自律神経の名医、順天堂大学医学部教授・小林弘幸先生の最新刊は『死ぬまで“自分”であり続けるための「未来日記」』。先生が提唱する「未来日記」は、「達成したいことを完了形で書く」日記でも計画表でもない、1日の価値を上げる、まったく新しいツールです。
本書より、「みなさんの人生が満足いくものになりますように」と、願う小林先生のメッセージをお届けします。
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問題に遊ぶ
以前、「問題に遊べば……」という書を見たことがあります。「問題を困難と捉えず、ポジティブに取り組みなさい」というような内容だったと思います。
「問題に遊ぶ」というのは面白い考え方です。
悩みや困ったことが出てきたら、それを材料にして遊ぶ。遊ぶというのは、パズルを解くようなつもりで解決を目指す感覚だと私は受け止めています。暗い気持ちで取り組んでも何もいいことはないのだから、「さて、どうしてやろうか」と、自分から問題にアプローチしていくような気持ちで取り組んでいく。「ピンチはチャンス」と同じように、そういう発想の転換こそが大切だと思います。
私の人生に訪れた最初の「問題」は、母の死でした。高校3年生のときのことです。悲しみに暮れるのはもちろんですが、現実的な問題として降りかかってきたのは、毎日の料理・洗濯などの家事でした。
家のことは母に頼りっきりだったので、当時の私はご飯の炊き方すら知りません。しかも当時はコンビニもなく、父は仕事が忙しくて帰宅が遅かったため、自分で食事を用意しなくてはなりませんでした。
そこで、自炊を始めました。最初は、ご飯を炊き、納豆や豆腐、卵など、包丁や火を使わずに済む食材を買ってきて食べる程度です。お腹が満たされればいいという感覚でした。
そのうち、台所に立つことに慣れてくると、「もっとおいしいものを食べたい。自分が食べたいものを作りたい」という気持ちが出てきました。そこで、ハムエッグを作ったり、肉や魚を焼いたりして、徐々に料理と呼べるものを作るようになっていきました。材料を切って、調味料を正確に量り、加熱する作業が理科の実験のようで楽しくて、レパートリーは増えるいっぽう。ついには、プリンを作るまでになりました。バニラエッセンスの存在を知ったときには、その素晴らしい香りに感動したものです。
私の場合は、「問題に遊ぶ」というよりも、他に道がなかったというほうが正しいかもしれません。けれども、母の死という辛い経験をきっかけに、食べたい料理を自分で作るという喜びを知りました。自分の食事を自分で作ることは、しっかり生きている証になります。そうやって、料理という小さなことではありますが、毎日自分の食事を作って、自分が生きている証を得る。それによって、私は少しずつ母の死を受け入れ、母がいない人生というものを歩み始めたように思います。
人生は、「問題」が起きたときこそが大きな分かれ道となります。
Aの扉を開けるか、それともBの扉を開けるか。それを決めるのは、本人の受け止め方次第です。重要なのは、どんな問題が襲いかかってきたかではなく、それに対して、自分がどう反応するかです。「問題に遊ぶ」という気持ちでいれば、自ずと正しい扉を開けられるのではないでしょうか。