翌週の日曜日、久しぶりに織田一真(おだかずま)のマンションに行った。織田夫妻は共に、僕の大学生時代の友人だった。共通の友人の披露宴が近々あり、その二次会の打ち合わせをするために訪れたのだが、実際、打ち合わせと言っても店を決めることくらいが主な内容で、大半は結局、雑談に過ぎない。
「由美(ゆみ)さんも二次会出るの?」僕は、台所で皿を洗っている織田由美に訊(たず)ねる。
「うーん、行きたいんだけど」彼女が笑う。「でも、ちびっこいのが二人もいるからねえ」と居間のカーペットで眠る娘、美緒(みお)ちゃんに眼差(まなざ)しを向けた。
織田一真と彼女が結婚に踏み切り、揃(そろ)って大学を中退したのは二十一歳の時だったから、早いもので、もう六歳、来年は小学生になる。可愛(かわい)らしい顔をし、瞼(まぶた)を閉じていた。睫(まつげ)が長い。隣の和室の布団には、去年生まれたばかりの息子が眠っている。
「そりゃそうだろ。由美は子供の面倒見なきゃいけねえって」と当然のように、僕の前に座る織田一真がうなずいた。「俺が代表して、お祝いしてくっから」
「わたしもたまには、飲みにとか行きたいんだけどねえ」織田由美は長く息を吐き、笑った。
「やっぱり、行けないよね」僕は、カーペット上の置物と化した美緒ちゃんを見る。それから、再び織田由美を眺め、相変わらず綺麗(きれい)だなあ、と感心する。目が切れ長で、鼻筋も通っていた。二児の母親とはとうてい思えない。
「毎日、二人を保育園に連れていって、会社に行って、また保育園に迎えにいって、ってそれだけだからね。あとは、病院。病院を行ったり来たり。毎日、お手玉しながら生活してる感じで、気が抜けないんだから。たまにはさ、夜の街に繰り出したいよ」と織田由美が冗談まじりに嘆く。
「たまにはいいと思うけどね」
「でもさ、どこかの旦那がぜんぜん、協力的じゃないからねえ」
「どこかの旦那」と僕は、織田一真を指差すが、彼は気にかけることもなく、「まあな」と胸を張るだけだ。
「何が、まあな、なのか全然わかんないし」織田由美が達観した言い方をする。
テーブルの下に物が落ちているのを見つけ、僕は手を伸ばし、拾い上げた。DVDの箱だったが、パッケージに堂々と女性の裸が載っているので、ぎょっとし、落としそうになる。どこからどう見ても、由緒正しい、アダルトDVDだった。
「あ、それ、片付け忘れたんだ」台所から織田由美がやってきて、僕からそのDVDを取り上げると、奥の棚にしまった。「この人、絶対、物を片付けないから」
「まあな」
「そういうDVDって、由美さんも観るわけ」
「まさか。というか、この人がいつ観てるのかも謎(なぞ)だけど」
「まあな」
「子供の教育上、どうなんだよ」僕は、赤いパジャマ姿の美緒ちゃんに視線をやる。
「教育上、いいじゃんか。女の裸、綺麗だし」織田一真は余裕を浮かべ、答える。
「そういうものなのか?」
「そういうもんじゃないよ、絶対」織田由美が冷たく言う。
「大丈夫だよ、清純な感じのやつばっかりなんだから」織田一真は缶ビールを寄越してきた。僕はそれを受け取り、「そうか」となぜか納得したような返事をした。「ハードなのはないんだな」
「ハードなのはちゃんと隠してる」
「それなら、全部、隠しておけよ」
「ほんと、呆(あき)れるよね。謎すぎる」織田由美が溜息を吐(つ)き、そして僕の前のソファの、織田一真の隣に腰掛けた。娘の寝顔を見て、安心したような笑顔を見せた。なるほどやっぱり、彼女は、母親なんだよな、と僕は改めて認識した。
大学時代、織田由美は、当時は結婚前であったから、加藤由美であったのだが、その加藤由美は、同級生の中ではかなり人気があった。他の女子生徒と比べても、ひときわ魅力を放っていた。
男子生徒たちの大半は、彼女と交際したいと、ある者は公然と、ある者は密やかに、その想いを膨らませていた。僕も、他の友人たちの例に漏れず、外見はもちろんのこと、いつも穏やかで、驕(おご)ったところもなければ、人を蔑(ないがし)ろにすることもない彼女に好意を抱いていたのだけれど、実際、自分が恋人に立候補したいかと言えば、それはそんなことが実現すれば幸せだろうが、宝くじの一等を期待するのと似た非現実的なものに感じていたので、どちらかと言えばただ見惚(みと)れるだけで、ようするにファンの一人に過ぎなかった。
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