11月14日(木)19:30~渋谷ロフト9で開催される幻冬舎plusフェス「日本の難点2019 ~天皇制から性愛まで総まくり!~」。
登壇者のお一人、ダースレイダーさんは、派手な眼帯がトレードマークの片目のラッパー。それは2010年、33歳のときに脳梗塞で倒れ、合併症の糖尿病で失明したことに始まります。
14日までにダースさんのことをより知っていただくために、闘病の日々を綴った『ダースレイダー自伝NO拘束』の一部を抜粋してお届けします。
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都内N病院。
内科、脳神経外科、眼科の診察は定期的に続いていた。 内科の担当医は若く精力的で信頼出来る人だった。
脳神経外科は入院時と担当が代わり、会うたびに僕が 誰なのか忘れていてカルテで思い出しながら、特に変わりはないですね? で終わる人。眼科も担当が変わっ たが、前の担当のレーザー治療がかなり大胆というかやり過ぎ感? があったようで......慎重に丁寧に診てく れる人だった。
ところが内科の数値が悪い。 当時はインスリン治療と食事制限の二本立てで、時に低血糖の発作という、これは僕が経験した体調の中 ではワーストクラスに入るヤツにも何度か襲われていた。 膵臓からインスリンがほとんど出ないのが先天的なのか後天的なのかはデータ不足だったが、腎臓の数値 がどんどん悪くなる。担当は「まだ若いから大丈夫だと思いますよ」と言いながらも、回を重ねるごとに顔 が曇る。
ある日、ちょっと別の先生にも診てもらいましょうと言われ、内科の別の医師と会った。 この人のことはほぼ思い出せない。記憶から消してしまったのだろうか? 髪型が石野卓球のようだったこ とくらいしか覚えていない。
「まずはDVDを見てください」と言われ、看護士に案内されて暗い部屋へ行った。 室内には小さなテレビが一台とテーブルと椅子。テーブルにはDVDプレイヤーが置いてある。 看護士は「このプレイヤーにDVDをセットして再生を押してください。終わったら呼んでくださいね」
と言って部屋を出ていた。一人、暗い部屋に座る僕。DVDが一枚置いてある。白いDVD – Rで何かのタ イトルが印字してあった。プレイヤーに入れて再生ボタンを押す。
女性の声。
腎臓は沈黙の臓器と言われています。
腎臓が悪くなると治療は難しいです。
そんな内容だ。するとソラマメのような形をしたアニメキャラが歩き始めた。
腎臓くんだ。 腎臓くんは曲がりくねった道をテクテク歩いている。するとだんだんと表情が苦しくなり、お腹を抱えな がら歩くようになる。腎臓くんがへたってくると女性の声が被さる。
一度弱った腎臓は元には戻りません。この地点をポイント・オブ・ノーリターンと言います。
ブブー! 赤ランプのようなものが点灯し、ここから先はもう戻れないことを告げていた。 曲がりくねった道の先には大きなバツ印がある。終点......
“THE LONG AND WINDING ROAD”―― ビートルズの歌だが、腎臓くんの行きつく先はバツ印だった。 その後、人工透析の説明が始まった。女性の声は淡々としている。
僕はデヴィッド・クローネンバーグの『ヴィデオドローム』を観てる気分だった。現実的ではない、なに か。暗い部屋。小さな画面。
そこに浮かぶメッセージはまるで “WELCOME TO HELL!” と書いてあるようだった。いや、書いてあっ た。何故なら僕にはそう読めたからだ。DVDが終わってからもしばらくぼーっとしていたが、はっと気づ き看護士を呼んだ。
「お疲れ様でした。それでは先生に診てもらいましょう」
石野卓球ヘア先生の部屋。まだぼーっとしていた。
「あなたの腎臓の数値はかなり悪いです。しかも一度脳梗塞をされているので......この表で言うとこのエリ アに当たります」―一体なんの表だっただろうか? 医師が指した場所は真っ赤で、危険水域と書いてあった。
「はー」と僕は答えた。
「このまま何も手を打たなければ五年ほどで命の危険があります。もちろん、そうならないように治療しま すがゴニョゴニョ......」
繰り返し言うが、この医師との面談の記憶がほぼない。 この時は、バツ印に向かって腹を抱えながら歩く腎臓くんの映像がずっとループしていた。ポール・マッカート ニーの歌う “THE LONG AND WINDING ROAD” のメロディーがピッチを凄く落とした状態で鳴っている。
この日、病院を出てから当時所属していた鎖 GROUP のオフィスに行った。毎週放送している『鎖 STA TION』というネット番組に出演する為だ。番組の最後はいつも出演者たちによるフリースタイルで締める。 僕にマイクが回ってきた。
「さっき病院で言われて来たぜ俺の余命は五年!」
一瞬空気がざわっとした。視聴者のコメント欄にも「ダース、いまなんて言った?」などの反応があった。でも、 ラップしなければいけない。そんな気持ちでフリースタイルしていた。
この時期、希代のビートメイカーであるJ・ディラやトライブ・コールド・クエストのメンバーのファイ フが相次いで腎不全で他界していた。二人とも四〇代前半だ。
この時、僕は四〇歳。あと五年で四十五。な んだか非常にリアリティーを持つ数字に思えてきた。
僕のバンド、ベーソンズのレコーディングが控えていて、新曲を書かなければいけなかった。頭のフレー ズがひとつ浮かび、一気に書き上げることが出来た。それが “5 years” だ。 スタジオでメンバーに、頭の中にあるドラムパターンを説明し、歌った。歌う事であの暗いビデオルーム から少しづつ出てくることが出来た。Redbull スタジオでのレコーディング、朝の一発目にこの曲をやった。 ワンテイク目でコントロールルームの DUB MASTER X さんが「OKだね」と言った。
あの日、ワンテイクで決めたものがアルバム『5YEARS』に収録されている。 この頃には気持ちは完全にファイティングポーズを取っていた。五年後の俺に会いに行くんだ。 あの暗いビデオルームから抜け出して、前に一歩踏み出すに至る精神の動きを歌詞にしている。それを自分 で歌って血肉化することで、ある種の自己肯定感を得たのだろう。僕にとっては滅茶苦茶前向きな曲だ。こ れが僕の人生なのだ。
この本ではそんな事態になる最初のきっかけから話していきたい。 拘束されない自由な発想を得るに至るまでの道。NO拘束からの 5YEARS までを。
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イベント情報
ダースレイダー自伝NO拘束
『ダースレイダー自伝NO拘束』(ライスプレス)試し読み