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信長の革命と光秀の正義

2020.02.08 公開 ポスト

部下に裏切られ続けた信長の人生安部龍太郎

本能寺の変をおこし、「裏切り者」「三日天下」とネガティブなイメージの強かった明智光秀。一方で、信長の右腕にのぼりめるほど頭脳明晰、そして教養人だったという説もある謎の多い人物です。

不自然なほど資料が残っていない光秀は、本当はどんな人物だったのでしょうか?そして、光秀が「本能寺の変」をおこした真の理由とは何だったのか。

直木賞作家、安部龍太郎さんによる新書『信長の革命と光秀の正義』より、本能寺の変の真相をお届けします。

 

 

光秀以前に信長を裏切った武将たち

信長が生きた「大航海時代」と日本の社会状況、そして本能寺の変に至るまでの人々の思惑と人間関係を記してきました。

天皇を超える「太上天皇」になろうとした信長に対して、朝廷と足利幕府の再興を狙った近衛前久。

信長に仕えながらも「忠誠心」を持ち切れず、もともと身を置いていた幕府勢力についた明智光秀。

信長打倒計画を知りながら防ごうとはせず、その計画を利用し、キリシタン勢力と組んで天下を取ろうとした豊臣秀吉。

策略と裏切りに満ちた、「本能寺の変」前夜の日本の空気が浮かんできます。実際、信長ほど家臣に裏切られた人物は珍しいのではないでしょうか。弟の信勝(信行)、若き日の柴田勝家、浅井長政、荒木村重、松永弾正──。信長の人生は、数えきれない裏切りとの闘いだったといってもいいと思います。

その要因として、信長の主張の激しさがあります。

頭がよすぎて、自分の考えについてこれない人間は許せない、分るやつだけ取り立てるというタイプです。しかも相手の感情に無頓着なところがありました。

自分が超合理主義者ですから、感情の機微にうといところがあるのです。

光秀も秀吉もリストラの危機を感じていた

裏切った者たちにもおおいに言い分はあるのですが、信長はそれを察することができませんでした。

前久は公家であり、中臣鎌足の流れを汲む名門の生まれです。脈々と続いてきた朝廷と藤原家の関係を壊す、信長「太上天皇」が許せるわけはないのです。

合理主義者信長は天皇制の「非合理性」を甘く見ていました。そして、前久が内心反対していることを感じつつ、なんと前久のライバルに自分の養女を嫁がせてしまう。

将軍足利義昭は信長に奉じられたものの、徐々に自分が「傀儡(かいらい)」だと悟り、信長に反旗を翻しました。

光秀は、四国の長宗我部問題、秀吉の援軍、家康の接待と、プライドを傷つけられたうえに、転封も恐れていました。

秀吉もまた、九州平定を命じられる可能性など、光秀と同じように「リストラ」の不安を感じていました。

周囲の多くの人間の思惑が結集し、どんな結果をもたらすのか。彼らの心情を少しでも察していたらわかるはずです。

一度ならず二度裏切られることも

一方で、松永弾正に対しては、一度めの裏切りを許した後に、またも裏切られています。周囲からの忠告はあったろうに、詫びを真に受けて許してしまう──人の心理を読む才能がなかったのです。

荒木村重が謀反した時には、翻意を促すために何度も使者を送ったという記録があります。信長にしてみれば、「城も領地も与え、取り立てているのになぜ」という思いがあったのでしょう。

信長は前ばかり見て突っ走っているため、まわりが見えないところがあるのです。

自分の計算尺度に合わないと、もう理解ができない。けれど人間は信長が思うよりもっと複雑であり、そのことがあの本能寺の変を起こしたわけです。

わざと重臣たちを追い詰めた?

ところが一方、信長ほど洞察力の鋭い男が、本当にこれほどまでにうかつだったろうか。そんな疑問もついて回ります。

その問題を思いめぐらした結果、近ごろでは次のような可能性もあるのではないかと考えるようになりました。

信長はすべてをわかっていながら、わざと重臣たちを追い詰め、忠誠の度合いを試していたのではないか。

相手がそれでも従うなら重用してやるし、反乱を起こすようなら即座に攻め滅ぼす。どちらに転んでもいいように、しっかりと手を打ったうえで追い詰めにかかる。

まさか、そんなと思われる方も多いと思いますが、戦国時代にはこうした調略は日常茶飯事でした。

その大半は敵方に仕掛けるのですが、家中で争いが起きた場合には身方に仕掛けることになります。

若いころから家中の勢力争いに翻弄されてきた信長は、いつの間にか家中統制の方法として、こうしたやり方を身につけたのではないか。

家中の有力者に反乱を起こさせて根こそぎ滅ぼす。そうすれば有力者の所領を重用した家臣たちに分けてやることができるし、家中の統率力を強化できるからです。

そうだとすれば信長の人生は、薄氷を渡るような緊迫の連続だったはずです。

それに耐え抜いてでも理想を追い求め、「是非におよばず」という結果になったのかもしれません。

*   *   *

続きは『信長の革命と光秀の正義』(幻冬舎新書)にてお楽しみください。

安部 龍太郎『信長の革命と光秀の正義 真説 本能寺』

日本史上まれにみる天才・信長は、自らを天皇の上に置き、規格外のスケールで新しい国作りを目指していた。自分を将軍など要職三職のいずれかに就任させるよう求めた朝廷への三職推任要求や、安土城から発掘された御所の存在がそれを証明している。信長の革命思想は、朝廷・幕府・イエズス会、誰にとっても危険すぎる存在となり、その緊迫した状況の中、本能寺の変は起きた――。光秀は、いかなる正義のもとに主君・信長を討ったのか? 信長最期の言葉「是非におよばず」の真意とは? 戦国時代史の禁断の扉を開く画期的一冊。

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信長の革命と光秀の正義

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安部龍太郎

1955年、福岡県八女市(旧・黒木町)生まれ。久留米工業高等専門学校卒業。上京し、大田区役所に就職、後に図書館司書を務める。1990年、「血の日本史」でデビュー。 2005年、「天馬、翔ける」で第11回中山義秀文学賞、2013年、「等伯」で第148回直木賞受賞。2015年、福岡県文化賞受賞。『関ヶ原連判状』『信長燃ゆ』『蒼き信長』『おんなの城』『家康』『平城京』など著書多数。

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