ノーベル文学賞の候補として、毎年のように名前が挙がる村上春樹さん。まさに日本を代表する小説家ですが、じつは「芥川賞」を受賞していないことをご存じでしょうか? 一体なぜなのか、その謎に迫ったのが、文芸評論家・市川真人さんの『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』です。選考会で何があったのか? そもそも「芥川賞」とは何なのか? スリリングな本書の一部を抜粋してご紹介します。
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大江健三郎の「奇妙な評」
さて、村上春樹『風の歌を聴け』が議論されていた一九七九年に戻りましょう。右の流れを踏まえ、なおかつ「消極的支持または保留」が可能であるとすれば、決定を左右するのはやはり、明確に意見を表明している委員です。
選評で『風の歌を聴け』または村上春樹の名前を挙げて、肯定的な評価をしている者がふたり、否定的な評価をしている者もふたり。ところがよく見るともうひとり、奇妙なかたちで『風の歌を聴け』について評している委員がありました。
「今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向づけにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた。」(大江健三郎)
ここにはただ「作者」とだけ二度書かれていて、固有名詞は挙げられていません。それどころか、作品名すら書かれていない。けれども『風の歌を聴け』以外の候補作は、ほとんどが内容も形式も国内的な話で、外国人が主要人物として登場する青野聰『愚者の夜』もオランダ女性(と留学経験を持つ主人公)の物語ですから、右の選評はあきらかに村上春樹と『風の歌を聴け』を指しています。
にもかかわらず、あえて作品名にも作者にも触れようとしないまま、「無益な試み」と切断するこの数行は、十人分の選評のなかでも、飛び抜けて奇妙に見えます。しかしよく読めばその奇妙さは、『風の歌を聴け』とその作者に対する否定のためだけに作られているわけではなさそうです。なぜなら同じ選評で彼は、ほかには受賞者のふたり(重兼芳子と青野聰)にしか触れていない。ある意味『風の歌を聴け』と村上春樹は特別扱いでもあるわけです。
そのように特別扱いしながら大江健三郎が指摘したのは、それがアメリカ小説のたくみな模倣であり、独自の創造とは違う方向にむかっている、という点でした。そういえば、ここまで引用してきた委員たちの言葉のいくつかも、『風の歌を聴け』をアメリカに結びつけていたはずです。
なぜ「アメリカ」と結びつけられるのか
群像新人賞の選考委員・佐々木基一はそれを「ポップアート」と呼び(アメリカン・ポップアートの旗手であったアンディ・ウォーホールが初めて来日したのは、村上春樹がデビューする五年前、一九七四年のことです)、丸谷才一は新人賞では「現代アメリカ小説の強い影響の下に出来あがつたもので」「日本的情緒によつて塗られたアメリカふうの小説といふ性格」を持つと判断し、芥川賞でも「アメリカ小説の影響を受けながら自分の個性を示さうとして」いると褒めています。
新人賞での島尾敏雄は「筋の展開も登場人物の行動や会話もアメリカのどこかの町の出来事(否それを描いたような小説)のようであった」と言い、芥川賞の瀧井孝作は「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作」だと非難する。そうして大江健三郎は、巧みな模倣が独創へと結びつこうとしていない、その点が無益だ、と言ったわけです。
こうやって並べてみると、それらの評価はどれも、「アメリカ的であるもの」を先行例に置き、それとの関係において善し悪しや特徴を判断しています。
前出の「ダカーポ」でも文芸批評家の川村湊が、「この小説(=一九六九[昭和四十四]年に芥川賞を受賞した庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』引用者注)もアメリカ文学の影響を受けた作品だったんです。しかし、受賞後しばらくして庄司薫は文壇から消えてしまった。そのマイナスイメージが当時の選考委員の頭に残っていたのでは。『風の歌を聴け』もアメリカ文学の影響を強く受けている作品で(……)」と、それこそ『風の歌を聴け』が芥川賞を逃した理由について話しています。
もちろん、村上春樹自身が当初から認めているとおり、彼の作品は初期からアメリカ文学の影響下にあります。しかし、そのことが本当に、みなが示し合わせたように作品を「アメリカ」と結びつけて語ろうとすることの理由なのでしょうか。アメリカ文学の影響を強く受けているのは、川村さんが言うように、村上春樹(と庄司薫)だけの問題なのでしょうか。大江健三郎があのように奇妙な書き方で「模倣と独創」の関係を指摘したのは、なぜだったのでしょうか。
そうして、つまりは……村上春樹が芥川賞を受賞できなかったのは、たんに『風の歌を聴け』と続く『一九七三年のピンボール』が、アメリカ文学の影響を受けすぎていたり、翻訳小説を読みすぎていたり、模倣が独創へと結びついていなかったりしたからだけなのでしょうか。
そのことを考えるために私(たち)は、とりあえず、『風の歌を聴け』と『一九七三年のピンボール』の書かれた一九七九年・八〇年の前後にカメラを向けてみます。
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芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか
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