外出自粛で増える自宅での時間。それは自分を見つめなおすのにもってこいです。今日は、古典の名著からその時代、時代を生き抜くスキルを考える過去記事をご紹介します。
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◎今回取り上げる古典:『エセー』(モンテーニュ)
誤読が新しい解釈を生む
かつて、私はロックやメタルを聴いては、耳でその音をコピーしていた。中学から高校のころだ。私はさほど耳が良いわけではない。コピーする。そして、雑誌などを買って答え合わせをする。すると、一部が間違っている。「これ正しいの?」と疑って、違う雑誌を買ってみる。すると、やはり私が間違っているとわかる。
これは多くの音楽少年が経験する道かもしれない。どうしても聞き取れない音やコードがある。3歳くらいから音楽教育を受けているわけではないから、絶対音感もない。だから、自分には楽器を弾く才能がないのではないかと絶望に浸る。
私が当時、購入していた音楽雑誌で、忘れられないコメントがあった。細かな文面は異なるかもしれない。ただ、文意は正しいはずだ。まず、その雑誌にはQ&Aコーナーがあった。そして、ある読者が、プロのミュージシャンに、「自分はどうしても、正しい音を耳で聞き取れない」と相談していた。
すると、回答者であるプロミュージシャンは「しかし、間違っていても、あなたにはそう聞こえたのだから、いいじゃないですか」と答えていた。そして、「新たな楽曲を作っているようなものです」といった答えに感心した。いまでは、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論に通じるような議論を想起する。しかし、私がいいたいのは、そのような衒学的な内容ではない。
あるひとが、Aという音を送る。Aと受け取るひとがいる。しかし、なかには、Bと受け取るひとがいる。その誤配によって、違う解釈が生まれ、あらたな創造物が誕生する可能性がある。
音痴と聞き取りベタを棚に置いたまま、私はすばらしい可能性を感じたものだった。ややおおげさにいえば、世界の可能性が開いた気がした。「正確に読まなくてもいい」「正しく聴かなくてもいい」。そのあとの、自分の咀嚼が価値あるものであれば、それはすべて肯定される――。世界は自由なのだ。
私が、古典を誤読してもいいのでなんらかのヒントを得ようと訴える当連載の、30年も前のことだった。
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