野村克也さんの選手評は、いつも冷静で的確で、なにより野球と選手への愛がにじみ出ていました。心よりご冥福をお祈りします。
野村さんの著書『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)では、教え子である田中将大、「難攻不落」と評するダルビッシュ有から、ライバルだった王貞治、長嶋茂雄ら昭和の名選手まで、名将ノムさんが嫉妬する38人の「怪物」を徹底分析しています。
* * *
ゴジラに攻略法はなかった
私が予感した通り、松井とはその後、数え切れないほど対戦した。松井に打たせれば巨人は勢いづく。ヤクルトが優勝するために松井攻略は必須だった。
とはいえ、相手はゴジラである。攻略法などないに等しい。スコアラーにデータを集めさせ、弱点を探らせても、返ってくる答えは「お手上げです」。そこで、「ヒットを打たれるのはしかたがない。ただし、ホームランだけは絶対に避ける」という方針で臨むしかなかった。
つまり、こういう配球である。ホームランバッターの常として、松井はつねにインコースに目線を置いている。そこで、まずはアウトコースでカウントを稼ぐ。その際、絶対にインコース寄りには放らず(そこは松井のもっとも得意とするコースだった)、ボール気味の外側を突く。そうして次にインコースを攻めるのだが、これもストライクにはしない。すべてボール球。手を出してくれれば儲けものという考えで、「インコースも攻めるぞ」と見せ球にするわけだ。そのうえで最後はアウトコースに落としてひっかけさせる。これが基本だった。
1999年、阪神の監督になった私は、松井封じの一策として、遠山奬志(とおやま・しょうじ)という左ピッチャーをワンポイントリリーフとして起用した。遠山は悪くないスライダーを持っていた。たいていの左バッターは左ピッチャーのスライダーを苦手とする。
しかし松井は──ここが彼の非凡なところであり、安定した成績を残すことができた理由でもあるのだが──左のスライダーに対する選球眼がとてもよかった。そこで遠山にはシュートをマスターさせた。身体に食い込むようなシュートを投げてインコースを意識させることで、アウトコースに逃げていくスライダーをより効果的にするためである。さらに打ちにくくするためにサイドスローに転向させた。
その結果、遠山は松井キラーとして活躍、松井は遠山の顔を見るのも嫌だと言っていたほどだった。とはいえ、1999年こそ13打数ノーヒットに抑え込んだが、翌年以降は逆に攻略された。これも松井のすごさを物語っている。
私がヤクルトの監督を務めたあいだ、松井を封じ込めたシーズンはヤクルトが優勝、3割以上打たれたシーズンは巨人が優勝している。これは、巨人にとって松井の存在感がいかに大きかったかということを示している。松井が在籍した10年間で、巨人はリーグ優勝4回、日本一に3回なっている。しかし、松井がアメリカに行った2003年から巨人は4年間も優勝から遠ざかった。
アメリカでも松井はその存在感をいかんなく発揮し、勝負強さも抜群だった。ポストシーズンの成績は56試合出場で、打率.312、10本塁打、39打点。なかでも強い印象を残したのは、ヤンキース在籍時代の2009年のワールドシリーズである。フィラデルフィア・フィリーズを相手に、13 打数8安打の打率.615、3本塁打、8打点の大爆発。打点はシリーズ史上最多、打率5割以上もベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ以来とのことで、世界一の原動力となり、MVPを獲得したのである。
いずれは巨人の監督を。望むなら私がヘッドコーチに……
松井についてもうひとつ述べておきたいのは、その人間性である。とにかく、悪い噂はどこからも聞こえてこない。サインを断らないなどファンを大切にするのはもちろんのこと、メディアに対してもどんな質問でもていねいに答えるし、礼儀正しい。
そして、自分の記録よりチームを優先する。現役時代を振り返って松井はこう語っていた。
「ひとつだけ自信をもって言えるのは、つねにチームの勝ちを優先し、それを第一に考えていたこと」
だからこそ、日本だけでなくアメリカでも愛され、大いに尊敬されたのだろう。
ただ──こうした人間性も影響していたのだろうが、日本では332本のホームランを打ち、ホームラン王に3度輝いたゴジラは、アメリカでは中距離打者になってしまった。1年目からフル出場を果たし、106打点をあげた松井だが、巨人在籍最終シーズンに50本を記録したホームランは16本と激減した。本塁打率は38.94で、2018年の大谷翔平の14.82打数に1本という数字より格段に低い。その後、もっとも多く打ったシーズンでも31本だった。
メジャーのピッチャーの球威に負けまいとしたからだろう、キャッチャーに近いところで確実にバットの芯でとらえるようになった。ヤンキースという名門に移籍したこともあり、よりチーム優先のバッティングを心がけるようになり、左方向への打球が増えた。たとえ引っ張ることができるときでも、あえてチームバッティングに徹しているように見えた。松井ならば、もう少し長打にこだわっても充分通用したと私は思う。
アメリカに行ったのは全盛期を迎えた時期だった。これからこの怪物がどれだけ進化していくのか楽しみにしていた時期だったのである。あのまま日本にいれば、王に匹敵するほどの記録を残せたに違いない。なにより、一流は一流を育てるという私の持論通り、松井と対戦することで、たくさんのピッチャーが育つことになったろうと思う。日本のプロ野球のために、そのことを残念に思わざるをえないのである。
だからというわけではないが、ぜひとも巨人の監督をやってほしいし、やるべきだと私は思っている。「外野手出身に名監督なし」は私の持論だが、彼なら心配ないだろう。望むなら私がヘッドコーチになる。3年、いや2年で日本一の監督にしてみせる自信はあるが、どうだろうか……。
* * *
この続きは、『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)で。全国の書店で好評発売中です。
【本書でとりあげる怪物たち】
●大谷翔平……最多勝とホームラン王、両方獲れ
●田中将大……もはや気安く「マーくん」などと呼べない存在に
●江夏 豊……「江夏の21球」明暗を分けた佐々木への6球
●清原和博……私の記録を抜くはずだった男
●伊藤智仁……史上最高の高速スライダー。彼のおかげで日本一監督に
●清宮幸太郎……左ピッチャーとインコースを攻略できるか
●佐々木朗希……"163キロ"の豪腕は本物か。令和最初の怪物候補
●イチロー……現役晩年に見られたある変化
●王 貞治……あえて注目したい「四球数」の記録
●長嶋茂雄……ボールをキャッチしようとした瞬間、バットが目の前に
●金田正一……ピッチャーとしては別格、監督としては失格
●稲尾和久……正確無比の制球力でストライクゾーンを広げてみせた
●江川 卓……元祖・怪物。大学で「楽をすること」を覚えたか
●松坂大輔……実は技巧派だった平成の怪物
●ジョー・スタンカ……忘れられない巨人との日本シリーズでの一球
●ランディ・バース……バックスクリーン3連発を可能にした野球頭脳
●柳田悠岐……誰も真似してはいけない、突然変異の現役最高バッター
●山田哲人……名手クレメンテを彷彿とさせる、三拍子揃った新時代の怪物
●山川穂高……大下、中西、門田……歴代ホームラン王の系譜を継ぐ男 ほか全38名
プロ野球怪物伝
- バックナンバー
-
- 野村監督が語る伊藤智仁 私を日本一監督に...
- 野村監督が語る中村剛也 王、私に続く歴代...
- 野村監督が語る「江夏の21球」 明暗は“...
- 野村監督が語る大谷翔平 完全復活のカギは...
- 野村監督が語る柳田悠岐 誰も真似してはい...
- 野村監督が語る金田正一 ピッチャーとして...
- 野村監督が語る松坂大輔 実は技巧派だった...
- 野村監督が語る田中将大 もはや気安く「マ...
- 野村監督が語る大谷翔平 「100年にひと...
- 野村監督が語る清原和博 私の記録を抜くは...
- 野村監督が語る松井秀喜 私が育てた松井キ...
- 野村監督が語るイチロー 私の予想のはるか...
- 野村監督が語る佐々木朗希 “163キロ”...
- 野村監督が語るダルビッシュ有 どんな作戦...