野村克也さんの選手評は、いつも冷静で的確で、なにより野球と選手への愛がにじみ出ていました。心よりご冥福をお祈りします。
野村さんの著書『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)では、教え子である田中将大、「難攻不落」と評するダルビッシュ有から、ライバルだった王貞治、長嶋茂雄ら昭和の名選手まで、名将ノムさんが嫉妬する38人の「怪物」を徹底分析しています。
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バッター最強の怪物が中西太さんなら、ピッチャーのそれは金田正一さんしかいない。なにしろ、あの天才・長嶋がデビュー戦で4打席4三振をくらったピッチャーである。別格だった。でなければ、400勝などというとてつもない記録を打ち立てられるわけがない。
私とはリーグが違ったので、対戦したのはオールスターとオープン戦程度だったが、どうしても名前負けしてしまった。「天皇」という異名をとったように、「地球は自分中心に回っている」と考えているタイプの典型で、マウンドでも堂々としているから、戦う前から呑まれていた。オールスターのときは三振をとることしか興味がないから、ひとりでもバットに当てられたらもうやる気をなくしていたが、本気で投げたときのボールはすごかった。
球種はストレートとカーブだけで、ストレートはもちろん史上最速といえるほど速かったが、それ以上にカーブがすごかった。当時の選手としては飛び抜けて背が高く、しかもオーバーハンドだから、まさしく2階から落ちてくる感じ。途中まで高めのストレートだと思っていると、ガクンと落ちる。だから、はじめて対戦するバッターは必ずお辞儀して見送るか、ワンバウンドを空振りしてベンチに帰ってきた。
いまはそういうカーブ、すなわちドロップを投げるピッチャーがいなくなった。
余談だが、昔、西鉄に西村貞朗というピッチャーがいて、この人のカーブもすごかった。木塚忠助、蔭山和夫という当時の南海の1、2番コンビが、西村さんのカーブをよけようとするあまり、うしろにひっくり返ったのをネット裏から見たことがある。
ところが判定はストライク。バッターの頭に当たる直前で、ググッと曲がり落ちたのである。それを見たとき、「とても打てない」と思ったのを憶えている。ネット裏から見て打てないと感じたのだから、相当なものだ。事実、1955年に日米野球で来日し、15勝0敗1分と圧倒的な強さを見せたヤンキースの名将ケーシー・ステンゲル監督が「アメリカに連れて帰りたい」と語ったほどだった。
話を金田さんのカーブに戻せば、金田さんのカーブは、厳密にいえばボールだった。
バッターの前を通過するときは高めにはずれているのである。ところがそこから鋭く落ちるから、キャッチャーミットに収まるときはストライクになっている。審判がだまされてしまうのだ。ベンチからはボールの軌道がよくわかるので、「高いよ、ボールだよ」と野次るのだが、キャッチャーはど真ん中で受けているので、審判は「いや、入っています」と言って聞かなかった。
のちにロッテに移籍したとき、金田さんと手の大きさを較べたことがある。金田さんの指は、私より一関節ぶん長く、しかも太かった。もしかしたら、あのカーブを生み出す秘密のひとつだったのかもしれない。
400勝の根底にあったハングリー精神
金田さんでもうひとつ思い出すのは食欲である。まさしく怪物並みだった。杉浦とともに誘われ、焼肉屋に行ったことがある。それはもう、すごい食べっぷりだった。
私も大食漢として知られていて、スタンドからも「大飯食らいの野村」とよく野次られたものだが、その私でもとても敵わなかった。
練習量もケタ外れだった。シーズンオフは徹底的に身体を休ませるが、キャンプに入ると人が変わったように身体をいじめる。チームが課す練習は「生ぬるい」と言って、自分だけハードな別メニューを組んでいた。若手選手をいつもふたりくらい連れていってトレーニングをするのだが、若手が「きつすぎる」と音を上げていたものだ。
身体のケアに対しても細心の注意を払っていた。寝るときは左腕にサポーターをつけ、真夏でもクーラーは使わなかったし、ヒゲを剃るときも、カミソリでなく電気シェーバーを使っていたそうだ。
そこまでカネさんを駆り立てたものは何かといえば、やはりハングリー精神だろう。
家庭は裕福とはいえず、兄弟も多かったと聞く。長男だったから、子どものころから弟たちの面倒を見てきたのだろう。貧乏育ちの私もそうだったが、身を立てるにはプロ野球しかなかったのだと思う。それで高校を中退してプロ入りした。
口癖のように言っていたのを憶えている。
「人生、金だ」
カネさんとは、監督と選手という関係だったことが1年間だけある。私が南海の監督をクビになり、一選手としてロッテに移籍したときのことだ。そのときの監督がカネさんだった。
とにかく、何かを教えている姿をほとんど見たことがない。言うことはただひとつ、「走れ!」。たしかに下半身の強化は、とくにピッチャーにとっては必要不可欠だ。だからといって、それがチームの指揮を執る監督の言うことか。
優勝の可能性がなくなると、球場に来るのは試合がはじまってから。しかもしばしばゴルフ場から直行する始末で、勉強になることは何ひとつなかった。ピッチャーとしては別格だったが、監督としては失礼ながら失格だったと私は思っている。
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【本書でとりあげる怪物たち】
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プロ野球怪物伝
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