『悪夢のエレベーター』『悪夢の観覧車』などの悪夢シリーズで人気の木下半太さんの新刊が出ました。
タイトルは『ビデオショップ・カリフォルニア』。
予測しないことが次々怒る、「映画より波乱万丈!」な、青春小説です。
物語は、2000年1月1日午前零時から始まります。
* * *
ミレニアム、テレクラ、金的
二〇〇〇年の一月一日、午前零時。
ミレニアム。世紀末最後の一年が始まろうとしていた。
おれはテレクラの狭く黴(かび)臭い部屋で、鳴らない電話と向き合っていた。
受話器を外し、フックに直接指をかける。このスタイルがテレクラでの基本中の基本らしい。隣の部屋にいる悪友が言っていた。品行方正な紳士淑女のみなさんのために説明すると、テレクラというのは〈テレフォンクラブ〉の略で、狭い個室にそれぞれ一台の固定電話が置かれており、その前で待機する男の元に、暇を持て余す女性から電話がかかってくるというアナログな出会いシステムである。
悪友の名は出口正大(でぐちまさひろ)。通称・デグ。僕に色々なことを教えてくれる。そして、そのすべてがロクでもない。
そういえばさっきから除夜の鐘を撞つく音がしている。たぶん、茨木神社だ。
部屋の中に鏡がある。前かがみでフックを押さえる自分と目が合った。
「なにやってんねん、おれらは……」思わず呟つぶやいた。
五日前、彼女もいないおれとデグは、一九九九年の大晦日から二〇〇〇年の年明けをどう過ごすかで、真剣に悩んでいた。
行きつけのお好み焼き屋《金きん的てき》で、緊急ミーティングを開いた。
「ミレニアム、ミレニアムってみんな騒いどるけど、ホンマのミレニアムは来年やからな。西暦が一年から始まるねんから、新しい世紀は二〇〇一年からや」
デグは、高校のときから理屈っぽくて友人が少ない。
「別にどっちでもええんちゃう?」
「よくないわ。カトリック教会もそう言うてる」
「お前カトリックやったっけ?」
「うちは浄土真宗や」
《金的》は、ミーティングにもってこいの店だ。なぜなら、お好み焼きができるまで、永遠かと思うぐらいの時間がかかる。阪急茨木市駅の裏で、ヨボヨボのオジイとオバアがやっていて、いつも客は少なく閑古鳥が鳴いている。
だからといって、不味いわけではない。不味いどころか、おれとデグのランキングではぶっちぎりナンバー1だ。
大阪風ではなく広島焼きで、鉄板の上でキャベツがとんでもなく山盛りになる。小柄なオジイが見えなくなるほどの量だ。「どう考えても多すぎやろ!」と初めて来た客は誰でもツッコむが、それが魔法をかけたかのように一枚のお好み焼きとなる。味も抜群だ。生地のサックリとした食感としっとりしたキャベツの甘みのハーモニーが、半端じゃない。
ちなみにオジイは決して客にソースを塗らせない。一つの芸術作品なのだ。
じゃあ、なぜ、客が少ないのか? 明確な理由は二つある。大阪人は短気なので、オジイの動きはスローモーションだし、オバアはどんな時間に来てもキャベツを刻み続けているし、でイライラして我慢できない。もう一つの理由は店名だ。《金的》と書かれた暖簾を女性客はくぐりづらい。デグが「なんでこんな名前をつけたん?」とオジイに訊いたことがあるが、無視された。そもそも、オジイの声を聞いたことがない。ロボットだって多少はしゃべるのに。
「ミレニアムをどう過ごすかで、オレたちの未来が決まる」デグが真面目な顔で言った。
「そんなもんかぁ?」おれはヤンマガを読みながら答えた。
バレーボーイズのギャグに思わず吹き出す。最近はビーバップよりもこっちのほうが断然面白い。
「おい、聞いてんのか? お前も考えろや」
「わかった、わかった」おれはヤンマガをカウンターに置いた。「ほな、鍋でもするか?」
「男二人でか?」
「それもサブいな」
「なんか、アホなことやろうぜ」
出た。デグの口癖だ。
「アホなことって……たとえば?」
「そやな」デグが山盛りのキャベツを見ながら言った。「テレクラとかどう?」
「ミレニアムに?」
「そう。おもろいやろ?」デグが、ウキウキとした顔で頷く。
ヤバい。コイツがこの顔をしたら、絶対に実行する。
「ええけど……アホすぎへんか?」
「人生、アホに生きたもん勝ちや」デグが堂々と胸を張る。
《金的》のオジイが、ジロリとおれたちを睨んだ。
プルッと電話が鳴った。
素早くフックから指を離すが、プープーと虚しい発信音しか聞こえない。ちなみに、テレクラはスピード勝負だ。電話がかかってきてから受話器をとるのでは遅い。フックに直接指を置き、鳴ると同時に指をはなす。そうしないと、同じように個室に待機しているやつらに負ける。
「もしもし?」隣の部屋から、デグの弾んだ声が聞こえてきた。
くそっ。せっかくかかってきたのに負けた。テレクラでは反射神経がモノを言う。入店して一時間、初めてのコールだったのに。
おれはふて腐れ、エロビデオをビデオデッキに入れた。受付のカウンター前にある棚から、三本まで無料サービスで借りられる。
三本ともナンパ物を選んだ。いわゆる素人をナンパしてAV男優がハメる作品だ。九十九パーセントがヤラセとわかっているが、残りの一パーにかける男心をわかってもらえるだろうか。最近、単体物(AV女優の女の子を主演にしたタイプのAVだ)は観ていない。
理由は、女の子たちがどんどん可愛くなり、しかもおれたちと歳が近いからだ。なんだか、そんな女の子たちが、ゴキブリみたいに黒々と日焼けした男優たちに前から後ろから突かれるのを、あんまり観る気にはなれなかった。
ナンパ物の中でもおれは島しまぶ袋くろ浩ひろしという男優が出ている作品が好きだ。この男は明るく女の子をナンパし、明るくセックスをする。ギャグ満載で思わず吹き出したこともある。どこか清すが々すがしく、理想の生き方とまではいかないが、憧れてしまう。
湘南のビーチで水着ギャルたちがナンパされて、いよいよホテルに連れこまれ、さあ、これから島袋浩が大活躍するぞというとき、デグが隣の部屋から叫んだ。
「リュウ! 二人組の女子大生がカラオケに行きたいって! しかも、お嬢様大学や!」
おれたちはテレクラを飛び出した。
デグの車で待ち合わせの場所まで走る。深夜だが、初詣に行く人たちで街は賑やかだ。家族連れ、恋人と二人、友人たち……みんな“大切な人”と連れ立っている。なんといっても新世紀の始まり、百年に一度の大イベントの日なのだ。スケベなことしか考えていないのはおれたちぐらいのものだろう。
「ほらな! テレクラに来てよかったやろ!」ハンドルを握るデグが、興奮した口調で叫ぶ。「向こうも二人って、めちゃくちゃラッキーやんけ!」
「めっちゃブスやったらどうすんねん? いや、そんなに簡単に引っ掛かるんやから、絶対ブスやって!」おれも興奮していた。
「一人は江角マキコ、もう一人は常ときわ盤貴たか子こ に似てるってよ!」
「マジかよ……最高やんけ」
「テレクラの神様がオレたちにご褒美をくれてんねんて!」デグが感慨深い顔で言った。
十五分後、JR摂津富田駅に着いた。《ダイアナ》というパチンコ屋の前で、女子大生たちは待っているという。
「どこや? どの子たちや?」デグがキョロキョロと辺りを見まわす。
車は少し離れたところに路駐した。「いきなり車で現れたら、女の子たちが警戒するやろ?」とデグが冷静な判断を下したのだ。
「お、あれちゃうか!」
《ダイアナ》の前に、二人のシルエットがあった。スラリと背の高い女と、小柄な女。
おれたちは、はやる気持ちを抑えて小走りで近づいた。
見事におれの予想は当たった。
待っていたのは、目つきの悪いキリンのような女とロン毛のアザラシみたいな女だった。
……女子大生? どれだけ想像力を振り絞っても彼女たちのキャンパスライフがイメージできない。お嬢様大学というよりは、どちらかというと屋台村のほうが似合っている。
「遅いわぁ。めっちゃ、お腹減った」キリンがデグに言った。
「はよ、カラオケ行こうや」ロン毛のアザラシがおれに言った。
デグの笑顔は凍りついていた。たぶん、おれも同じ表情をしているのだろう。
「リュウ、逃げるぞ」デグが、走りだした。
「お、おい!」おれは、慌てて追いかけた。
二人並んで、深夜の摂津富田を猛ダッシュした。なんだか、おかしくなって、二人とも大笑いしながら走った。
「アホー」
後ろから、女子大生たちの声が聞こえた。
そのとおり。おれたちはアホだ。
おれの二〇〇〇年は、こんな感じで始まった。
ビデオショップ・カリフォルニアの記事をもっと読む
ビデオショップ・カリフォルニア
二十歳のフリーター桃田竜がバイトするレンタルビデオ店は、映画マニアの天国。映画には興味薄の竜も、悩殺ボディの同僚ができて桃色な日々。だが、東大進学した元カノがAV女優になって現れたり、店の乗っ取りの危機に遭ったり、さらには仲間の裏切りや失踪まで、まさか尽くし!情熱と衝動が止まらない、世紀末(2000年ミレニアム)を駆け抜ける僕らの青春物語。