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芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか

2019.12.20 公開 ポスト

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』は当時、こう評価されていた市川真人

ノーベル文学賞の候補として、毎年のように名前が挙がる村上春樹さん。まさに日本を代表する小説家ですが、じつは「芥川賞」を受賞していないことをご存じでしょうか? 一体なぜなのか、その謎に迫ったのが、文芸評論家・市川真人さんの『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』です。選考会で何があったのか? そもそも「芥川賞」とは何なのか? スリリングな本書の一部を抜粋してご紹介します。

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デビュー作の評価は?

一九七九年六月。千駄ヶ谷で「ピーター・キャット」というジャズ喫茶を営んでいた青年マスターは、はじめて投稿した小説『風の歌を聴け』で、講談社の主催する「群像新人文学賞」を受賞、作家としての時間をスタートさせます。当時のエピソードは村上春樹自身がエッセイなどで何度も書いていますが、十代から海外文学に耽溺し、大学の学部も文学部を選んだ青年らしいデビューでした。

(写真:iStock.com/Massonstock)

一九七〇年八月の夏休み、生まれ育った港町に帰省した大学生の「僕」。地元の友人「鼠」と通う「ジェイズ・バー」や、左手の小指がない娘と過ごす十九日間の情景と、そこに挿入される「僕」の過去の記憶たち。『風の歌を聴け』は、それらのエピソードが、うたた寝の耳にとぎれとぎれ聞こえる点けっぱなしのラジオのように、四十の断章として語られる中篇です。

選出した委員は、佐々木基一・佐多稲子・島尾敏雄・丸谷才一・吉行淳之介の五人。二十世紀を代表する作家であるジェイムズ・ジョイスを翻訳したことでも知られる作家の丸谷才一以外は故人、いまとなっては名前を知らないひとも多いでしょうが、当時はみな五十代から七十代のそうそうたる批評家と作家たちでした。彼らは、選考会の時点で三十代に入ったばかりのいまだ青年の雰囲気を残す新人が、二十一歳の夏を回想するように書いた作品を、次のように評価しています。

「この作品を入選にしたのは、第一にすらすら読めて、後味が爽やかだったからである。(……)。ポップアートを現代美術の一ジャンルとして認めるのと同様に、こういう文学にも存在権を認めていいだろうと私は思った」(佐々木基一)

「「風の歌を聴け」を二度読んだ。はじめのとき、たのしかった、という読後感があり、どういうふうにたのしかったのかを、もいちどたしかめようとしてである。二度目のときも同じようにたのしかった。それなら説明はいらない」(佐多稲子)

「筋の展開も登場人物の行動や会話もアメリカのどこかの町の出来事(否それを描いたような小説)のようであった。そこのところがちょっと気になったが、他の四人の選考員がそろって入選に傾き、私もそのことに納得したのだった」(島尾敏雄)

「『風の歌を聴け』は現代アメリカ小説の強い影響の下に出来あがつたものです。(……)この日本的情緒によつて塗られたアメリカふうの小説といふ性格は、やがてはこの作家の独創といふことになるかもしれません」(丸谷才一)

「これまでわが国の若者の文学では、「二十歳(とか十七歳)の周囲」というような作品がたびたび書かれてきたが、そのようなものとして読んでみれば、出色である。(……)一行一行に思いがこもり過ぎず、その替り数行読むと微妙なおもしろさがある」(吉行淳之介)

芥川賞をとっていておかしくなかった

こうやって並べてみると、佐々木、島尾、丸谷各氏の評価には、「ポップアート的」「アメリカのどこかの町」「アメリカふうの小説」という同じ視線があります。

(写真:iStock.com/scyther5)

「これまでわが国の……出色である」という吉行淳之介の評価も、“従来の日本的なそれとは隔たっている”という意味としてとれば前の三人の延長線上にあるともいえ、五人中四人がどこか共通した印象を抱いているかにすら見えます。そのことが、のちに村上春樹を大きな渦の中に巻き込んでゆくことになるのですが、この時点ではまだそれは明らかになっていません。

新人文学賞に「選者たちの一致した意見で当選となった」(佐多稲子選評)、『風の歌を聴け』。しかしその先の道行は決して平坦ではありませんでした

「群像新人文学賞」は、四年前の一九七五(昭和五十)年に林京子『祭りの場』を、翌年には村上龍『限りなく透明に近いブルー』を受賞作として産みだしたばかりでした。

長崎での被爆体験や学徒出陣を描いた四十四歳と、米軍基地の街・福生を舞台にドラッグとセックスに興じる若者を描いた二十四歳。それぞれ作風も描いたものも大きく違いながら、ふたりは新人賞受賞作で同時に芥川賞も獲得していました(次に「群像新人文学賞」受賞者がデビュー作で芥川賞をとるのは、三十年余りを経た二〇〇七年の諏訪哲史『アサッテの人』ですから、ずいぶん長い時間が必要だったわけです)。

七七年には「野生時代新人文学賞」から作家デビューした池田満寿夫が『エーゲ海に捧ぐ』で、また「新潮新人賞」からは高城修三が『榧の木祭り』で、それぞれデビュー作での芥川賞受賞を果たすなど、この時代は文字通りの「新人」に手厚かった時期と言えます。そうした流れのなかでデビューし、順当に芥川賞の候補に挙げられた村上春樹『風の歌を聴け』も、当然、そこに加わる資格があった……はずですが、そうはなりませんでした。

関連書籍

市川真人『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』

『1Q84』にもその名が登場する日本でもっとも有名な新人文学賞・芥川賞が、今や世界的作家となった村上春樹に授賞しなかったのはなぜなのか。一九七九年『風の歌を聴け』、八〇年『一九七三年のピンボール』で候補になったものの、その評価は「外国翻訳小説の読み過ぎ」など散々な有様。群像新人文学賞を春樹に与えた吉行淳之介も、芥川賞では「もう一作読まないと、心細い」と弱腰の姿勢を見せている。いったい選考会で何があったのか。そもそも芥川賞とは何なのか。気鋭の文芸評論家が描き出す日本の文学の内実と未来。

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芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか

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市川真人

1971年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部文芸専修卒業後、百貨店勤務を経て、近畿大学大学院文芸学研究科日本文学専攻創作・批評コース修了。現職として、雑誌「早稲田文学」プランナー/ディレクター、早稲田大学文化構想学部ほか兼任講師、TBS系情報番組「王様のブランチ」ブック・コメンテーターなど。

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