自分を鍛えたい、自給したい
2011年の東日本大震災をきっかけに宮城県の沿岸部に移住し、2018年の春までアルバイト漁師として生計をたててきた。現在も、プロテインのOEMメーカーを経営しながら、時々、朝だけのアルバイト漁師は続けている。
なぜ漁師になったのか。理由はいくつかあるのだが、まずは単純にタイミングだ。2010年頃には、東京でやっていたトレーナーの仕事に飽きていて、何か別のことをしたいと考えていた。できれば自然の中で自分を鍛えたい。移住をしようか。そんなことを思っていた矢先に震災が起こり、被災地に支援活動に出向いた。その場所が、たまたま沿岸部の漁師町だったのだ。
また以前、個人食料自給率について触れた回でも話したことだが、震災後、自分で食料を調達できない状態で生活することに強い危機感を覚えるようになった。その点、漁師は、厳しい環境に身を置いて自分を鍛えられるとともに、食料も調達できるという、まさにうってつけの職業だったわけだ。
どうせやるなら、漁師だけに集中して3年は続けなければ、と覚悟を決めた。まだ東京での仕事も多少はあったが、あれもこれも同時進行では何も身につかない。そこで東京との繋がりを一切絶ち、まさに修行する決意で漁師の世界に入ったのだった。
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移住サバイバル
東日本大震災を機に宮城県石巻市に移住した山本圭一さん。家なし、知り合いなし、文字通りゼロから始まったサバイバル生活の記録。