1971年、父は留学先のシンガポールの南洋大学から、香港大学へと転学し、我が家はシンガポールから香港へ移る。
キャセイ・パシフィック航空の便で、僕ら一家は、啓徳空港へと降り立った。
現在は既にクローズされた啓徳空港への着陸は、とてもスリリングだった。
面積の狭い香港の土地をぎりぎりに使って作られた啓徳空港は、市街地に接近しており、飛行機は、建ち並ぶビル群のすれすれを飛び、滑走路へと突入する。
浅草の花やしき遊園地のジェット・コースターをイメージすると、なんとなく雰囲気がわかって頂けるかもしれない。
啓徳空港の到着ロビーに入った瞬間に、6歳の僕は、立ちこめる香港の匂いに包まれた。
中華街の市場に入り込んだ時に嗅ぐような、にんにくや八角や、さまざまなエキゾチックなスパイスが入り混じったような香りである。
僕は、この匂いに生理的な違和感を覚え、それから続く一年間の香港生活の間中、苦しめられることになった。
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美しい暮らし
日々を丁寧に慈しみながら暮らすこと。食事がおいしくいただけること、友人と楽しく語らうこと、その貴重さ、ありがたさを見つめ直すために。