「無気力だって立派な生存戦略なんですよ」。ある日、
連載三回目の今回は、進化に有利なのは「攻撃」なのか「防御」なのかという話。
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人は一定の成功をおさめると「守りに入る」ことがある。
点を取り合うゲームにおいて、大きな得点差がある場合、リードしている方はさらなる点を取りにいくのではなく、守備を固め、失点を防ぐように戦術や戦略を切り替えることがある。
人生でも一定以上の出世をしたり、それなりの給料を得るようになったり、あるいは定年がみえ始めると、キャリアの幅を広げるような新企画に挑むことをやめ、安定・安全な仕事ばかりをするようになる人がいる。
もちろん、そんな「守りに入る」ことが悪いことではないだろう。
しかし、生命史の視点で見るとどうだろうか? “守りに入った古生物”は存在したのだろうか。もしも存在したとして、その結果はどうだったのだろう? 今回は、そんなお話だ。
守ることで得た繁栄
魚の仲間の歴史をたどると、最も古い種類は今から約5億2000万年前に登場した。その魚は、全長数センチメートルほどで、身を守るための鱗や、獲物を噛み砕くための顎をもっていなかった。ひれも未熟である。つまり、防御性能も攻撃性能も、移動能力も決して高くはなかった。
やがて、魚の仲間は鱗をもち、顎をもち、ひれを発達させた種が多くなっていく。
そうした進化の過程で、とくに前半身を骨でできた板で覆った魚が登場するようになる。骨でできた板。それは、まるで骨製の鎧だ。
ゆえにこうした魚は、「甲冑魚」と俗に呼ばれている。学術的な分類名ではなく、あくまでも「甲冑のようなものをもつ魚」というくらいの俗称だ。
魚の仲間では、「甲冑」はその登場から1億年以上にわたって“ブーム”となった。さまざまな甲冑魚が登場するのである。多くの魚たちが「守ること」を“重視”したのだ。
甲冑魚の代表といえる魚は、2種類ある。
一つは、約3億9300万年前のデボン紀中期に登場した「ボスリオレピス(Bothriolepis)」の名をもつ魚たちだ。「ボスリオレピス・カナデンシス(Bothriolepis canadensis)」「ボスリオレピス・マキシマ(Bothriolepis maxima)」など、「ボスリオレピス」の仲間は100種を超え、その化石は南極大陸を含むすべての大陸から発見されている。デボン紀中期の海で、まさに大繁栄していた。
各種で多少のちがいはあるものの、ボスリオレピスの仲間は、横に幅広く、前後に寸詰まりの頭部とティッシュ箱をつぶしたような形状の胴部をもっていた。そして、頭部と胴部、さらに胸びれまでも、カチコチの骨の鎧で固めていた。
胸びれまでもカチコチなので、この魚がどのように動いていたのかは、研究者によって見解が分かれている。胸びれを方向舵として使っていたという見方もあれば、胸びれを使うことで地上を歩くことができたという見方もある。
一つたしかなことは、徹底的に守りを固めた彼らが大繁栄を遂げることに成功したということだ。
守りつつ、最強となる
約3億8200万年前になるとデボン紀も「後期」と呼ばれるようになる。
この時代、ある甲冑魚が生態系の頂点に君臨していた。
その甲冑魚の名前を「ダンクルオステウス(Dunkleosteus)」という。全長8メートルとも10メートルとも言われる大型種だ。現在の海にいるホホジロザメを大きく上回る巨体で、古生代の魚の仲間では最大だ。
ダンクルオステウスは「甲冑魚、かくあるべし!」というような姿をしている。ボスリオレピスとはちがった意味で、甲冑魚の代表的な存在である。骨の板で覆われた頭胸部は大きくやや角ばっており、口先には歯のように鋭い突起がある(歯そのものではない。ダンクルオステウスに歯はない)。西洋の兜を彷彿させる姿であり、その大きさは1メートルを超えていた。百聞は一見にしかず。この頭胸部の復元骨格は、たとえば東京・上野の国立科学博物館や、福岡県の北九州市立自然史・歴史博物館などで見ることができる。
ダンクルオステウスの“甲冑”は、単純に身を守るためだけのものではなかったことがわかっている。甲冑の一部でもある顎の「嚙む力」を分析した研究によると、口の先端で4400ニュートン以上、口の奥では5300ニュートン以上の力を出すことができたという。
参考までに、別の研究によって示された現生のホホジロザメが獲物を嚙むときの力は、奥歯で3130ニュートンである。研究手法が異なるので単純に比較はできないけれども、それでもダンクルオステウスの顎は、ホホジロザメの顎をはるかに上回る“破壊力”をもっていたことになる。
デボン紀の海洋世界において、ダンクルオステウスは最強の存在だったとみられている。
巨体、甲冑による防御性能、そして甲冑の一部が生み出す破壊力。
重騎士。
重戦車。
ダンクルオステウスは、そういった言葉が似合う重量級の狩人だった。守りに入りつつ、その中でも最大限の攻撃力を備えていたのである。
素早さが大事?
徹底的に防御を固めたボスリオレピスは世界各地の海で栄え、防御の上に破壊力まで備えたダンクルオステウスは生態系の頂点に立った。
これだけをみれば、「守りに入る」ことこそが成功につながったようにみえなくもない。
しかしデボン紀の海にいた魚の仲間がすべて甲冑魚というわけではない。
甲冑魚以外の魚として、デボン紀の海を象徴するのは、「クラドセラケ(Cladoselache)」だ。流線形のからだ、発達した胸びれと背びれ、幅の広いブーメランのような形をした尾びれをもつ軟骨魚類である。
軟骨魚類は、現在の海ではサメやエイが所属するグループだ。クラドセラケもどことなくサメを彷彿させる姿のため、「最古のサメ」や「最初期のサメ」と呼ばれることが多い。ただし、クラドセラケは厳密な意味の「サメ類」というわけではない。たとえば、現在のサメ類をみると口は吻部(鼻先)の下にある(鼻が突出している)が、クラドセラケの口は吻部先端にあった。
ただし、サメ類と同じように高い機動性をもっていたと考えられている。
クラドセラケの胸びれは、前部ほど頑丈にできていて、後部は柔軟性に富んでいた。水中を高速で泳いだときに発生する強い抵抗は、頑丈な前部でしっかりと受け、そして、後部を自在に動かすことで進路の調整をすることができたとみられている。
飛行機に乗り、翼の近くの席に座ったことがある人ならば、見たことがある景色かもしれない。飛行機は、離着陸時になると、翼の後部が一部突出し、上下に動く。これによって揚力の微調整を行うのである。クラドセラケも同じことができたと考えられている。
そして、もとより流線形の体つきは、水中の抵抗を減らすことには最適だ。ボスリオレピスやダンクルオステウスと比べると、クラドセラケはそのからだの形自体がすでに高速遊泳に向いているのである。
ちなみに、クラドセラケの化石はこれまでに数百体発見されているが、クラスパー(雄の生殖器)が確認されていない、という妙な特徴がある。
つまり、これまでに知られているクラドセラケはすべて雌なのかもしれない。では、雄のクラドセラケはどこに生息していて、どのような姿をしているのか? そもそもクラスパーがあったのか否かなど、この軟骨魚類については謎が多い。
“攻め”は“守り”に勝る?
ボスリオレピスやダンクルオステウスなどの甲冑魚たちは、デボン紀が終わり、次の石炭紀が始まると、その数を激減させ、やがて滅んでいく。
一方で、クラドセラケに代表される軟骨魚類は、石炭紀になると大繁栄することになる。
生存競争の結果は明らかだった。
“守り”の魚たちが繁栄したのは一時期だけで、高速遊泳仕様という“攻め”の魚たちが勝利したのである。
その後、軟骨魚類は進化を繰り返し、ジュラ紀前期になると、現在のサメ類につながるグループ(新生板鰓類)を誕生させる。
現在、新生板鰓類の“主力”たるサメの仲間たちは、総種数370種以上と言われている。最強の魚の代名詞であるホホジロザメを擁するほか、最大の魚であるジンベイザメ、最速の魚の一つであるアオザメなど実に多様な姿と生態を誇っている。
視点を変えてみると、生命の歴史において、所属するグループが異なっても、似たような姿をもつものが登場することがある。軟骨魚類にみられる「高速遊泳型」は、魚の仲間に限らず、魚竜類やクジラ類(イルカ類)にも登場した。一方で、甲冑魚のような「防御重視型」は、他の動物群には出現しなかった。このことからも、“守りの姿勢”は、少なくとも水中世界では成功につながらなかったと言うことができるだろう。
ただし陸上世界では、必ずしもそうではない。典型的な例はカメ類で、彼らは素早さも攻撃力も保持していない防御特化型だが、2億年を超える繁栄の歴史がある。ほかにも恐竜類の中に出現した鎧竜類、哺乳類においてもアルマジロの仲間など、“守りの姿勢を重視する動物群”は、一定の成功を手にしている。ただし、いずれも基本的には“狩る側”ではない。
一つ、たしかなことは、“守りの姿勢”を採用した動物は、海においては長期の“覇権”を維持することはできなかったし、陸においても“覇権”とは無関係であるということだ。そして、当然のことながら、“攻め”を採用しなければ、生態系の上位に立つことはできない、ということである。
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『古生物のしたたかな生き方』では90種類以上の古生物を紹介しています。そのどれもが「そういう生き方&考え方もあるか……」と思わず参考にしたくなるものばかり。次回は、「サイズダウン」することの利点を古生物に教えてもらいます。大きくなることばかりが進化ではないのです。