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プロ野球怪物伝

2020.03.02 公開 ポスト

野村監督が語る伊藤智仁 私を日本一監督にしてくれた、史上最高の高速スライダー【再掲】野村克也

野村克也さんの選手評は、いつも冷静で的確で、なにより野球と選手への愛がにじみ出ていました。心よりご冥福をお祈りします。

野村さんの著書『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)では、教え子である田中将大、「難攻不落」と評するダルビッシュ有から、ライバルだった王貞治、長嶋茂雄ら昭和の名選手まで、名将ノムさんが嫉妬する38人の「怪物」を徹底分析しています。

*   *   *

1992年のドラフトで、超目玉だった星稜高校の松井秀喜の指名を見送り、ヤクルトが獲得したのが三菱自動車京都の伊藤智仁だった。

その年のドラフトは、松井一色だったといっても過言ではない。ヤクルトの編成部も松井を強力に推した。

「獲得できれば、10年は4番はいりません」

非常に迷った。松井が逸材であることは間違いない。しかし、私はピッチャーがほしかった。監督に就任して3年。キャッチャーに古田を得て、西村龍次、石井一久、岡林洋一といった先発陣が揃いつつあり、打線も池山隆寛と広沢克己というふたりの大砲が成長してリーグ優勝を果たした。しかし、日本シリーズでは常勝・西武の軍門に下った。日本一のためには、もうひとり即戦力のピッチャーがどうしても必要だった。

松井ほどではないにしろ、4番を打てるバッターは探せばみつかる。外国人にまかせる手もある。しかし、即戦力のピッチャーはめったにいない。それで松井ではなく、その年のバルセロナ五輪で日本の銅メダル獲得に貢献した伊藤の指名に踏み切り、広島、オリックスとの競合を制して獲得したのだった。

キャンプではじめて伊藤のピッチングを見て、私はその選択が間違いでなかったことを確信した。なかでも私を驚かせたのがスライダーだった。あれほどのスライダーは、長年プロの世界で生きてきた私でも見たことがなかった。

初先発で伊藤は7回10三振を奪って初勝利をあげると、前半だけで7勝をマーク。6月の巨人戦ではサヨナラ負けを喫したものの、8回まで無失点、セ・リーグタイ記録の16三振を奪った。

2018年、テレビ番組で再会

伊藤のスライダーの最大の特長は、ブレーキの鋭さにあった。カーブに近い感じで、ギュッ、ギュッと鋭角的に曲がる。しかも、それが132、3キロの高速で曲がるうえ、長い腕がかなり遅れて出てくるから、バッターはタイミングをとるのが非常に難しい。バッターがモーションに合わせて振りにいっても、まだ伊藤の腕は残っているという光景をたびたび目にした。

ただ、伊藤はプロ入り前からルーズショルダーという大敵を抱えていた。肩関節の可動域が広すぎたのだ。それがスライダーの曲がりの大きさの秘密だったと思うのだが、関節がはずれやすかった。まさに諸刃の剣だったのである。7月4日の登板を最後に故障で離脱。そのままシーズンを終えた。

1年目の登板はわずか14試合。しかし、防御率は0.91。109イニングの投球回を上回る126個の三振を奪い、実働3ヵ月であったにもかかわらず、新人王を受賞した。それだけ鮮烈な印象を残したということだろう。

その後、2年間は登板できなかったが、1997年には7勝、19セーブをマークしてカムバック賞を受賞した。1998年以降3年間は100イニング以上を投げたが、往時の面影は失われていた。そして再び肩を壊し、2003年に引退した。

故障の大きな原因は、登板過多にあった。伊藤のおかげで私は優勝監督にしてもらったのだが、それだけ伊藤には負担をかけてしまった。責任は免れない。わかっていながら、彼の心意気に甘えてしまったのだ。ほんとうに申し訳なく感じていた。いつか謝りたいと思っていたのだが、2018年、テレビ番組で伊藤と再会し、思いを伝えることができた。

ケガは「自分の責任だと思っている」と伊藤は語り、「マウンドを降りるほうが嫌だった。ピッチャーは先発したら最後まで投げるのが使命だと思う」と私をかばってくれた。その言葉を聞いて、胸のつかえが下りた気がしたものだ。だからというわけではないが、あらためて私は言いたいと思う。

「伊藤智仁こそ、ほんとうの怪物だった──」

 

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この続きは、『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)で。全国の書店で好評発売中です。

野村克也『プロ野球怪物伝 大谷翔平、田中将大から王・長嶋ら昭和の名選手まで』

攻略法のなかった松井、
史上最高の右バッター落合、
本格派と技巧派、変幻自在のダルビッシュ……
私が嫉妬する、38人の"常識はずれ"な男たち。

王貞治、長嶋茂雄ら昭和の名選手から、大谷翔平、ダルビッシュ有、佐々木朗希ら新世代のスターまで、名将ノムさんが38人の“怪物”たちを徹底分析!


 

【本書でとりあげる怪物たち】
●大谷翔平……最多勝とホームラン王、両方獲れ
●田中将大……もはや気安く「マーくん」などと呼べない存在に
●江夏 豊……「江夏の21球」明暗を分けた佐々木への6球
●清原和博……私の記録を抜くはずだった男
●伊藤智仁……史上最高の高速スライダー。彼のおかげで日本一監督に
●清宮幸太郎……左ピッチャーとインコースを攻略できるか
●佐々木朗希……"163キロ"の豪腕は本物か。令和最初の怪物候補
●イチロー……現役晩年に見られたある変化
●王 貞治……あえて注目したい「四球数」の記録
●長嶋茂雄……ボールをキャッチしようとした瞬間、バットが目の前に
●金田正一……ピッチャーとしては別格、監督としては失格
●稲尾和久……正確無比の制球力でストライクゾーンを広げてみせた
●江川 卓……元祖・怪物。大学で「楽をすること」を覚えたか
●松坂大輔……実は技巧派だった平成の怪物
●ジョー・スタンカ……忘れられない巨人との日本シリーズでの一球
●ランディ・バース……バックスクリーン3連発を可能にした野球頭脳
●柳田悠岐……誰も真似してはいけない、突然変異の現役最高バッター
●山田哲人……名手クレメンテを彷彿とさせる、三拍子揃った新時代の怪物
●山川穂高……大下、中西、門田……歴代ホームラン王の系譜を継ぐ男 ほか全38名

野村克也『野村のイチロー論』

「正直に言う。私はイチローが好きではない。しかし、彼の才能に最初に目をつけたのはこの俺だ」――名将がはじめて書いた、“天才・イチロー vs. 凡人・野村” 究極の野球人間論!

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野村克也

1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)にテスト生として入団。首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、MVP5回、ベストナイン19回、ダイヤモンドグラブ賞1回などの成績を残す。65年には戦後初の三冠王(史上2人目)にも輝いた。70年、捕手兼任で監督に就任。73年のパ・リーグ優勝に導く。その後ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズでプレーし、80年、45歳で現役引退。89年、野球殿堂入り。通算成績は3017試合、2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。指導者として、90~98年、ヤクルトスワローズ監督、リーグ優勝4回、日本一3回。99~2001年、阪神タイガース監督。06~09年、東北楽天ゴールデンイーグルス監督。現在は野球評論家。『野村のイチロー論』『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)など著書多数。

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