11月14日(木)19:30~渋谷ロフト9で開催される幻冬舎plusフェス「日本の難点2019 ~天皇制から性愛まで総まくり!~」。
登壇者のお一人、ダースレイダーさんは、派手な眼帯がトレードマークの片目のラッパー。それは2010年、33歳のときに脳梗塞で倒れ、合併症の糖尿病により失明したことに始まります。
14日までにダースさんのことをより知っていただくために、ライブ会場で倒れ、その後の激動の日々を綴った『ダースレイダー自伝NO拘束』の一部を抜粋してお届けします。
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第一章 世界が回った日
二〇一〇年六月二十三日早朝。この日、世界が回った。 僕はダースレイダーという名前でラップをしている。本名は和田礼、一九七七年生まれだ。
この頃、終わらない肩こりに悩まされていた。三ヶ月以上はこっている。疲れなのか? 生まれつきガッ チガチに固い身体のせいなのか? 柱なんかにグイグイ押し付けたりしながらおかしいな、とは思っていた。
六月二十一日、起きたら肩こりというより激痛になっていた。寝てられない。昼過ぎにプロモーション・ ビデオの監督の沼田君に来宅してもらって打ち合わせ。あれこれ構想を話すも肩が気になる。仕方ないので 打ち合わせ後、近所の整形外科に行った。肩の部分のレントゲンを取るも特に異常はなかった。これは当然 で、異常があったのは肩では無かったのだ。鎮痛剤をもらってどうにかごまかして床に就く。
六月二十二日は気持ち良く起きられた。薬が効いたのかな? 少しホッとする。
夜、一緒に曲を作ろうと誘われていたラッパーのZOEと待ち合わせ。渋谷のタワレコの前でデモCDを 受け取る。この日は青山のベロアというクラブでMCする事になっていた。気温は暖かく、気持ちの良い夜 だった。ベロアは骨董通りの奥。散歩がてら渋谷から青山まで歩くことにする。 これは不思議な記憶なんだけど、この日足取りは軽かった。むしろスキップ気分だ。 渋谷から青山に向かって坂を登る。トントントン。
気分が良い。トントントン。iPod からはご機嫌なナンバー。トントントン。本当に無邪気に、軽快に。向かっ ていってたのだ。トントントンって。夜風がフワリと吹いていて、宙に浮くような気分だった。
ベロアでは DJ HAL の誕生日会が開催されていた。真夜中過ぎに会場に着くと、すでに着飾った男女が 多く集まっている。出演者たちが集まって乾杯が始まっていた。
RYUZO が丁度その時期録音していた『24 Hours Karate School Japan』の構想を楽しげに語っていた。 これは二〇一〇年にリリースされた日本のヒップホップアルバムの中でも傑作になるが、この日もすでに手 応えは十分で自信有りげだ。「ヤバイで!」 嬉しそうだった。
誕生会のケーキなんかの打ち合わせをして、あとは皆とあれこれ話していた。元々酒はほぼ飲まない。弱いのですぐ眠くなっちゃうからだ。でもテンションで酔っ払いに付いていくスタイル。今日は楽しいパー ティーの予感しかしない。ドレッシーな美女たちの微笑み、煌びやかな店内に流れるヒップホップ。いい予 感しかしない、ってヤツだ。
この日の光景はよく覚えている。DJ KUSH とは、翌週ブッキングされていた吉本新喜劇座長の小藪千豊 さんのイベントの話をした。KUSH は当時般若のライヴDJをしていて、般若も同じイベントにブッキン グされていた。お笑いの人のイベントでのライヴ、どうなるのかな? なんて話をした。どんなお客さんが 来るんだろう? どういうアプローチが良いのだろう? 当たり前に翌週の話をしていた。
パーティーもいよいよ盛り上がってきたので、マイクを握ってDJ のプレーを盛り上げて欲しいと頼まれたので「了解! ちょっと顔 洗ってくるよ」とトイレに行った。
鏡の前で顔を洗って、鏡を見た。本当にその瞬間だった。グルリと、誰かが地球を手で回したかのように グルリと。世界が回った。天井と床が逆さになり、また戻り、その後は壁も含めて揺れまくっていた。
立っていられなかった。すぐに洗面器のへりに掴まり、何が起こったのかを判断しようとした。 立ちくらみだろうか? いままでに一度もこんな経験は無い。 頭が右に左にグワングワン揺れる。揺らされている? 僕が揺れているのか? それとも世界が揺れてい るのか? 何だこれは? とにかく、大丈夫だ。落ち着くまで掴まっていれば、なんとかなる。そうだ、手 を離さないで......。
大丈夫ではなかった。掴まっていることも出来なくなり、もう一度目の前がグルリと回る。僕はトイレの 床の上に倒れた。 どうした? どうしたんだ? 自問自答する。とりあえず頭ではしっかり考えられていた。 この間、時間がどれくらい経っていたのかはわからない。体感時間ではもう相当だ。でも実際は数秒かも しれない。
強烈な吐き気が襲ってきた。もう胃の中を、いや内臓全体をひっくり返すような強烈な吐き気。これも未 体験だった。咄嗟に我慢して大便器の個室になんとか転がり込む。そして思いっきり吐いた。 食あたりだろうか? 今日一日、変なものを食べた記憶は無かった。それに夕飯を食べてから随分時間が 経っている。でも、食あたりかもしれない。そうだ、何かにあたったんだ。 それは希望的観測だった。止む事の無い吐き気は辛かったが、とにかく今は事態の原因を知らなければい けない。全部吐いてしまえば落ち着くに違いない。いや、落ち着いてくれなければ困る。吐け! 吐くんだ! 吐くんだジョー!
もう胃液しか出ない。それでも吐き気と気持ち悪さは一向に止む気配がない。いや、むしろ悪化していた。 そして、抗い難く理解させられたのは、この事態は一過性のものではないということだった。何かが自分 の身に起こったのだ。今まで一度もやって来たことの無い何かが。やってきたのだった。まずいぞ。
元々医学的知識など持ち合わせていない。『レザボア・ドッグス』の一場面を思い出した。銃で撃たれて 腹から大量出血しているスティーヴ・ブシェミが「もう駄目だ~!」と叫ぶ。それを、付き添っていたハー ヴェイ・カイテルが「お前は医者なのか?」と切り返す。ブシェミが違うと言うとカイテルは「医者でも無 いのに勝手に診断するな」と言うのだ。 このワケのわからない事態にはブシェミばりに「もう駄目だ~!」と叫びたいところだったが、僕も医者 ではない。だから分からなくて当然だ。分からない僕が一人でいる。
これは良くない。現実逃避したくても現実は覆いかぶさってきていた。そして頭をグラングラン揺らし、 体の内部を全て吐き出させようとしていた。胃液も出なくなったが、それでも胃腸は痙攣を続けた。何が欲しいんだ? もう何も無いぞ! 頼む、落ち着いてくれ!
もう立ち上がることは出来なかった。水道管に掴まって立ち上がろうと試みたけど力が入らない。腰から 下がガタガタして言うことを聞かない。立てない。どうしよう。 転がることにした。反動をつけて床を思いっきり転がった。這うよりも早そうだからだ。ゴロゴロっと回 転してまた気持ち悪くなったが、どうやらもう吐き出すものは何も残っていないようだ。何回か体を転がし て、ようやくトイレから外に転がり出た。
その時大音量で音楽が耳に入ってきた。キラキラしたクラブの世界。トイレの中は不思議な静寂だった。 それは意識としての静寂だったのかは分からないけど、クラブの中とは思えない静けさだった。 トイレから外に出たら一気に現実に戻ってきた気がした。頭もシャキっとして全部元に戻るかな?と思っ たが、そんなことはなかった。
トイレから転がり出たまま、僕はクラブの床に仰向けになっていた。 この時、首からかけていた木製のペンダントがグシャっと折れる音を聴いた。
そばに居た女の子が慌てて「大丈夫ですか? 誰か誰か!」と大声を上げてくれた。すぐに周りにいた人たちが集まってきた。 川ちゃんが「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」と聞いてきた。返事したはずなんだけど伝わらない。 吐き気が収まらないのでゲーゲーしてた。「大変だ! とりあえずトイレで吐きましょう!」 再びトイレの中に連れ込まれてしまった。ああ......戻ってしまった......なんて思ったのは覚えている。ト イレでは多分解決しないんだ。
水を持ってきてくれたおかげで、さらに吐くことが出来た。でも吐き気は落ち着かない。背中をさすって もらっているが背中が凄く遠くに感じられてきた。足の先をなでられているような。
「外に連れてった方が良さそうです」誰かが言ったのが聞こえた。そうだ、きっとそれが良い。ありがとう。
男の人たちが僕を抱え上げてくれた。身体が宙に浮いた気分で少しだけ気持ち良かった。 気持ち悪さが限界を超えてる中で気持ち良いってのも不思議なんだけど。一気に外まで運び出してもらい、 道路に寝かせてもらった。 「大丈夫ですか?」との周りの問いに答えたいんだけれど、答えられない。ゲーゲーしている。周りの会話 だけが耳に入ってくる。
「ダース君、テキーラ飲まされてた?」いや、一滴も酒は飲んでいない。 「結構バーカウンターでは乾杯してたよね?」いや、そこには参加していない。 「元々酒はあまり強くない人だから、急性アル中なんじゃ?」いや、一滴も酒は飲んでいない。
答えたいんだけど、口が言うことを利かない。口を開くと吐き気が倍増する。
その時、横にいたラッパーの ZEUS が「これは危ないかもしれないです。俺のツレでも似たような症状 で倒れたやついるんです。そいつは脳がやられちゃったんです。病院連れて行った方が良いと思います」 脳? そうなのかな? でも、アル中じゃないのは間違いない。それは伝えよう。でも口がうまく開かない。そうだ、とにかく病院へ。でも口が開かない。
「どうしたの? 誰......あれ、ダースじゃん? 大丈夫かよ」
この日のゲストDJで呼ばれていた KEN-BO さんが到着した。 「突然倒れちゃって。原因が良く分からないんです」誰かが説明した。
「わかった。とりあえず病院連れてこうよ。俺車だし、近くの救急知ってるから乗せてくよ」
声の主は KEN-BO さんのマネージャーのAPOさんだった。色々な人に助けられたわけだが、最大の恩 人はこのAPOさんだ。今、こうして書いていてもそう思う。 みんなに助けられてAPOさんの車の助手席に乗せてもらう。座ったら落ち着くかな?とまだ希望を持っ てたが残念ながら変わらなかった。イベントスタッフのラン君も後ろに乗る。 意識はしっかりしている。周りの会話は全部聞こえていたが自分から声を発することが出来ない。でも、 まずはこの気持ち悪さをどうにかしないとしゃべる事なんて出来そうも無い。仕方なく黙って座っていた。
イベント情報
ダースレイダー自伝NO拘束
『ダースレイダー自伝NO拘束』(ライスプレス)試し読み