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現代アートは本当にわからないのか?

2019.09.19 公開 ポスト

現代アートで『天体観測』?「見えないものを見ようとする」ことについて――あいちトリエンナーレ2019村上由鶴

あいちトリエンナーレ2019の展示風景
ジェームズ・ブライドル《ドローンの影》2019
Photo: Ito Tetsuo

 

みなさんご存じのとおり、「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」は、その展示作品をめぐって脅迫を受け、中止となりました。その後も「不自由展」のアーティストに連帯を示すため、複数の展示中止や内容の変更が行われるなど、荒れ模様の芸術祭という印象を持っている方も多いのではないかなと思います。

ですが、「あいトリ」には、それ以外にも語るべきポイントや見どころがたくさん。

「表現の不自由展」をめぐる暴力と分断については次回ちょびっと触れるくらいにして、わたしが見ることができた9月上旬のあいトリが示す「表現の自由」以外のテーマについて、2回に分けて考えていきます。

 

さて、唐突ですが、BUMP OF CHICKENの『天体観測』という超有名な歌に「見えないモノを見ようとして」という歌詞があります。今回のあいちトリエンナーレを見ていて再確認したのは、「見えないものを見ようとする」枠組みを提供するのがひとつ現代アートの役割だよね、ということ。

例えば、メイン会場となっている愛知県美術館でお出迎えしてくれるエキソニモの《The Kiss》は、スマホの画面を通して人がキスしている「ように見える」作品です。

 

あいちトリエンナーレ2019の展示風景
エキソニモ《The Kiss》2019
Photo: Ito Tetsuo

 

そもそもこの作品は、「○○○のように見える」の連続です。「スマホ」は本物ではなく55インチの単なる液晶モニターだし、画面のなかにいる人は目をつぶっているだけ。あの手(の形をした模型)と、モニターにかけられたカバー、そして口の部分が傾けられ、重ねられていることによって、わたしたちはただのモニターにどうしてもキスを見てしまう、というわけです。

また、菅俊一の《その後を、想像する》という短いアニメーションが連続する作品は、「ことが起こる」まさにその瞬間にアニメが途切れてしまいます。それでも鑑賞者は、その映像の続きを想像のなかで「見て」しまうことになるでしょう。

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