自律神経の名医、順天堂大学医学部教授・小林弘幸先生の最新刊は『死ぬまで“自分”であり続けるための「未来日記」』。先生が提唱する「未来日記」は、「達成したいことを完了形で書く」日記でも計画表でもない、1日の価値を上げる、まったく新しいツールです。
本書より、「みなさんの人生が満足いくものになりますように」と、願う小林先生のメッセージをお届けします。
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懐かしさに浸っていると、人は退化する
「毎日が楽しくて仕方がない」という人は、ほとんどいないのではないでしょうか。特に50歳を超えると、なかなかそうは思えないように感じます。
なぜなら、この年代になると、自分の残りの人生が見えてくるからです。「部長になるのは難しそうだ」「転職したいけど年齢的に厳しいから我慢しよう」「離婚するのも大変そうだし、まぁいいか」など、あまり面白くはない未来が見えてくるのが一般的です。誰だって、若いころは輝かしい未来を夢見ていたでしょうから、現実とギャップが生まれるのは当然です。
すると、人はその反動で過去を振り返るようになります。あまり面白くない未来ではなく、確実に楽しかったこと、つまり、よい思い出に浸るのです。
私自身もそうでした。
私は現在59歳ですが、50代前半のころは過去を振り返ってばかりいました。まだまだ元気だと思っていたのに、階段を上っただけで息切れするし、信号を走って渡ろうとすると足がもつれそうになります。そのたびに「俺も、もう歳だな」と暗い気持ちになって「平均寿命まであと何年」「定年まであと何年」と、人生を逆算するようになりました。それと同時に、未来の先にある「死」から目を背けていました。
そんな毎日を過ごしていると、いろいろなことに対する気力が失われていきました。若いころは大好きだった旅行も、荷造りや移動の手間を考えるだけで面倒。ネットで景色を見れば充分だと思う始末です。
そんなときに私がハマっていたのが、30代のはじめに過ごしたアイルランドでの生活を懐かしむことでした。
アイルランド時代の私は、医師としてスキルアップするために毎日必死に働いていました。そして、そんな自分を思い出すことで「あのころは本当に頑張ったな」と、不甲斐ない今の自分を安心させていたのです。
しかし、そんな時間をいくら重ねても、私の漠然とした不安、もやもやした思いが晴れることはありませんでした。そうすると次は、「人生を大きく左右した、過去のある瞬間」に戻ったら、自分の人生はどうなっていたのだろうかと思いを馳(は)せるようになりました。誰にでもありますよね。就職先を決めた日、プロポーズした日、言ってはいけないことを言ってしまった日……など、人生の流れを決めた瞬間が。
私の場合は、医学部6年生のときに遡ります。
医学部6年生のとき、ラグビーで「一生まともに歩けない」と宣告されるほどの大けがをしました。本当は、卒業旅行でラグビーの本場ニュージーランドへ行こうと思っていたのですが、そんな状況ではなくなりました。
だからもし、あのときけがさえしていなかったら、私はきっとニュージーランドで、さまざまな人と出会い、今とは違う人生を歩んでいたのではないかと思うことがあります。
それがよいのか悪いのか知るすべはありません。それにもかかわらず「あのとき、ああだったら、どうなっていただろう」と、取り留めもなく考えてしまっていたのです。そんな後ろ向きの日々が2~3年間続きました。
「もう一度、しっかり前を向いて生き直そう」と思えたのは、私自身が死にかけたからです。喉が腫れて窒息することもある、急性喉頭蓋炎という病気になりました。むせて呼吸ができなくなるたびに「まさか、今死んでしまうのか」という恐怖に襲われました。そしてなんとか息が吸えるようになると、生きているありがたさをひしひしと感じました。そんなことを繰り返すうちに、「せっかく生きているんだから、精一杯生きないともったいない」と強く思うようになったのです。
誰しも、長い人生、前を向けなくなることはあると思います。そしてそれは、もう一度人生を生き直すために必要な時間だと思うのです。
けれども、ずっと懐かしさに浸っていると人は退化します。後ろ髪を引かれて前に進んでいないのですから、ある意味当然だと言えるでしょう。そしてその退化は、恐ろしいほど急速に進みます。細胞の老化が進み、肌のツヤが失われ、表情が乏しくなり、いつの間にか病気になって、人生が終わる。転げ落ちるがごとく、あっという間なのです。