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古典にすべてが書かれている。

2020.04.05 公開 ポスト

【考える時間】とにかく生きよ。人生の教訓に満ちた不朽の名著『エセー』【再掲】坂口孝則

外出自粛で増える自宅での時間。それは自分を見つめなおすのにもってこいです。今日は、古典の名著からその時代、時代を生き抜くスキルを考える過去記事をご紹介します。

*         *        *

◎今回取り上げる古典:『エセー』(モンテーニュ)
 


誤読が新しい解釈を生む

かつて、私はロックやメタルを聴いては、耳でその音をコピーしていた。中学から高校のころだ。私はさほど耳が良いわけではない。コピーする。そして、雑誌などを買って答え合わせをする。すると、一部が間違っている。「これ正しいの?」と疑って、違う雑誌を買ってみる。すると、やはり私が間違っているとわかる。

これは多くの音楽少年が経験する道かもしれない。どうしても聞き取れない音やコードがある。3歳くらいから音楽教育を受けているわけではないから、絶対音感もない。だから、自分には楽器を弾く才能がないのではないかと絶望に浸る。

私が当時、購入していた音楽雑誌で、忘れられないコメントがあった。細かな文面は異なるかもしれない。ただ、文意は正しいはずだ。まず、その雑誌にはQ&Aコーナーがあった。そして、ある読者が、プロのミュージシャンに、「自分はどうしても、正しい音を耳で聞き取れない」と相談していた。

すると、回答者であるプロミュージシャンは「しかし、間違っていても、あなたにはそう聞こえたのだから、いいじゃないですか」と答えていた。そして、「新たな楽曲を作っているようなものです」といった答えに感心した。いまでは、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論に通じるような議論を想起する。しかし、私がいいたいのは、そのような衒学的な内容ではない。

あるひとが、Aという音を送る。Aと受け取るひとがいる。しかし、なかには、Bと受け取るひとがいる。その誤配によって、違う解釈が生まれ、あらたな創造物が誕生する可能性がある。

音痴と聞き取りベタを棚に置いたまま、私はすばらしい可能性を感じたものだった。ややおおげさにいえば、世界の可能性が開いた気がした。「正確に読まなくてもいい」「正しく聴かなくてもいい」。そのあとの、自分の咀嚼が価値あるものであれば、それはすべて肯定される――。世界は自由なのだ。

私が、古典を誤読してもいいのでなんらかのヒントを得ようと訴える当連載の、30年も前のことだった。

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坂口孝則

1978年生まれ。調達・購買コンサルタント、未来調達研究所株式会社所属、講演家。大阪大学経済学部卒業後、電機メーカー、自動車メーカーに勤務。原価企画、調達・購買に従業。現在は、製造業を中心としたコンサルティングを行う。著書に『牛丼一杯の儲けは9円』『営業と詐欺のあいだ』『1円家電のカラクリ 0円iPhoneの正体』『仕事の速い人は150字で資料を作り3分でプレゼンする。』『稼ぐ人は思い込みを捨てる。』(小社刊)、『製造業の現場バイヤーが教える調達力・購買力の基礎を身につける本』『調達・購買の教科書』(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。

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