厳しい現実社会を生き抜く私たちには、悩みが尽きません。そんな私たちにオススメなのが、ズバリ「読書」なのです!
9月19日刊行、三宅香帆さんの『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』は、人生のお悩みに合わせて「よく効く本」を処方してくれます。本書から、こんなときにはこの名著、というお話を少し、ご紹介いたします。
* * *
トルストイ『アンナ・カレーニナ』(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)
効く一言:「あら、どうしたのかしら! なぜあの人の耳はあんなになったの?」
ペテルブルグに着いて、汽車が停まると同時に車室を出ると、最初にアンナが注意を引かれたのが夫の顔だった。「あら、どうしたのかしら! なぜあの人の耳はあんなになったの?」落ち着き払って堂々とした夫の体躰と、とりわけ急に異様な感じを覚えた、丸いソフト帽の縁を支えているその耳の軟骨を見つめながら、彼女はそう思った。彼女の姿を認めると夫は唇にいつものからかうような笑みを浮かべ、どんよりとした大きな目でまっすぐにこちらを見ながら近寄ってきた。じっとこちらを見つめるその鈍い視線を受け止めると、まるでそれが想像していた夫とはちがっていたかのように、なにか不快な感情が胸をしめつけた。とくに彼女を驚かせたのは、夫と会ったとたんに感じた自分への不満感であった。
傑作小説『アンナ・カレーニナ』のなかで、私がものすごく好きなエピソードがこちら。汽車を降りて、夫を見かけた瞬間、こみ上げる不快感。そしてそれは「なんであの人の耳はあんなふうなんだろ? あんなのだったかしら?」という、不可解な感情になって表面化する。
分かりますか、これを描けるトルストイの凄さが。「耳」ですよ、「耳」。夫を見た瞬間に異様な感じを受けるのが、「耳」。今ふうの言葉で言ってしまえば、久しぶりに旦那さんを見て、「え、なんかこの人の耳ってキモくない……?」と奥さんがまじまじ思っている。顔とか雰囲気とか息じゃなくて、耳がキモい、と。
なんじゃそりゃ、と眉をひそめられそうな話なんですけど。耳ってそんなにしっかり見ないでしょ、百歩譲って見たとしても形にいいもわるいもないでしょ、ましてやキモい耳なんてある? と。
でも私は、女性が男性のことを「なんかよく分からないけど生理的に無理になった、キモい」と思うあの絶望的かつ残酷な瞬間って、結局は「耳」がキモいと思うことなんだよなぁ……と言いたい。
そこに理屈も根拠もなく。ただ「なんかよく分からないけど、キモい」という、あのこみ上げる感情。
それは、それまで何も思ったことのなかった耳に違和感を覚えること、なんです。
こんなふうに、トルストイは「なんでそんなところまで分かるの!?」って女性として叫んでしまいそうな細部まで書くんです。書けるんです。
「でもそれがどうしたとおっしゃるの? グリムには『影をなくした男』という寓話があって、男が影を失いますわね。あれは何かの罰なんですのよ。わたしにはそれがどんな罰なのか、わかったためしがございませんが、でも女の場合、影なしではきっとつまらないでしょうね」
「そうね、でも影のある女性というのは、たいてい先行きよくない目にあいますわよ」アンナの友達が言った。
「そんなことおっしゃると罰が当たりますわよ」
「なぜってアレクセイは、これは夫のアレクセイのことだけれど(まったく、二人ともアレクセイなんて、なんと不思議なめぐり合わせでしょうね?)、アレクセイはきっとわたしの言うことを聞いてくれるから。わたしが忘れれば、あの人は許してくれるわ……でも、どうしてあの人は来てくれないのかしら? あの人はいい人よ。ただ自分がいい人だって知らないだけなの。……」
『アンナ・カレーニナ』は、一般に「奥さんが不倫する話」として知られている。だけど読んでみると、そもそも不貞を働いただけでもなく、結局アンナは、不倫先でもすくわれることはない。いやこれ以上言うとネタバレになっちゃうんですけど。
何かからすくわれようとして、夫じゃない彼と恋に落ちたはずなのに。どうしてか、恋をした先でも、すくわれない。
たぶん、アンナは強すぎる。と私は思う。それは単純な「気が強い」みたいなことじゃなくて、精神のタフさとも言うべきものが、ふつうの人よりも濃く、ぎゅうっと詰まっている。そして「アンナの強さに、夫も、彼も、ついていくことができない。引いてしまう。アンナの強さを支えられるくらい、同じくらい強い男性とアンナは巡り合うことができなかった。それがアンナ・カレーニナの悲劇なんだと私は思うのです。
だけどどれだけの女性が、自分と同じくらい強い、タフな男性と巡り合うことができるって言うのか。
アンナの孤独は、女性が背負い続ける孤独なんだな、と感じざるをえない。だって、ねえ、女の人のほうがタフなんだもの(って言うと、何を根拠に、って男性陣には睨まれそうですが)。男の人ってすぐ仕事とか趣味でいっぱいいっぱいになるし。女性は仕事しながら化粧してネイルして友達と長いLINE送りあってるのに! って恨みがましく言っちゃうのは、私が女だからですね。ごめんなさい。
アンナはどうしたらすくわれていたのか。これが『アンナ・カレーニナ』という小説が私たちにもたらす、ひとつの問いです。アンナが自分の業に飲み込まれずに、生きていくためには、何が足りなかったんだろう。
あなたが男性なら、お願い、考えてよ! って私は頼まざるをえない。だってアンナは、この小説に出てくる男の人の誰にも、決して、すくわれなかったんだもの。
男にすくわれようとするなよ、って言ってしまったらその通りなんだけど。
「わたしにどんな望みがありうるのかって言うのね? わたしが望むことのできるのは、あなたに捨てられないことくらいね。あなたはそのつもりでしょうけれど」相手が言葉にしなかったことをすべて読み取って、アンナは答えた。「でもね、わたしはもうそんな望みも捨てたわ。どうでもいいことだから。わたしが欲しいのは愛なの。でも愛がないのよ。だったら、全部おしまいでしょう!」
愛はどこだ、ってよくもまあ19世紀のロシアから21世紀の日本に至るまで人間は変わらずぐるぐる考えてますよね。飽きないんだなあ。
でも残念ながら、愛はどこだ、の結論がどこにもまだ見つかっていないからこそ、私たちは『アンナ・カレーニナ』を読むことができる。きりきりとした切実さと、それを超える甘美さをもって。
合コン前夜の男性諸君、ぜひトルストイを読んでから行ってください。女心が分かりすぎてつらい状態になれるはずです。ほら、「きのう何してたの?」って女の子からきゅるんと見つめられたとき、「トルストイ読んでた」ってどや顔……できないか。いやむしろトルストイ読んでたって言って「えー! 私も好き!」って言う女の子と出会えたらそれは運命。おめでとう!
処方:女心がこんなに分かる小説は古今東西を探してもほかにどこにもありません。『アンナ・カレーニナ』を読んでから行くと、どんな女性の深層心理も透けて見えることでしょう。
* * *
著者の三宅香帆さんは、幻冬舎プラスで「>ラブコメ!萬葉集」も連載しております!こちらも要チェックです。
副作用あります!?人生おたすけ処方本
人生、色々悩みはつきません。そんなときに寄り添ってくれるのは、読書かも?
新進気鋭の書評家が、現代人のお悩み別にとっておきの本を紹介してくれます。あなたの症状にもきっと効くはず!?