本の感想を複数人で語り合う「読書会」が今、静かにブームです。それは一人で読む読書よりも、格段にメリットが多いから。誰かの感想が、自分にない視点を与えてくれたり、理解できなかった箇所は、他の参加者が補ってくれたり。日本最大規模の読書会「猫町倶楽部」の主宰者による新書『読書会入門 人が本で交わる場所』は、そんな読書会の醍醐味がたっぷりと詰まった一冊。一部を抜粋してお届けします。
読書会は本を読むひとつの技法
あなたは、読書会に参加したことがありますか?
もし参加したことがなければ、読書会と聞いて、どんな会をイメージするでしょう。みんなで一冊の本を朗読する会? 集まった人が、それぞれ自分の好きな本を紹介し合う会? そこに集まるのは、リタイヤ後のお年寄りばかりでしょうか。地域のカルチャーセンターで顔を突き合わせて、お茶でも飲みながらのんびり語り合う様子をイメージする人もいるかもしれません。
読書会とは何か。それについては、これからこの本の中で少しずつご紹介していくことにして、まずは自己紹介をさせてください。私は、年に約200回の読書会を主催・運営する「猫町倶楽部」という読書会コミュニティの代表をしています、山本多津也と言います。参加者のみなさんからは、タツヤさん、と呼ばれています。
現在、猫町倶楽部の読書会は名古屋を拠点に東京、大阪など全国5都市で開催されていて、1年間ののべ参加人数は約9000人。一度の読書会に集まる人数は最大で300人。参加者の年代は、下は10代から上は60代まで。読書会としては、日本最大規模と言えるでしょう。
読書会にもさまざまなやり方がありますが、猫町倶楽部では私の選んだ一冊の課題本を、事前に参加者のみなさんに読んできてもらう、という方法を取っています。唯一の参加条件は“読了していること”。ですから、読み終えていない方の参加はお断りすることになります。
これまで、ビジネス書から哲学書、国内外の古典文学から評論、エッセイに至るまで、何百冊と取り上げてきました。必ずしも新刊に限らず、古典を選ぶこともよくあります。絶版になった本を課題本にすることもあります。長編を選ぶことも少なからずあります。
過去には、『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)を取り上げたこともありました。ロシア文学者である亀山郁夫さんの翻訳されたこのシリーズは、全5巻とかなりのボリュームがあります。読書家を自負する方でも、もしかすると読んだことがないか、もしくは買ったは良いが積ん読(部屋の片隅に本を積み上げて読まないこと)状態、という人も少なくないかもしれません。それくらい、読むのに体力を要する本です。けれども参加者のみなさんは当然、全員が読了してきてくれます。ちなみにこのときの読書会、参加者は名古屋で約100名、東京では約80名でした。本が売れない、若者が本を読まないなどとあちこちで言われるこの時代に、こんなにたくさんの人が『カラマーゾフの兄弟』を読み終えて、集まるんです。
参加してくれる人はみんな口を揃えて「初めて参加したときはとても不安だった」と言います。読書会に参加してみたい、と思い立ってから、半年は様子を窺っていたと言うメンバーもいます。その間何をしていたのかと尋ねると、公式ホームページに掲載している開催レポートを過去何十回分と遡って読み込んだり、毎月発表される課題本をチェックしつつ、これなら語れそうだと思える課題本を待ったりしていたそうです。
でも、そうやってひとたび勇気を出して読書会に参加してみると、きっとすぐに気付いてもらえるんじゃないかと思います。読書会に参加している人は、良い意味で「みんな同じ」、そして良い意味で「みんな違う」ということに。
「みんな同じ」というのは、簡単に言うと、読みの精度や話のうまさのことです。
〝読書会に参加するような人達は、きっとさぞかし本を深く読み込んでいて、豊富な語彙(ごい)で、素晴らしい感想を語ることができるんだろう〟
どうもみんな、最初はそんな風に思うようです。でも一度でも参加してみると、決してそんなことはないということがわかります。大抵の読書会は、この場面が好きだった、この場面が理解できなかったというような、個人の断片的な感想を、一人ひとりがポロポロと思い出したように語るところから始まります。
何しろほとんどの参加者にとって、その本の感想を他人に語るのは、それが初めての体験なのです。だから、きれいにまとまっていなくて当たり前。上手に語れなくて当たり前。これについては「みんな同じ」なんです。
また初めて読書会に参加する人は、課題本を読んだ結果、自分の感想がひどく的外れなんじゃないか、大事なところを読み飛ばしているのではないかと不安を抱くそうです。けれども、いざ読書会という場で、知らない人達と顔を突き合わせて話をしてみると、同じ本を読んだのに、こんなにもそれぞれ抱く感想が違うものかと驚くでしょう。
育った環境や現在の生活、生まれ持った感性などによって、一冊の本にも、10人いれば10通りの読み方があります。もともと「みんな違う」んです。それが当然。だからこそ、猫町倶楽部の読書会には一つだけルールを設けています。それは、決して他人の考えを否定しないこと。他人の考えを否定せず、自分の考えも否定されない。だからこそ、感想に正解も、不正解もないのだ。一度でも読書会に参加してみるときっと、そう思えるようになるはずです。
一冊の本を読んでどう感じたか。その本が自分にはどんな価値を持つのか。後から誰かと語り合うことを前提とする読書には、一人で取り組む読書とは、また違った価値があります。読んだ直後、最初はぼんやりとしていて、摑みどころのない自分自身の感想を、読書会という場で、他人にわかる言葉で表現しようと努力する。そこに、同じ本を読んだ誰かが新たな言葉を被せたり、あるいは思いもよらない側面からの他人の見方を自分に取り込む。そうやってインプットとアウトプットを同時に行うことでこそ、もともとあった自分の考えが、次第に立体化されていく。自分の考えが、より高い精度で形作られていくと思うのです。
そして何より、その時間が、そのプロセスが楽しい。だから、私達の読書会には多くの人が集まります。読書家を自負される方の中には、読書は孤高の営みであるべきだと思う人も少なくないかもしれません。こと読書や学問といった分野では、なぜかやたらとストイックであることが良しとされる風潮があります。そういう人達には大変申し上げにくいことですが、読書会は、とにかくとても楽しいものなんです。
語弊を恐れずに言えば、楽しくて何が悪い、と私は思います。高い志を掲げるだけでは多くの人は動かない。世の中には、一生かけても読み切れないほど無数の名著があり、読んだ本が自分の血肉となるというのならば、まだ読んでいない本と同じ数だけ、自分自身の可能性もまた眠っています。けれども、読書自体のハードルが高ければ、多くの人がその入口にすら立とうとしません。私自身、これまで何度となく本から学び、本に救われてきました。本を読むことが素晴らしい体験だと思うからこそ、より多くの人に、その機会を身近に感じてほしいと思うんです。
読書会は、本を読む一つの技法です。
この本を通して、読書会の持つ知られざるダイナミズムを、ぜひともより多くの人に感じていただければ幸いです。
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続きは、『読書会入門 人が本で交わる場所』をご覧ください。
読書会入門
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