そうそうたる時代の寵児たちとの華やかな交遊。そして、想像をかき立てられる江戸料理の数々。相次ぐ天災と混乱の時代に、料理への情熱と突出した才覚でその名をとどろかせた男がいた。その名も福田屋善四郎……。直木賞作家、松井今朝子の『料理通異聞』は、彼の波乱万丈の生涯を描いた作品だ。「料理を題材にした時代小説の最高傑作」とも評される、本書の冒頭をご紹介します。
* * *
ふいに横で低い声が聞こえた。
「酒井の若殿は何をさせても器用なもんだ」
別に感心するのでもなく、揶揄するのでもない、ただただ傍観する人の声であった。
振り向くとすぐそばにまた侍がいた。こちらはそこそこの年輩だが、身分がさほど高いようには見えない。顔は陽に灼けて鞣し革のような色をしている。着物の襟はくたびれ、袴も膝のあたりがすり切れているのに、羽織だけは黒縮緬の、どうやら新調らしく、同じ黒でも脇差の柄巻はえらく色褪せてどうにもちぐはぐな感じだ。
ついじろじろ見てしまったせいか、相手がこちらにきょろりと眼を向けた。眼は張りがあって外見に似合わず若々しい輝きを放ち、表情にも不屈の覇気のようなものが見え隠れする。
先ほどの若侍が姿も美々しく大海を泳ぎ渡る鯛とすれば、こちらは泥中に香気を放って今にも滝を登らんとする鯉であろうか。
「小僧、何か用か」
「いいえ、別に……」
相手はこちらの足もとをちらっと見た。
「庭下駄くらい履いておけ」
「あっ、こいつァどうも……」
相手のいい方に親しみが持てたので、善四郎は彼方を指さしながら思いきって尋ねてみた。
「あのう……あれは何をなさっておるのでございましょうか」
「ああ、蹴鞠という古くからある遊戯だが、今ではなさるのも京のお公家衆かお大名方ばかりだろうに。毬場まで設けるとは、さすがに名代の料理茶屋だのう」
「左様ならば、先ほどわたくしから毬を受け取って行かれた若いお侍も……ああ、あのお方でございますが」
と毬場の人を指させば即座に答えが返ってきた。
「おお、あれは酒井雅楽頭様のご舎弟だ」
「へええ、あのお方が……」
元服したばかりの善四郎とて、徳川譜代の筆頭と目される名門中の名門で、姫路藩十五万石を領する酒井雅楽頭家がどれほどのものかは承知していた。
前松江藩主から「望陀覧」の別称を頂戴した料理茶屋には大名家の訪れがあってもふしぎはない。とはいえ商家の小僧が酒井家の若殿と直に対面して口がきけたのは滅多とない僥倖ではなかろうか。善四郎は根っからあまり人怖じをしない性分だが、水野の屋敷に来てからはさらにそれが鍛えられ、磨きがかかったようである。
しかし世の中、上には上があって、
「どうだ小僧、あのお方はああ見えて存外せっかちだったろう。ハハハ、まさしく尻が焼けた猿のように腰が落ち着かん人だ」
大胆な放言に善四郎はごくりと唾を呑み込んだ。一体この侍は何者だろうかと訝っていたら、急にあたりが騒々しくなった。
「ああ、先生、ここにおいででしたか」
身なりのいい裕福そうな町人が侍の周りにぞろぞろと押し寄せている。
「土山様も先生をお捜しでございましたぞ」
そう聞くなり侍はちょっと慌てた様子で立ち去ろうとする。つられたように善四郎は慌てて声をかけてしまった。
「あの、あなた様のお名前は?」
「俺か、俺は直参の大田直次郎だ。小僧、縁あらば、また会おう」
侍が鮮やかに立ち去ったあとは日没と重なって、あたりは急に薄暗くなった。気がつけば毬場の人影も消えてひっそりとしている。善四郎はしばしぼんやりとその場に佇んで、ふしぎな邂逅の余韻に浸っていた。
酒井家の若殿にしろ、彼をせっかち呼ばわりした侍にしろ、この店では皆が身分というものに余り囚われていないようで、ここが人を惹きつける理由はそこにもありそうだった。
帰りの舟の中で善四郎は今日の出来事をひとまず主人に報告したところ、相手は思いのほか熱心に耳を傾けて、ついには感慨深げにこういった。
「人は会おうとしてもなかなか思い通りに会えるもんではないが、ほんのわずかの隙に、そなたは随分と面白い出会いをしたのだのう。生まれもって人を引き寄せる神通力のようなものが備わっておるのかもしれん」
帰宅早々に今度は居室の手文庫から一冊の本を取りだして畳の前に置いた。
「これはこの春に出たもんだ」
薄い冊子で茶色い表紙には「萬載狂歌集」と記した題箋が貼られている。
主人はぱらぱらと冊子の丁を繰って、
「そなたが見たのはたぶん、この男だ」
と指さした箇所には「四方赤良」と名が記され、その横に和歌らしきものが書かれている。
世の中はいつも月夜に米の飯
さてまた申し金の欲しさよ
「ハハハ、これはまたなんとも正直な」
善四郎は思わず笑ってしまったが、この本が出たおかげで世間には今こうした狂歌というものが大いに流行りだしたらしい。
升屋の庭で見かけた侍はこの本の撰者で、大田南畝という筆名でも知られた文人なのだと聞かされた。
さすがに江戸一番の料理屋にはさまざまな人が出入りするものだと感心する一方で、肝腎の料理はどうだったかと主人に訊かれて、善四郎は正直に答えた。
「鯛の潮汁はたしかに天下一品でございました。ただ亭主の包丁捌きが売り物の店と伺っておりましたのに、わたくしのほうにはそうした料理が一向に出て参りませんで……」
別に不平をいったつもりはなく、幸い主人もそうは受け取らなかったようである。
とはいえ月が替わらぬ内に再び升屋へお供する機会に恵まれて、亭主の祝阿弥と直に対面が叶い、
「この者に、包丁の腕を見せてやってはもらえぬか」
と主人が頼んでくれたのは望外の成りゆきだった。
「お安いご用でございます。まあ、わしについてらっしゃい」
善四郎は導かれるままに段梯子を降りて、長い廊下を経巡った末に辿り着いた厨は、あっと声をあげたくなるほどの広さだった。
板の間だけでも五十畳敷きほどはあるだろうか。向こうの土間も板の間の半分はゆうにありそうだ。三方の棚に膳や食器がずらりと並ぶのは実家も同様ながら、規模が違って圧倒された。土間に並んだ竈の数も桁違いである。無数の鍋釜がぐつぐつと煮えたぎって得もいわれぬ匂いを醸しだし、そこかしこにいる料理人が湯気で白く霞んで見えた。
升屋の亭主宗助が剃髪して祝阿弥を名乗ったのは、京の円山に古くから六軒ある料理茶屋の亭主がいずれも妻帯した僧侶で阿弥号を称し、自身もそこで修業していたからだといわれている。
京の都では古来さまざまな料理の技が芽を出し、葉を茂らせ、枝分かれして伸張し、専ら僧家が世に広めてきた。江戸の升屋は京に肖る形とはいえ、京にはとても真似できないものが二つある。それは座敷に居ながらにして望める大海原の絶景と、新鮮な海魚だった。
厨の裏手には太い青竹を使って海水を引き込んだ生け簀まであることに、善四郎はほとほと驚かされた。海に面したこの店ならではの工夫で、他の店が真似しようとしても到底できない仕組みである。
生け簀で泳ぐ大きな鯛が一尾、亭主の網に掬われて土間に連れて来られ、白木の俎板に載せられてもまだぴちぴちと跳ねまわっているが、亭主は手拭いを使ってその頭をがっちりと押さえつけた。
出刃包丁の峰でカツンと強く頭を打たれた鯛は、一瞬にして気を喪ったようにじっとした。次いで頭の付け根に出刃がザックリと打ち込まれ、断末魔を迎えた鯛は胸びれをばたつかせる。亭主はさらに尾の付け根にも刃を入れて、尾からぶら下げられた鯛は白い俎板が一面真っ赤に染まるほどの鮮血を迸らせた。それは魚の捌き方に馴れた目にも電光石火の早技と見え、またいささか残酷な光景とも映じた。
「鯛の骨は並外れて硬いがゆえに、人の首を刎ねるほどの思いきりが肝腎」
淡々とした口調で、亭主は血に染まった手を桶の水で洗い流した。
「すべからく生き物の命は迅速に絶つべし。ぐずぐずすれば苦しみがいや増すばかりで、総身に苦汁がまわって不味くなる」
なるほど、そういうことか、と善四郎は合点した。
「こうして敢えなく命を落とした鯛も、我らが旨しと喰うてやれば、それが良き供養となる。ただ日ごと夜ごとに生き物の命を絶つのは誠に因果な気がして、わしは頭を丸めましたのじゃ」
思わぬ告白は、包丁の妙技にも勝って善四郎の胸に強く響いた。
朱に染まった俎板は桶たっぷりの水できれいに洗い流され、再びそこに載った鯛は出刃先で丁寧に鱗を搔かれ、たちまち三枚におろされてゆく。亭主は片身を握って素早く皮を引き、皮の先が俎板にピシャッと小気味のいい音を立てた。
包丁の入れ方次第で鯛の身は面白いように姿を変え、味を変える。繊維に沿って鮮やかな切り口を見せるのと、繊維を断つように削ぎ切りにしたのとでは、同じ魚とは思えないくらい歯ごたえも舌触りも全く違うのだと亭主はいう。
亭主は途中から包丁を荒っぽく使いだして、骨から搔き取るようにした鯛の身を素早く煎酒にからめた。その鯛膾は当然ながら見た目が悪かったが、亭主に喰ってみろといわれて口にしたら、煎酒が身にしっかりとからんで、今までになく味わい深い膾であった。
煎酒の作り方は酒に梅干しと鰹節を加えて煮詰めるという、福田屋とほぼいっしょだから、どうやら鯛の切り口をわざとざらつかせたところがミソらしい。さすがに江戸一の庖丁人といわれる男は包丁の技だけでもさまざまな味が創りだせるのだった。
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