今年もM-1の季節です。
いまや国民的人気のサンドウィッチマンは、2007年のチャンピオン。
敗者復活からの大逆転劇を見せたわけですが、あの日までは、その名を知る人も少なく、焦燥の中にいました。
彼らの青春時代から震災後の近況までを綴った『復活力』(幻冬舎文庫)より、M-1で勝ち上がっていったあの「奇跡の瞬間」を公開します。
* * *
【伊達みきお】
2007年12月23日。敗者復活戦の朝を迎えた
サンドウィッチマンは敗者復活戦に回ることが決まった。
決勝に残ったコンビで、吉本以外に所属しているコンビはザブングルだけ。ああ、これは出来レースだったんだ、と思った。今回こそ絶対に決勝に行く! という気持ちが強かっただけに、決勝に残ったコンビの面子を見て、何かぽっきり折れたような気分だった。
でも、捨て勝負はしたくない。
決勝戦と同日。
12月23日。
僕はいつもの仕事と変わらない感じで、アパートを出た。
富澤はもっと早い時間に出ていた。仕事はいつも、あいつが先に起きて出かけて行く。あいつがドアを開ける音で目が覚めて、「おお、そんな時間か」って慌てて準備するのが常だった。遅刻ギリギリまで寝てるのは、高校時代から直らない僕の悪いクセだ。
富澤はちゃんとスーツを持って行ったかな? と気になった。舞台での富澤の主な衣装はサッカーシャツ。でも、M – 1は特別な舞台だから、ネクタイを締めなくてもいい、せめてジャケットとパンツはフォーマルなもので行ってくれと頼んでおいた。じゃないとあいつは、平気でサンダルで仕事に行くような奴なんだ。
アパートを出てから、同じ準決勝進出コンビのU字工事・卓郎と浜松町で待ち合わせた。
モノレールで一般のお客さんと一緒になるのはゴミゴミしてそうだから、今日ぐらいは贅沢しようと、ふたりでタクシーに乗って会場に向かった。
タクシーの中では、卓郎ととりとめのないことを話してた。「伊達さん、僕最近、新しいコント番組の出演が決まったんですよ」「へえ、いいなぁ」とか。
敗者復活戦については、特に話さなかったな。2年も同じ経験していたしね。大勢の芸人が集まる仕事に向かうっていう感じだった。
やる気は、もちろんある。でも何というか、選ばれるのは1組だけなんだから、どうせダメでしょうという諦めの方が大きいんだ。これは弱小の事務所に所属するコンビなら、共通した感覚なんじゃないかな。
タクシーで向かう大井競馬場は、意外と遠かった。メーターが1000円、2000円と上がっていくことに、ちょっと焦り出した。その日、財布には5000円ぐらいしか入ってなかったから、こりゃヤバい。結局、現場に着いたら3500円ぐらいになってしまった。
後輩の卓郎にお金を出させるわけにはいかないから、僕が払ってやった。卓郎は「ありがとうございます!」と言って、こっちは「気にすんな」と答えたんだけど、内心は大汗かいていた。今日はコーヒー代も節約だ。中身の寂しくなった財布をしまって、カネがねぇなぁと、ため息ついた。
その数時間後に、まさか1000万円を手にするとは……人生は、本当にわからないものだ。
【富澤たけし】
僕の戦うモードは、オフになっていなかった
2007年12月23日。早朝。東京は雨が降っていた。
午後には晴れるという予報だった。大井競馬場でネタをやるには、晴れてくれた方がありがたいなと思った。
出かける準備ができたとき、伊達はまだグーグー寝ていた。
わざわざ起こしたりしない。遅刻だけはしないでくれよと願うだけだ。
舞台用のスーツをバッグに入れて、アパートを出た。本当は、衣装はいつものサッカーシャツでもいい。でも伊達が「頼むからスーツにしてくれ」と言うから、しょうがなくスーツを用意した。
このときのスーツは親に買ってもらったもの。決勝の映像を見てもらうとわかるけど、かなりダボダボ。「将来、たけしが太っても着られるように」と、大きめのサイズにしてくれたんだ。親のおせっかいと気遣いが詰まった、少し恥ずかしいスーツだ。
出発の時間は、だいぶ早めだった。一度ぐらいしか行ったことのない現場に向かうときは、道に迷うかもしれないので、余裕をもって家を出る。
移動は電車だ。伊達はタクシーを使ったらしい。金もないのにバカじゃないの。後で聞いたら、やっぱり財布の中身ギリギリだったって。計画性のない男だな。
電車で大井競馬場に向かうときの心境といえば、出店は何が出てるんだろうとか、また待機場所は男ばっかりで臭いんだろうなとか……。そんなことをぼんやり考えながら、吊り革を握っていた。
敗者復活できなくてもいいや、という気分ではなかった。伊達はお祭りに行くぐらいの気分だったかもしれない。でも僕は、まだM – 1は終わってねえよと、戦うモードをオフにはしていなかった。
大井競馬場はルミネと違って、吉本ファン以外のお客さんも、大勢来てくれるはず。審査はきっと、公平にしてくれるだろう。気分的には、アウェーに向かう感じじゃなかった。
敗者復活。
狙えるんだったら、狙ってやろう。もし何かを起こせるとしたら――僕らかもしれない。口には出さないけど。出場していた57組の多くは、そう思っていただろう。
【富澤たけし】
不思議なほど落ち着いて聞いた、敗者復活のコール
午後6時30分ちょうど。生放送の決勝戦が始まった。
大井競馬場に中継のカメラが来たとき、57組は全コンビ、舞台上に上がっていた。
僕は人波の一番後ろの列の、そのさらに左端に立っていた。
舞台上は人が多くて、前がまったく見えない。伊達は飛び跳ねたりしてカメラに映ろうとしていたけど、100人以上の芸人がいるんだから映るわけがない。お茶目な奴だ。
僕は舞台の前を見ないで、後列にあるモニターを見ていた。
その直前、僕は前髪を鏡の前で直していた。
その姿をU字工事のふたりに見られていたらしい。後で、あいつらがうちの事務所のスタッフに「富澤さん、もしかして敗者復活でコールされて、カメラに映るって、わかってたんですか?」と聞いたそうだ。
その答えは……想像に任せよう。
司会の3人が場を盛りあげている。そのとき伊達は、ハチミツ二郎さんと、何を食って帰るか話していた。あいつにはもう、敗者復活は他人事だったんだろう。
『M – 1グランプリ2007』のDVDの特典映像の密着ドキュメントでは、このとき、僕がチラッと映っている。
後で聞いたら、サンドウィッチマンが敗者復活決定だとカメラマンは知っていて、僕らに気づかれないようにカメラで“抜いて”いたそうだ。ちなみに、伊達は二郎さんと間違われていたらしい。無理ないな。同じ金髪でガタイがでかくても、二郎さんの方が目立つから。
決勝会場の今田さんに、敗者復活コンビが知らされる。今田さんは一瞬、ハッと驚いたような顔をした。
芸人たちが息を呑んでいるのが伝わる。
僕はただ、無表情で、モニターを見ていた。
不思議なほど気持ちは落ち着いていた。
そして。
「4201番、サンドウィッチマンーーーーーーーーーー!!」
のコールが聞こえた瞬間。会場全体がどよめく中。
僕は誰にもわからないよう、静かに拳をグッと握った。
その瞬間の気持ちは、「こんなこと、あるんだ!」という驚き。
思いがけないチャンスが、突然ふってくる瞬間が人にはあるというけれど、それがまさか、今、僕に訪れるとは!
普段はあまり感情がブレない方だけど、このときだけは「わ~~~~っ!!」という興奮が、ドッと押し寄せてきた。
コールされて、僕は急いで、人波をかき分けて前に出ようとした。
でもみんな前を見てるから、僕なんかには気づかない。ちっとも道を空けてくれなかった。
伊達はもう先に前に出ていた。はりけ~んずの前田さんの「相方はどこや!」の声が聞こえてきた。
やっと前に出られた。最前列でライトを浴びて、拍手を受けた。
気持ち良かったな。お客さんがみんな「おめでとう!」「頑張って!!」と言ってくれるのが嬉しかった。
これが敗者復活者だけに見える風景か。
顔には出なかったけど、本当に感激した。
M – 1は出来レースだ、なんて白けていたけど、心の底では、あきらめていなかった。もしかしたら決勝には出られるかもしれないと。
「うそだろ!」という感情と、「行けるときは本当に行けるんだ!」という手ごたえを、同時に感じていた。
決勝会場の今田さんからコメントを求められて、隣で伊達は上ずった声で「かき回してきます!」と答えた。何言ってんだこいつ? と思った。
でも、後で録画した映像を家で見ると、僕はダブルピースを出してみせたり、ところどころで舌を出したり、普段は滅多にやらないはしゃぎ方をしている。
冷静なつもりでいたけど、やっぱり普通じゃなかったんだろう。
(つづく)
復活力
コワモテなのにカワイイ!?と、圧倒的人気を誇るサンドウィッチマン。
「一番好きな芸人1位」(2018.7月号「日経エンタテインメント!」)にも選ばれました。
しかし、彼らは、2007年のM-1グランプリで”奇跡の優勝”をするまでは、“知られてない芸人”でした。
今こそ、あらためて、サンドウィッチマンを知りたい!
そこでおススメなのが、こちらの新刊。
サンドウィッチマンの原点が、赤裸々な素顔が、ぎゅうぎゅうに詰まった一冊です。
宮城から夜行バスに乗って上京し、10年間ふたりで暮らした安アパート。
2人で舞台に出たら、観客も2人しかいなかったこと。
伊達が富澤に感じた”自殺”の気配。
ついに得たチャンス、M-1の決勝で「ネタがとんだ!」こと。
文庫版にのみ収録された、東日本大震災の復興への思い……
恋人も嫉妬する、甘~~い蜜月は、今も続いています。
最高にアツいエッセイの登場です!