苦しいときに耐え、信念を貫くことで、風は吹く。さまざまな重圧を乗り越え、現在も活躍を続けるサッカー元日本代表GK(ゴールキーパー)、川島永嗣。彼の著書『耐心力 重圧をコントロールする術がある』は、重圧をコントロールし、成功をつかむための術を教えてくれる、ファンならずともためになる一冊。読めば「心の体力」がつくこと間違いなしの本書より、一部を抜粋してお届けします。
「自分の気持ち」に素直になる
僕が海外でプレーしたいと思った理由は、まずは単純に、「日本人GKでもヨーロッパでやれることを証明したい」と考えていたことにある。つまり、当時の僕にとって海外に挑戦することは、日本代表の正GKになるための第一歩でもあった。
大宮アルディージャに加入したプロ1年目の夏、僕はイタリアに留学した。それ以降何度も短期でイタリアに留学して練習参加する中で、「通用するんじゃないか」という感覚を持つことができた。
だから「日本人のGKはレベルが低い」と口を揃えて言われることに違和感を覚えていた。
日本人のGKはレベルが低い? そうじゃないことを証明したかった。そのまま日本にいて同じことを言われ続けることが嫌だった。自分が海外、ヨーロッパへ行って、日本人のGKだってそのレベルでやれるんだということを証明したかった。「自分が行くしかない」とさえ思っていた。
18歳でイタリアに留学した時はパルマのユースチームでプレーさせてもらった。留学が終わるとすぐ、パルマから正式なオファーをもらったけれど、結局当時の所属チームは僕を行かせてはくれなかった。
いまでこそ、これだけ若い日本人の選手が海外へ出て挑戦し、活躍している。でも、当時は「日本で結果を残してから行くべき」という認識のほうが強かった。日本で結果を出すということは、日本代表の正GKになることとほぼイコールの関係にある。それを待っている時間は当時18歳の僕にはなかった。
もともとチャレンジをためらうタイプじゃない。自分がやりたいと強く思うなら、その気持ちに対して素直に行動すればいい。
人生は1回しかない
プロになって4年目、大宮アルディージャから名古屋グランパスへの移籍を選択したのも、その時の日本一のGKがどれくらいのレベルなのかを知りたかったからだ。当時の名古屋グランパスにはナラさんがいた。サッカーファンなら誰もが知っている、日本代表の絶対的な守護神だった。
移籍してすぐ試合に出られないことは自分でもわかっていたけれど、日本一のGKの隣で練習してそのレベルを体感すれば、とてつもなく大きなものを学べると考えていた。自分が日本一のGKを目指そうとしているのだから、その時の日本一のGKを知らないわけにはいかない。目標を明確にするためにも、迷いはなかった。
移籍を決断したことだけではなく、語学を本気で勉強し始めたことも同じようなモチベーションに由来する。海外移籍を経験した能活さんが「言葉を覚えることは絶対に必要」と言っているのだから、その教訓を生かさない手はない。
目の前に正解があって、それを学ぶチャンスがあるなら学ぶべきだ。挑戦したいことがあるなら、挑戦すべきだ。人生なんて、1回しかないのだから。
海外移籍を決断した当時の僕は、27歳。その後のキャリアを考えた時に、イタリア留学を経験しただけで「日本と海外はこう違う」と言い続ける自分にはなりたくなかった。
日本にいれば、その先の道はある程度は見えていたと思う。いろいろなことがうまくいく前提で考えれば、いずれ日本代表で試合に出るようなGKになって、Jリーグでベストイレブンに選出されるようなGKになれるかもしれない。そうなれば、たぶん給料も順調に上がって、なんの不満もないプロ生活を送れたかもしれない。
選択肢は2つ。
いま乗っているレールに沿って進んでいく自分と、道なき道にレールを作っていく自分。
その二択なら、もう、行くしかない。
見えない道を進む不安を感じながら、チャレンジしたいという心からの気持ちに僕は素直に従った。
耐心力 重圧をコントロールする術がある
苦しいときに耐え、信念を貫くことで、風は吹く。さまざまな重圧を乗り越え、現在も活躍を続けるサッカー元日本代表GK(ゴールキーパー)、川島永嗣。彼の著書『耐心力 重圧をコントロールする術がある』は、重圧をコントロールし、成功をつかむための術を教えてくれる、ファンならずともためになる一冊。読めば「心の体力」がつくこと間違いなしの本書より、一部を抜粋してお届けします。