79か国・地域の15歳約60万人を対象とした国際学習到達度調査(PISA)の結果が12月3日に公表され、日本は「読解力」が前回の8位から過去最低の15位に急落したことがわかりました。
“小論文の神様”樋口裕一さんの新刊『「頭がいい」の正体は読解力』(幻冬舎新書)は、まるでその結果を予見していたかのように、「第一章 なぜ日本人の読解力が落ちているのか」で始まります。さらに樋口さんは、「文章を読むだけでは読解力はつかない」とも指摘。では、効率的に読解力を鍛えるにはどうすればいいのでしょうか?
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書けない人は読むこともできない
読解力をつける第二の方法にして、切り札ともいうべき決定的な方法は、文章を書くことだ。
読解力をつけるために文章を読んでいるだけでは、いつまでたっても限界がある。前にも述べた通り、野球やサッカーなど、いくら見方を覚えても、実際にプレイしなければ、深く見ることはできない。テレビ中継を見続けていれば、解説者のまねをしていっぱしのことを言えるかもしれないが、そこには何の裏づけもない。
文章もまずは書いてみる必要がある。書いてこそ、正確に読み取れるようになる。文章を書かないまま、文章を読み取る練習をしているのは、いってみれば、サッカーを実際にはプレイしないままサッカーの見方を習っているのに等しい。それで力がつくはずがない。
言うまでもなく、文章を書くことと読むことは表裏一体の関係にある。読んでこそ書ける。読んでいなければ、知識も言葉も定着していないので、書けるはずがない。だが、書こうという意識があるからこそ、文章を読むとき、それが自分のものになる。感想文やレポートを書かなければいけないのでしっかりと文章を読む。書こうとしなかったら、文章を読んでも通り過ぎてしまう。書くことによって、物事が定着する。
実際に書いてみると、文章の構成がわかる。書いている人間の気持ちがわかる。文章を組み立てるというのがどういうことなのかもわかる。様々な表現が自分のものとして理解できる。論理の組み立ても理解できるようになる。
書くことは思考を明確にすること
いや、そもそも書くことは思考をまとめることにつながる。
何となく自分の意見が正しいと感じている。ところが、それを文章にして人にわかってもらおうとすると、ふと手が止まる。次々と自分の考えに穴があることに気づいて、そのままでは説得力がないことを改めて知る。そんな経験は誰にでもあるだろう。
つまり、書くとは、自分の漠然とした考えに形を与えて、他人にもわかるようにする行為なのだ。したがって、書くことによって考えに筋道が生まれる。頭の中にある連続的な思考を整理し、分析的にとらえなおし、思考の塊を言葉に改め、それを文にして論理的につなげて、一つのまとまりのある文章にしていく。それはまさに自分の思考を外からも見えるものにしていく作業なのだ。書くことによって、もやもやしていたものが明確に意識化される。時に、自分がどこに疑問を感じていたのかがわかる。
したがって、文章を書くことができないということは、自分の思考を外に示すことができないということになる。もっと言えば、実際には思考を自分のものにしていないに等しいということにもなる。
そして、それは文章を書くことによって、思考できるようにもなるということを意味する。
言い換えれば、文章を書く練習をするということは、自分の考えを明確にする練習、もっとはっきり言えば、しっかりと考える練習になる。
何か解決できない問題にぶつかったときには、パソコンを出して、問題点を書き始める。書くという行為は、話す行為と違ってあとから直すことができる。つまりは、自分の思考をいったん文章にしてみて、それを振り返り、そこにあいまいな点や間違った点があったら、それを消して改めることができる。
話すだけであれば、話した内容を忘れてしまう。30秒も話をすると、話し始めたときにどのようなことを語ったか、しばしば忘れてしまうだろう。だが、文章であれば、書き始めた部分を読み返せばよい。そうすることによって、自分の思考の跡をたどることができる。
そうして、何度も書き直し、時にはネットや本で調べて自分の考えを補強したり、ほかの人の意見を参考にしたりして、完成度を高めることができる。
それを繰り返すことは、文章を書く練習になるだけではない。読解力が増すだけではない。思考力が高まり、様々な出来事についての自分の意見を持つようになるだろう。
小論文で論理的な文章力を身につける
では、どのような文章を書くか。
私が多くの人に書いてほしいと思っているのは小論文だ。
1980年代から受験科目に課す大学が増えたので、小論文を学んだ経験のある人は多いだろう。高校や予備校で小論文教育を受けた人もいるだろう。
大学入学後、そして社会人になってから、レポートや論文など、論理的な文章を書く必要が出てくる。それだけでなく、社会全体が論理的思考力や思考を論理的に説明する文章力を求めている。そうしたことから、社会全体で小論文が重視されるようになった。
それにともなって、大学入試で小論文試験が取り入れられるようになった。大学側としては、社会や人間について、そして専門科目について、どのくらいの知識があるのか、どのくらいの文章力があるのかを見るのに小論文試験が適当だということもあって、多くの大学で導入されるようになった。
小論文を書くのに、表現の工夫などはいらない。知識があり、論理的に考える力があれば、すぐに書けるようになる。もし、論理的に考える力がなければ、しばらく小論文を書く練習をすればよい。小論文を書くために論理的に考える練習をしているうちに、本当に論理的に考えることができるようになるだろう。
本書をお読みの方のほとんどは大学受験合格を目的としているわけではないだろう。大学受験を考えてもいないのに小論文を書いてみることに抵抗のある人がいるかもしれない。だが、小論文は論理的な文章の基本だ。ブログに書かれた社会についての意見、新聞や雑誌の投稿欄に掲載されている文章などは小論文の一種だろう。
小論文を書くことによって、まず論理的な文章力が身について、社会を見る目が育つだけではない。社会についての自分なりの考えをまとめるのにも役立つ。週に1本でも社会問題について小論文を書いてみてはどうだろう。
リアリティを作り出すテクニック
ところで、小論文ではあまり重視されないが、もう一つ、文章を書く際に身につけておくべきテクニックがある。それはリアリティを作り出すテクニックだ。
小論文では、あまりリアリティは求められない。「大勢の人がイベントに集まった。その要因として考えられるのは……」という書き方でよい。だが、実際の生活ではそれでは不足だ。「周囲を取り囲む行列ができるほど盛況だった」など、ほんの少しであっても、それが目に浮かぶような説明を加える必要がある。
入社試験時に企業に提出するエントリーシートなどでも、「私はコミュニケーション力がある」と書くだけではリアリティがない。具体的にどのようなことがあったのかを少し加えてこそ、それが事実であることを読み手に訴えることができる。
しかも、このような文章を書く力もまた、文章を読み取る力と直結する。リアリティを出す文章力を身につけるということは、小論文を読んだり書いたりする以上に言葉を自在に使って、読み手の心を動かす力をつけるということだ。深く言葉を読み取れるようになるということにほかならない。
リアリティのある文章は、作文やエッセイ、小説で大事な要素だ。したがって、実はこうした力をつけるには、エッセイや小説を書いてみるのがいい。関心のある人にはぜひ挑戦してみることをお勧めする。
だが、それは本書の役割ではないので、ここではビジネスで必要な書く力をつけるだけにとどめる。のちに説明するような技術を練習して、このタイプの文章を書けるようにしてはどうだろう。ずっと表現の幅が広がるはずだ。
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この続きは、『「頭がいい」の正体は読解力』(幻冬舎新書)で! 読解力を鍛えるための文章テクニックを具体的に解説しています。