自律神経の名医、順天堂大学医学部教授・小林弘幸先生の最新刊は『死ぬまで“自分”であり続けるための「未来日記」』。先生が提唱する「未来日記」は、「達成したいことを完了形で書く」日記でも計画表でもない、1日の価値を上げる、まったく新しいツールです。
本書より、「みなさんの人生が満足いくものになりますように」と、願う小林先生のメッセージをお届けします。
* * *
今、生きているならそれがベストの選択
「もしもAじゃなくてBを選んでいたら、もっといい人生だったかもしれない」
「もしもCを持っていたら、まったく違う人生が待っていただろう」
人は、いろいろな想像をします。でも、どんな道を選んだとしても、選んだ道に、よい面、悪い面があるのと同様に、選ばなかった道にも、よい面、悪い面があります。
人生は選択の連続で、そのたびに枝分かれを繰り返し、無数の道が張りめぐらされています。
だから、どれが自分にとって正解の道だったかというのは、絶対にわかりません。もしかしたら、華々しい人生を送ってきて正解のように思えた道が、事故や災害で突然途絶えてしまうことだってあるでしょう。本当に、その道が正解だったかどうかは、誰にも死ぬまでわかりません。
私も、かつて不思議な経験をしたことがあります。
先述の通り、医学部6年生のときに足を骨折しました。すると後日、父が奇妙なことを言ったのです。「実はあの日の朝、家の仏壇の花瓶が割れていたんだよ」と。
父としては、それを言うと私が不安がるから、出かけるときには黙っていたということでした。でも、私からすると、いやいや、言ってくれよと。だったら、不吉だからムリしなかったのにと思いました。もしも試合でムリしなければ、骨折することはなかったし、骨折したせいでニュージーランドへ行けなくなることもなかったはずです。だから「あのとき、試合で骨折さえしなければ……」という思いが、ずっとくすぶっていました。
でも、あるときお坊さんに、こう言われたのです。
「それはきっと、もっと大けがをするはずだったのを、お母さんが守ってくださったんですよ」
たしかに、もしあのとき骨折をしていなければ、私はニュージーランドへ行っていたでしょう。そうしたら、向こうで事故に遭って死んでいたかもしれません。あるいは、引退試合だからといって張り切りすぎてしまい、もっと大けがをしていた可能性だってあります。
これは「たら、れば」の話なので、本当のところは誰にもわかりません。でも、人生、何が功を奏するかわからないというのも事実です。
つまり、今、生きているということ。それがすべてです。
死んでしまったら終わりです。だから、生きているということが人生を考えるうえでの大前提であり、最も大切なことです。今まで、辛いことや悲しいことが多くて、不幸な人生だと感じている人もいるかもしれません。でも、生きているのですから、充分幸福です。
今、生きているということは、今まで選んできた道が、正解だった証なのです。