そうそうたる時代の寵児たちとの華やかな交遊。そして、想像をかき立てられる江戸料理の数々。相次ぐ天災と混乱の時代に、料理への情熱と突出した才覚でその名をとどろかせた男がいた。その名も福田屋善四郎……。直木賞作家、松井今朝子の『料理通異聞』は、彼の波乱万丈の生涯を描いた作品だ。「料理を題材にした時代小説の最高傑作」とも評される、本書の冒頭をご紹介します。
* * *
このところ善四郎は腹に大きな風穴が開いたようで、何をするにも力が入らない。こんなに応えるほどのことでもないはずなのに、我ながら情けないと思っても、ともすれば千満の可愛らしい顔が瞼に浮かんでくるのだ。今や実家を離れて御殿奉公をする身の上では日々さぞかし気苦労が絶えぬであろう、なぞと心配しながら、時にはわざと片意地な表情を目に浮かべて、あの娘ならどこでもしっかりやっていけるだろうと思い直すのだった。
あの娘も奉公先で苦労しているのだから、自分も負けてはいられないと思うが、実のところ善四郎は水野の屋敷でさほどの苦労をさせられているわけでもない。実家にいるほうが店の仕事でもっとこき使われるだろう。
ここの主な仕事は莫大な金勘定と貸借の談合で、いずれも小僧の出る幕はなかった。
したがって、ここでは何を見習えばいいのかもわからぬままで、奉公の理由がいまだにさっぱり呑み込めないのである。
思えば元服の日に、親父は例のぎょろっとした眼でじいっとこちらを見ながら、妙な言葉で送り出したのだった。
「お前さんは大切な預かりもんだから、たまにはお返しをしねえとなあ」
「父つぁん、預かりもんとは何のことだ?」
と、あの時あっさり訊いておけばよかったと、今になって後悔している。
新鳥越町で料理屋を営む親父は容赦なく倅を叱りつけ、何くれとなく用事をいいつけてこき使った。倅も親父にしょっちゅう小遣いをせびっては、時に喧嘩をし、悪さをした。互いに遠慮というようなものは微塵もなかったはずなのに、ここに来てからはたまに実家に戻っても、親父とは妙に顔が合わせづらくなっていた。
善四郎はあれこれと悩んだ末に、そうだ、俺には親父がふたりいると思えばいい、と決めた。つまり他人様より得をしているのだから、その分、他人様に何かお返しをしなくてはならない、なぞと妙に考えるようにもなったのである。
たまに主人の肩を揉んでいると、相手はねぎらいでなく、詫び言のようにしみじみというのだった。
「そなたには、いかい苦労をかけるのう」
苦労といわれても、ここでは本当に苦労と呼べそうなものがなかった。むしろ主人のほうが、肩の凝り具合からしても、よほど苦労をしているように見える。
夜は他の奉公人と雑魚寝をし、朝晩の食事も皆といっしょに台所の隅で手っ取り早く済ませるが、善四郎はそれが別段苦にはならなかった。夕餉でも飯と汁に煮染めと沢庵二切れなのは食べ盛りの身でいささか淋しいとはいえ、時には主人のお供で頗るいい思いをさせられている。
諸大名家の留守居役らを接待する場として、主人はよく料理茶屋を使った。善四郎が最初にお供したのは隅田川を少し下った先の、紺暖簾に「葛西太郎」と染め抜いた店である。主人が留守居役と密談をするあいだに、善四郎は控えの間でここの名物料理をお相伴した。実家で味わえなかった初物もあったので、帰り道ではついつい余計なおしゃべりが出た。
「鯉の洗いは、食べ始めはちと泥臭い気がしましたが、味はいなだに似ていかにも涼しげで、味わううちにだんだんと清々しい香りになりました。甘い味噌仕立ての濃漿でも香りが失せぬのはみごとで、さすがに鯉だけのことはございます」
小僧からそう聞かされた主人は呆れたように笑っていたが、以来、善四郎が料理茶屋にお供をさせられる回数が増した。
主人が三日にあげず出向くのは橋場に近い真崎の甲子屋で、そこの二階から見た隅田川縁の眺めは素晴らしくて、それもまた料理茶屋の大きな売り物とみえた。
日本橋中洲の四季庵や、伊勢町河岸の百川にも主人はちょくちょく足を運んでいるが、一番近くにある善四郎の実家の福田屋は、残念なことに接待の場としての出番はないようだった。
水野家の数ある法要には欠かせない福田屋も、大名家の留守居役を招いて接待するほどの店ではないらしいのが善四郎は残念だった。御斎の精進料理は所詮その場かぎりの賞翫に終わって広く世間の評判に上ることはないのだろうし、うちには売り物になるような眺めもなかった。
片や評判の店には、人はいくら遠くてもわざわざ足を運ぶのである。一番遠い店は深川の洲崎にあって、そこは大海原に面した二階座敷の眺望が料理の味をいっそう引き立てるとの評判だった。
沖合に上総国望陀郡、木更津辺が見渡せるこの店には「望陀覧」という文字を鋳物で記した扁額が大広間に掲げてある。額のほうは望陀と書いて「ぼうだ」と読ませるらしく、すなわち酔いどれ仲間をぼうだら組と呼ぶのにちなんだ恰好だ。
その文字を書き与えたのは去年初冬に他界した出雲松江藩先代藩主の松平南海公で、早くに隠居し道楽大名として名を馳せた人物である。彼の次男に生まれた現藩主もまた茶の湯の道楽で知られて、後に松平不昧公を称するようになった。
「望陀覧」の扁額とは別に、店の表を飾る藍染の暖簾には「升屋」の名が染め抜かれていた。
亭主の升屋宗助はすでに剃髪し、今は祝阿弥を名乗っているが、阿弥号を持つ人ながら殺生をしないというわけではなくて、いまだ包丁を握らせたら天下一の腕前で大勢の賓客を惹きつけている。
今日は珍しく片襷をしたまま先に座敷へ顔を出して、柔和な笑みを浮かべながら挨拶代わりに陽春の献立を述べたてた。
「初めの吸物は変わり映えもいたさぬ鯛の切身でございますが、二椀目は赤魚を潮仕立てで。次は馬刀貝を薄味噌仕立ての吸物に。硯蓋の口取り肴には伊勢海老をご用意しております。向付は猿頬貝にたらこを付けてお召しあがりを。煮物は鴨と蒟蒻を煎鳥にして、焼物は甘鯛の焙烙焼き、ほかにも塩鯛やさよりなど酒の肴を何かと取り揃えております」
善四郎はその献立を聞いて、さすがに目の前が海だからと感心するほかなかった。ただ魚介の種類が豊富なわりに手の込んだ料理は意外に少ない気がしたが、その一部でも主人のおかげで口にできるのは有り難い話である。
控えの間で主人を待つ善四郎に用意された吸物に入っていたのは、しかし鯛の切身ではなく、頭であった。汁をひと口飲めば脂の甘みと絶妙の塩加減が舌を喜ばせ、目の下の皮をぺろりと剥げば、鯛の中でも一番の好物が現れた。ふうわりとした頬肉や眼肉の身を丹念にせせり続け、どろりとした目玉までずるっと啜って善四郎は大いに満足した。よほど新鮮な鯛でないとこうはいかない。やはり江戸一番の潮汁というべきか。ただし他の皿には鴨の煎鳥が申しわけ程度に添えられただけだから、香の物とご飯は早喰いの習い性で、あっという間に食べ尽くしてしまった。
手持ち無沙汰に障子を開けると、潮騒に誘われるようにして廊下へ出ていた。欄干越しに見えるのは波穏やかな晩春の海。入り日間近の水面が鴇色に燦めいている。
砂浜が風除けの松並木で仕切られ、青松の内側をさらに竹垣で囲った風雅な庭には趣のある庭石が面白く配置され、そこに泉水まで廻らして、瀟洒な数寄屋が二軒もあった。
小高い築山の横は、まだ貧弱な若木を四隅に植えた三間四方の砂場になっており、そこでふしぎな動作をしている人影が見える。善四郎はそぞろ気になって廊下に足を進めた。ちょうど斜め上から見おろすあたりで腰をおろした途端に、何かが欄干を飛び越えて目の前にポンと音を立てて落ちた。
一瞬びっくりしたが、落ち着いて見れば白くて丸い毬で、手に取ると柔らかな鞣し革に触れた。
下の方にざわめきが聞こえ、欄干の隙間から覗くと、誰かがこちらを見あげてさかんに手招きをしている。光沢のある小袖に括り袴を着けた、どうやら身分の高そうな人だから、毬を上から放り投げるのも憚られ、
「はい、はい。ただいま」
善四郎は二階から急いで段梯子を駈け降りたところで、その人にぶつかった。
髻を高く刷毛先をぴんと反らせた流行りの本多髷に結った若い侍のようで、浅紫と萌葱色を片身替わりに仕立てた大胆な意匠の小袖には、剣方喰の紋が刺繡してある。紺地の括り袴に差した小脇差は白鮫に金無垢の柄頭だ。眉目も整い、鼻梁のすっきり通った気品のある面差しで、髭の剃り跡も鮮やかな好男子だが、
「遅い、遅い、もそっと遅ければ余が駈け上がるところだった」
見かけによらぬせかせかした口調で、毬をひったくるように取りあげられて憮然とするも、相手の目は笑っているから善四郎も気が楽だ。
位が高い武士とは承知の上で、ついまた余計な口をきいてしまう。
「その白い毬を、いかがなさるのでございましょう?」
「これか、これは、こうするものだ」
相手は毬を足の爪先でポンと蹴る。高く弾んだ毬の行方を目で追いながらまたせかせかと歩きだし、急にくるりと振り返って莞爾とした。
「すまん、礼をいい忘れた。かたじけない」
「とんでもない。わたくしはただ……」
こちらが話す間ももどかしそうに相手は再び慌ただしく遠ざかってゆく。善四郎は狐につままれたような面もちでふらふらと後について行った。
そこはまさしく狐の溜まり場だった。青松からこぼれる赤い陽射しの中で白い毬が狐火のようにふわふわ飛んでいた。周りには美しく着飾った狐たちが足を高く上げながらぴょんぴょん跳びはねている。黄昏時のなんとも妖しげな光景に、善四郎は足がすくんだように動けなくなった。
料理通異聞
そうそうたる時代の寵児たちとの華やかな交遊。そして、想像をかき立てられる江戸料理の数々。相次ぐ天災と混乱の時代に、料理への情熱と突出した才覚でその名をとどろかせた男がいた。その名も福田屋善四郎……。直木賞作家、松井今朝子の『料理通異聞』は、彼の波乱万丈の生涯を描いた作品だ。「料理を題材にした時代小説の最高傑作」とも評される、本書の冒頭をご紹介します。