私のうつは一進一退をくり返しつつ、ゆっくりゆっくり回復していった。それでも、朝目が覚めたときは人生に何もいいことがないような気分だし、冷え込んだ日は、朝ご飯を食べて食後の薬を飲むと、「今日は無理」、ともう一度ふとんに潜り込んでしまうこともあった。
はた目にはノロノロ動いているように見えるうつの人が、実は一生懸命体を動かし、フル回転で頭を働かせていることがある。だからすぐに疲れ果てる。そんなわけで、寝たきりの時期が過ぎても、1日の半分寝ている日は多かった。
歩く速度は遅く、何度も休憩しなければならなかったが、自転車に乗れば昔みたいに疾走できた。自慢じゃないが、私は自転車を漕ぐスピードが速い。重たいママチャリを、タイヤが細くて軽いシティサイクルに替えてから、スピードはさらに増していた。歩くのも速かった私は、のろのろとしか歩けなくなったことが歯がゆかったが、自転車ならほかの自転車を追い越してスイスイ走れるので、ちょっとだけ自尊心を取り戻せた。
ある程度活動できるようになると、お気に入りの池がある公園へ散歩するようになった。ベンチに座り、ずーっとアリの動きを目で追う。風にそよぐ木々を眺める。池のきらめきを観続ける。自然に囲まれぼんやりできる公園は、気持ちがよかった。
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料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。
うつ病になったら、料理がまったく出来なくなってしまったー。食をテーマに執筆活動を続ける著者が、闘病生活を経て感じた「料理」の大変さと特異性、そして「料理」によって心が救われていく過程を描いた実体験ノンフィクション。
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