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リベラリズムの終わり

2019.12.19 公開 ポスト

リベラル派批判の高まりは社会の右傾化のせいなのか?萱野稔人(哲学者・津田塾大学教授)

自由を尊重し、富の再分配を目指すリベラリズムが世界中で嫌われています。理想的な思想のはずなのに、なぜなのでしょうか? 11月28日に発売された『リベラリズムの終わり その限界と未来』(萱野稔人著)では、古典的リベラリズムと、現代リベラリズムの思想を紐解きながら、その限界を分析しました。ここでは第二章「リベラリズムはなぜ〈弱者救済〉でつまずいてしまうのか?――現代リベラリズムの限界」より冒頭をお届けします。


問いの立て方そのものを見直さなくてはならない

リベラル派の言動がいまや多くの批判にさらされるようになったのは人びとが右傾化したからだ──しばしばこのようにいわれる。

たしかに「右傾化」の兆候はいたるところでみられる。

ヨーロッパ諸国では極右政党が躍進しているし、アメリカでは不法移民を国外退去させるべきだと主張するドナルド・トランプが大統領となった。日本でも「ネトウヨ」と総称される人びとによってインターネット上に多くの右派的意見が書き込まれるようになったり、街頭では在日外国人に対する「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」のデモもなされるようになったりした。

それと並行して、これらの国ではリベラル派の影響力がかつてに比べて大きく低下している。

しかし、本当にそうだろうか。リベラル派への批判が高まっているのは本当に「右傾化のせい」なのだろうか。

そもそも「右傾化のせいだ」という主張の背景には「リベラル派こそが正しくて、それを批判する人間はどこかおかしい」という前提がある。すなわち「人びとが右傾化というまちがった方向に向かっているから、リベラル派は(本来は正しいのに)批判されてしまうのだ」という前提だ。

そうした認識のもとでは、批判されているリベラル派にみずからをかえりみる余地はまったく生まれないだろう。むしろそこからは「自分たちはちっとも悪くない」というリベラル派の開き直りが伝わってくる。「右傾化のせいだ」という主張が多くの人を納得させるどころか、いらだたせるのはそのためだ。

それに、たとえリベラル派への批判の高まりと右傾化が何らかの関係にあるとしても、それはかならずしも「右傾化=原因」で「リベラル派への批判の高まり=結果」ということにはならない。

なぜならこの場合、リベラリズムの限界が露呈してしまうような社会の変化があって、それが人びとを右傾化させている、という可能性もあるからだ。

つまり、リベラル派への批判が高まってきたことと人びとが右傾化してきたことは同一の事態における表裏の現象であり、本来はその両者をともにもたらしている要因を考えなくてはならない、という可能性である。

その可能性こそ、ここで考えていきたいことである。

「右傾化」のもとにある問題意識

まずは「右傾化」といわれる事態について考察していこう。

日本社会が「右傾化している」といわれるようになってすでにかなりの年月が経過した。では、「右傾化している」という指摘が正しいとして、「右傾化している」人たちはどのような問題意識によって右傾化しているのだろうか。

ここで重要なのは「どのような問題意識によって」という点である。

なぜこの点が重要なのかといえば、日本社会の右傾化についてはこれまでもさんざんその「理由」が論じられてきたからである。

たとえば次のような「理由」だ。

「貧困や不安定な生活に苦しむ人たちがみずからの境遇の悪さを外国人のせいにして排外的になるから」

「コミュニケーション能力が高くなかったり、人間関係がうまくいっていなかったりして、社会からの疎外感を抱える人たちが、みずからのアイデンティティの拠りどころとしてナショナリズムを求めるから」

こうした「理由」による説明はしかし、ここでの考察にとってそれほど有益ではない。有益でないどころか有害でさえある。

というのも、こうした理由づけは、右傾化している人たちに対して「不幸な境遇から誤った考えに染まってしまった人たち」というレッテルを貼ることにしかなっていないからである。

つまりそこには「リベラルな立場こそ正しくて、右傾化している人たちはまちがっている」という図式が強固にある。

その図式は、リベラル派への批判の高まりを「右傾化のせい」にする主張とまったく変わらない。

これでは、両者をともにもたらしている要因を探ることはできない。やはりそれを探るためには、「右傾化している」とされる人たちが「どのような問題意識によって」そうなっているのかを知る必要があるのである。

そもそも、右傾化の「理由」を貧困や不安定な生活、社会からの疎外といった「不幸な境遇」に求める説明は、右傾化している人たちの考えが「とるに足らないもの」だという前提にたっている。

言い換えるなら、そうした説明は彼らの意見をまともにきかないための便法なのだ。それ自体が「右」的言論を封じ込める戦略なのである。

実際、右傾化している人たちを「不幸な境遇から誤った考えに染まってしまった人たち」と決めつければ、彼らの主張をきく必要はなくなる。

こうした便法に頼っているかぎり、なぜリベラル派の言説がかつてほど説得力をもたなくなっているのかを考察することは難しい。まずは冷静に右傾化のもとにある問題意識を探ることが不可欠だ。

ちなみに、参考のために付け加えるなら、右傾化の説明としてしばしばもちだされる右のような「理由」はかならずしも妥当なものではない。

なぜなら、多くの調査やルポルタージュが明らかにしているように、右傾化している人たちの多くはけっして貧困や不安定な生活に苦しんでいる人でもなければ、社会からの疎外感を抱えている人でもないからである(たとえば、福田恵介「反中・反韓のネット右翼はどこまで深刻か ネトウヨは「男性7割」で「平均年齢42・3歳」 平均年齢42・3歳。低所得層ではなく経営者や自営業者、管理職が多い」(『週刊東洋経済』2019年4月6日号)などを参照のこと)。

もちろんなかには貧困や社会からの疎外感に苦しんでいる人もいないわけではないだろう。が、そうした人たちはリベラル派の支持者にもたくさんいる。そうである以上、右傾化している人たちの全体像はとりたてて社会的に特徴づけをする必要のない、社会の縮図としての全体像であると理解しなくてはならないのである。

*   *   *

『リベラリズムの終わり その限界と未来』では、このあと、右傾化する人たちの問題意識を探ります。続きは本書をご覧ください。

関連書籍

萱野稔人『リベラリズムの終わり その限界と未来』

自由を尊重し、富の再分配を目指すリベラリズムが世界中で嫌われている。米国のトランプ現象、欧州の極右政権台頭、日本の右傾化はその象徴だ。リベラル派は、国民の知的劣化に原因を求めるが、リベラリズムには、機能不全に陥らざるをえない思想的限界がある。これまで過大評価されすぎたのだ。リベラリズムを適用できない現代社会の実状を哲学的に考察。注目の哲学者がリベラリズムの根底を覆す。

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リベラリズムの終わり

自由を尊重し、富の再分配を目指すリベラリズムが世界中で嫌われている。米国のトランプ現象、欧州の極右政権台頭、日本の右傾化はその象徴だ。リベラル派は、国民の知的劣化に原因を求めるが、リベラリズムには、機能不全に陥らざるをえない思想的限界がある。これまで過大評価されすぎたのだ。リベラリズムを適用できない現代社会の実状を哲学的に考察。注目の哲学者がリベラリズムの根底を覆す。

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萱野稔人 哲学者・津田塾大学教授

一九七〇年年生まれ。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。博士(哲学)。『暴力はいけないことだと誰もがいうけれど』(ともに河出書房新社)、『権力の読みかた――状況と理論』(青土社)、『新・現代思想講義―ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版)、『成長なき時代のナショナリズム』『暴力と富と資本主義 なぜ国家はグローバル化が進んでも消滅しないのか』(ともに角川書店)、『哲学はなぜ役に立つのか?』『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門(ともにサイゾー)、『死刑 その哲学的考察』(筑摩書房)などがある。

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