このエッセイを書く機会をいただいたことをきっかけに、この一年、アメリカで仕事や生活しながら「英語で話す」ではなく「英語で伝える」ことについて、色々と私なりに考えてきた。
通訳の現場は、私が発した言葉がそのまま視聴者に届けられるのだが、翻訳は、ベテランのライターや編集者の方々のフィルターを通して、ひとつの作品が出来上がる。
通訳としてもたくさんの課題を抱えているけれど、翻訳という仕事においても、私はまだまだ卵である。
いつも日本語の原稿を前に、様々なアプローチを試し、頭が痛くなるまで考えて、英語を照らし合わせている。その作業はまるで、日本独特な心情や考え方を正確に汲み取るためのネットを、英語で一生懸命に編んでいるような感覚だ。
でも私は、自分が編んでいるネットが脆く、どこか頼りない気がして、つい長々と編みすぎてしまう。
私の英訳の編集者は、日本語が読めるわけではない。小説家でもある彼女が見極めるのは、私の書いた英語が、伝わる英語であるかどうか。彼女の手にかかると、私の文は余分なものがすっかりそぎ落とされ、いつも30%ほど短縮されて返ってくる。
スピードと正確性が命の通訳も同じだ。うまく伝わらない時ほど、補うために不必要な言葉を付け足してしまう。それはもちろん聞き手にとってもわかり難く、心地よい通訳からは程遠い。
研ぎ澄まされた言葉を綴るために重要なのは、まず自分の中に知識の引き出しが沢山あることだ。そして、その中から言葉を選び出すセンス。
文章の構成や順序、リズムにも気をつけながら言葉を選ぶ。それができてこそ、聞き手を楽しませることができる。コミュニケーションは、エンターテインメントでもあるのだ。
私はよく、「英語を話せるようになりたい」と日本人から相談を受ける。そもそも、英語が話せるというのは、何が基準になっているのだろうか。英単語をいくつ知っていれば、英語が話せると言えるのか。
先日、引越しをした時のこと。主人がネットで頼んでおいた引っ越し業者は、つい最近ロシアから移民してきた二人組みの男性であった。
若い方の男性の英語は、なかなか流暢であったが、黙々と荷物を運ぶ大柄の年上の方は、カタコトしか話せなかった。
荷物を新居に運び終わると、彼は周りを見渡し、ニカッと笑って天井を指差した。そして私に向かってこう言った。
Good house!
移民の国であるアメリカでのコミュニケーションは、意外と自由で、柔軟である。
彼がもっと英語が得意であったら、You have a beautiful home! や、This is a nice house という表現をしていたかもしれない。
でも、新しい街に引っ越してきた私にとって、彼の選んだ言葉はありがたかった。Good house 、良い家だ。素敵な家、綺麗な家と言われるより、ずっと嬉しいし、これからの生活に希望と安心を見出すことができた。
英語で伝えるために、知識や経験ももちろん大事である。でも、話せる、ではなくて話したい、伝えたい。そう思った瞬間の勇気や、好奇心、そこから素直に湧き出る言葉に、自信を持ってほしい。
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英語で伝えるということ
世界的ブームとなっている片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんのNetflix番組「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」の通訳として、そのプロフェッショナルな仕事ぶりが現地で称賛され、注目されている飯田氏。話者の魅力を最大限に引き出し、その人間性まで輝かせる英語表現の秘訣はどこに? 「英語で話す」ではなく「英語で伝える」ときに重要な視点を探るコミュニケーション・エッセイ。