老いた研究者×毒舌美人刑事コンビがゾンビ・ウイルス捜し東京中を駆ける!「猟奇犯罪捜査班 藤堂比奈子」シリーズ著者が描く戦慄のパンデミックサスペンス、試し読み第6回。恩師・如月が残した謎のウイルスをラットたちに感染させた微生物学者の坂口、黒岩、二階堂が数日後に目にしたのは……前回までのお話はこちら。
* * *
黒岩は不思議そうな目で坂口を見たが、二階堂は無言で背中を向けている。狭い通路を進みながら、坂口は二階堂に訊ねた。
「変だね? 3つのケージとも全滅したんじゃ」
「死んだように見えていただけだったんです」
振り向きもせずに二階堂が答える。
「え、そんなはずはないだろう。ぼくも見たよ、死んだマウスを」
黒岩は坂口より早くテーブルに駆け寄って、
「あっ」
と、小さく叫んで止まった。坂口は黒岩の背後から、透明な蓋を透かして内部を覗いた。
キュキュキュキュキュ……タタタ……パタパタタ……タタ……
ゴーグルの中で目を見開くと、黒岩も、ラテックス手袋をはめた手でマスクを押さえた。本当はマスクではなく、驚いて口を覆ったのだ。
ケージの蓋は3つとも赤い飛沫で汚れていた。それはマウスの血しぶきで、内部では実験用マウスが獰猛に互いをむさぼり喰っているのであった。団子のように固まって、自らが喰われながらも相手を嚙みちぎっている。すでに半身を失ったマウスもいるが、貪欲さは衰えず、狂ったように相手の腹を喰い破っている。
どの個体も半死半生なのに、攻撃性が衰えない。炯々(けいけい)と目を光らせて共喰いを続ける様は、寒気を感じて気分が悪くなるほどだ。
「これはいったい……なにが起こった?」
坂口が聞くと、二階堂が答えた。
「わかりません」
「マウスはどれも死んでいたよな? 二階堂君」
報告は嘘じゃないと弁明するように、黒岩は坂口を見る。
「硬直していたし、ぼくも死んだと思っていました。でも、念の為バイタルを確認してみたら……」
二階堂はケージから目を離そうとしない。
「坂口先生を呼びに行った時点では、みな同じ状態だったよな? 全滅だった」
「だから、全滅したように見えただけだったんです」
二階堂がクールに言った。
「死んでいたわけじゃないというのかね?」
「1匹出して、パルスオキシメータで心拍数を確認したら、動脈パルスが出ていたんです。仮死状態だっただけでした。解剖して詳しく調べようとしたら蘇生して、嚙まれないように慌ててケージへ戻したんです。その直後、この状態になりました」
頭髪まで覆うスーツとマスクの間、ゴーグルの奥で二階堂の目が動く。
血と肉片がこびりつき、視界が悪くなったケージの中では、嚙みちぎられた尻尾や手足、半面を失ってゾンビのようになったマウスたちが、まだしきりに争っている。
内臓を失って部位だけになっても動き続けるおぞましさと異様さは、坂口たちを震撼させた。
同じケージに入れたマウスも、仕切り板越しに入れたマウスも、シャーレを置いただけのケージでも、同じ事が起きている。
「……空気感染するのかな」
坂口が言うと、
「やっぱり……ただの狂犬病ウイルスじゃなかったんだな」
自分自身に言い聞かせるように、黒岩が低く呟いた。
「狂犬病は血液感染も空気感染もしないはずです。ところが、このマウスはシャーレからでも感染した。ちょっとこれは……異常事態だ。それにこの凶暴さ……しかもインフルエンザウイルスのような感染力を持つというなら、これはもうゾンビ・ウイルスじゃないですか」
いつもはクールな二階堂も、若干青ざめてそう言った。
ゾンビ・ウイルスは正式名称ではないが、宿主を動く死骸のように操る寄生虫やバキュロウイルスなどをそう呼ぶ科学者もいる。
「ビデオは?」
坂口が周囲を見回す。優秀な二階堂ならば、抜かりなく録画をしているはずだ。
「もちろん回しています」
二階堂が身を翻したときだった。バン! と鋭い音がした。ケージの中で血まみれのマウスが跳ねたのだ。ビデオカメラのほうへ移動しようと動いた二階堂を見て、襲いかかって来たようだ。
その瞬間のマウスの顔が、スローモーションのように坂口の脳裏に焼き付いた。
剥き出した牙、裂けるほどに口を広げて何度も蓋に飛びかかる。狂ったように何度も、何度も。
二階堂はケージのロックを確かめてから、カメラでマウスをズームした。白かったマウスの頭も、体も、仲間の血で汚れている。自身も腕や足や耳を失っているというのに、巨大な二階堂に襲いかかろうとして飛び上がる。何度も、何度も、何度も、何度も。
「いったいこれは……」
黒岩の顔も引きつっている。攻撃を続けていたマウスに別のマウスが襲いかかって、やがてケージは静かになった。残されたものは尻尾の欠片と5つの頭部。頭部は両目を見開いたまま、蓋を開ければまだ襲いかかって来そうに見えた。
「如月先生……あなたは何の目的で……何をしでかしてくれたんだ……」
坂口も声の緊張を隠せない。
二階堂が現象をまとめた。
「心拍数が非常に低く、瞳孔拡大。体温低下。だが、死んだわけではない。覚醒すると凶暴になり、動くものなら何にでも襲いかかって喰い尽くす……ぼくが見たとき、変異した個体が最初に捕食したのは、自分の手だったんですよ」
如月は自分の技術に絶対的な自信を持っていた。そして高度な遺伝子工学の技術を使えば、ウイルスのハイブリッドを創り出せるという持論があった。
どの研究室でも同じだが、万が一ウイルスのハイブリッドが創り出せたとしても、その技術が人類に寄与するものでない限り予算はつかない。
それでも如月の探究心は、仮説を実証せずにいられなかったのだろうか。発症すれば致死率100%の狂犬病ウイルスと、脅威の感染力を持つインフルエンザウイルス。ふたつは根本的に異なる遺伝形質を持っている。もしもこれを合体させることができたとして、そんな怪物ウイルスを欲しがるのはテロリストぐらいのものだ。そして、こんなウイルスに関わったなら、テロリストすら生き延びることはできないだろう。
坂口はDVD ROMの走り書きを思い出していた。
「……神よ……つまりはそういうことなのか?」
目の前にあるのは、実験マウスが死に絶えた3つのケージだ。
ケージの内部は血で汚れ、喰い散らかされた死体の欠片が、そこかしこに飛び散っている。
なんとおぞましく、なんと残虐な感染方法なのだろう。宿主を鳥に喰わせるバキュロウイルスでさえ、宿主を無駄に傷つけたりしない。それがこのウイルスは、与えうる限りの痛みと苦しみを宿主に与えて殺害したのだ。
坂口は黒岩にセキュリティコードを発動させて、一時的に特殊研究室を封鎖した。
* * *
つづく…次回、ウイルスを処分しようとする3人だったが…?
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