の時代に、料理への情熱と突出した才覚でその名をとどろかせた男がいた。その名も福田屋善四郎……。直木賞作家、松井今朝子の『料理通異聞』は、彼の波乱万丈の生涯を描いた作品だ。「料理を題材にした時代小説の最高傑作」とも評される、本書の冒頭をご紹介します。
* * *
昨夜の雨で山谷堀の水嵩が増した。薄墨色の雲から洩れた清澄な陽射しは濁った水面に幾片もの雲母を浮かべてみせる。
一艘の猪牙舟が紙洗橋を通り抜けて隅田川へ向かっている。上りの舟はまだ姿を見せない。堀端に軒を連ねた船宿も、今はまだ宵の戦に備えて高いびきといったところだろうか。
紙洗橋の上に立つと日本堤が思いのほか遠くまで見わたせた。初春の川風は冷たいが、土手八丁の芝草も、待乳山の緑もぐっと春めいていた。
人けのない早朝を狙ってここに立ち、今日やりたいこと、するつもりのことをぶつぶつと呪文のように唱えるのは善四郎が幼い頃からの習い性だ。いまだ十六歳の若者にさほどすることがあるはずもないが、唱えたら実行しないと気の済まない性分が、真一文字に引き結ばれた唇と頑丈そうな顎の線に現れている。切れ長の薄い瞼は大人びた印象を与えても、眼球の動きは童子も顔負けの活気に満ちて絶えず好奇心の矛先を示した。
昨日つい見とれてしまったのは、同い年でうちにいる見習いの繁蔵が、小刀を器用に操ってサリサリと鰹節を搔く手つきだった。見馴れたはずの光景が妙に胸をくすぐったのは、去年からしばらくわが家を離れていたせいかもしれない。
やりたいことは何であれ、即やってしまおうと決めたのも去年である。
天明二(一七八二)年、お盆の最中に江戸は大きな地震に見舞われた。戸障子がバタバタ倒れ、瓦がずり落ち、壁がひび割れして、善四郎は生きた心地もしなかった。だが元禄の大地震はこんなものではなかったと界隈の古老に聞かされて、この世の一寸先は闇、誰しも先のことはどうなるかわからないという気持ちが強まったのだ。
鰹節は小さめでカンカンと軽い響きがするのを使うこと。背の身の雄節よりも腹身の雌節のほうが削りやすいと教えてくれたのは、うちに古くからいて、今や鬢に白いものが混じりはじめた料理人の源治だ。善四郎は彼の許しを得て、まだ薄暗い厨の板の間に腰をすえた。
片襷で右袖をたくしあげ、刃渡り三寸五分の小刀をしっかりと握る。見よう見まねで動かす手つきが最初はどうにもぎこちなかったが、一定の拍子が整うと急に刃の滑りがよくなった。
「若旦那、初めてにしちゃ、なかなか堂に入ってますぜ」
声に振り向くと土間の櫺子から射す陽がまともに飛び込んで、善四郎は目を細めた。
「源さん、若旦那はよしてくれ。おいらまだ水野の小僧なんだぜ」
去年、元服したばかりの善四郎が水野の屋敷へ奉公に出されたのは今でもふしぎだった。なんとも遅ればせの丁稚奉公で、水野は母親が嫁ぐ前の奉公先とはいえ、料理とはまるで無縁な商売だから、実家の厨が何よりも懐かしくなり、昨晩たまの藪入りで戻るとここに入り浸りなのである。
源治は黙って、搔いたばかりの削り節を桐箱ごと取りあげた。そのまま土間の竈に向かって、銅鍋にたっぷり滾った湯に投じる。と、沸き返った湯の中はたちまち枯葉が舞い散る嵐のようだ。
しばらくして猪口に汲まれた琥珀色の一番出汁は、小気味のいい香りで鼻をくすぐり、すっきりした旨みで舌を満たした。
にもかかわらず、残念ながら店ではこれを使ってもらえないらしい。
「今日は正法寺さんの御斎で手いっぱいだぜ」
と親父に目を剥かれて、善四郎は少なからずがっかりした。
ここ浅草新鳥越町界隈は寺町で、店は一年の大半を仏事の仕出し料理に追われている。殺生を禁じた仏の教えに従って魚鳥を使わない精進料理となれば、本来は鰹出汁も禁物なのだ。
たとえ刺身でも、葛粉を溶かして冷やし固めた水蟾で魚肉の代用をするのが精進料理だから、手が込んでいても、一番食べ応えのあるのは粒椎茸といわれるほどに、食材の幅が狭いのは如何ともしがたいのであった。
もっとも親父の店、福田屋は界隈でも御斎がいいので評判だ。何しろ料理屋を創める前は八百屋だったので、精進の蔬菜や乾物の仕入れはお手のものである。
八百屋の前は、今の神田が福田村と呼ばれていた大昔の百姓で、それが屋号の由来と聞かされている。
いくら御斎の評判がよくても、御斎を目当てに仏事を営む人はいないので、評判はこの界隈に限られた。おまけに精進料理では鰹の出汁さえ使えないのがつまらない、というような気持ちがつい善四郎の顔に出たのだろうか。源治がやけに真面目くさった顔で話しだした。
「そりゃ清まし汁の吸物となれば鰹の一番出汁に限るだろうが、煮炊きをする分には、干瓢でも決して馬鹿にゃできませんぜ。若旦那、これをちょいと口に入れてごらんな」
と差しだされた平皿には干瓢といっしょに煮た油揚げが寝そべっている。
油揚げをつまんで口もとに寄せると日向臭いような匂いがした。嚙めば大豆の甘みがじわじわと口中に広がって、善四郎は母親の懐に抱かれたようなほっこりした気分だ。干瓢の出汁は強い主張がなくとも、大豆の仄かな甘みを損なわずに巧く引き立てている。
いわば目立たない縁の下の力持ちが世の中を支えるようなもんだ、と善四郎は干瓢の出汁を認めた。源治はなおも説教を垂れ続けた。
「昆布にしろ、椎茸にしろ、出汁ひとつでがらっと味が変わります。世間も色んなやつがいてこそ面白くなる道理でさあ」
なるほど、料理はひとつの世界だった。そこには山もあれば海もある。選り分け切り分けした山海の幸にさまざまな出汁を染み渡らせ、塩や砂糖や醬油や酢や味噌をまとわせ、甘い鹹い酸い苦い辛いの五味が調和した美味なる世界へと導くのが料理人なのだろう。
そう思うと善四郎は早く料理人になりたいのだけれど、源治は笑ってあっさりとかわした。
「まず今は橋場のお屋敷で、立派な旦那になる修業をなさいまし」
隅田川に吾妻橋が架かったのは安永三(一七七四)年、善四郎が七つの年である。大昔は吾妻橋よりもう少し川上に橋があって、それが橋場という町名の由来だと聞いている。
今はそこに橋の長さに負けない百間もの黒板塀を張り巡らした、大名の下屋敷と見まごうような商家があって、主の名は水野平八。御金御用商という、まさしく大名相手の金貸し業をしている人物だった。
母親が福田屋へ嫁ぐ前に水野家で女中奉公をしていた縁によって、善四郎は去年の正月、黒紋付きの正装で挨拶に連れて来られた。屋敷の中は広すぎて、蜿々と続く廊下では迷子になりそうだった。縁側で、ずらずら並んだ土蔵を数えても途中から数がわからなくなった。庭に植わった紅梅白梅は最初から数える気にもなれなくて、ようやく辿り着いた離れの座敷に主人はいた。思ったよりも若く見え、切れ長の薄い瞼のわりには目つきに温かみが感じられた。
初対面のはずが、相手は懐かしそうな声で、
「ほう、大きくなったのう」
「親父様によく似ておりましょう」
と横の母親が面映ゆげな笑みを浮かべたのは、子心にも何やら妙な感じがした。うちの親父はぎょろっとした目玉をしていて、自分の顔とはあまり似ていないはずなのである。
その離れの座敷では床の間の前に金屏風が立てまわされて、中の一畳に緋毛氈が敷いてあった。その端にはみごとな黒蒔絵の鬢盥と白木の三方が置かれ、善四郎がいわれた通り真ん中に座ると、主人は三方に載せた剃刀を取りあげて前髪に当てた。月額をきれいに剃りあげるのは廻り髪結の手に委ねられたが、善四郎は水野平八がいわば烏帽子親となる恰好で立派な元服式を遂げたのである。
そのまま同家に留め置かれて、しばらく奉公させられることになったのもまた実に意外な成りゆきで、当座は眠れぬ夜を過ごすはめになった。
奉公始めはこの広い屋敷で雑巾がけでもさせられるのかと怖気を震ったが、善四郎は主人の居室にいて来客に茶を出したり、ときどき使いにやらされる程度の軽い勤めで、わりあい気楽な日々が過ごせている。しかし源治のいう「旦那になる修業」でここの主人を見習おうとしても、そう役立つようには思えなかった。金勘定ひとつ取っても、うちとはてんで桁からして違うのである。
ただここに来て少しよかったと思うのは、侍というものをそれほど恐れなくて済むようになったことくらいだろうか。ここをよく訪れるのは諸藩の御留守居役といった、いずれもそこそこの年輩で堂々たる風采の侍だが、水野の主人にはみな頭の上がらぬ様子が如実に窺えるのだった。
たまに勘違いして押し借りに来る無頼の侍もいたが、腕の立つ武芸者の食客が何人かいて、迷惑な珍客は大概玄関払いを喰わされる。大名家の御曹司といった高貴な珍客が押しかけて来た際は、向こうも半ば悪ふざけと承知の上で、主人は自らの懐からいくらかを包んで引き取らせている。
しかしながら、今日は主人がちょっと苦手とする手強い珍客が訪れていた。
「千満様にも困ったもんだ」
と主人がいつぞやぼやいたことで、善四郎はその娘の名を知った。歳は自分とあまり違わないようだが、それにしてはどうも、しっかりし過ぎているというべきか。
千満がここを訪れたきっかけは定かでない。恐らく当初は家人の誰かに頼まれたか何かしたのだろう。旗本の令嬢となればそうそう無下には扱えず、またか弱い娘を使った押し借りは町人でもあまりしない阿漕なやり方だから、逆に主人は不憫がって、初手にわずかな金を包んだのが運の尽きだと今に後悔している。
以来、千満は若党や中間をお供にせず、腰元の女中ひとりを連れたお忍びで、ここへたびたび無心に押しかけて来た。そのつど片意地な表情で粘り強く居座るので、主人も持てあましているのだ。
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