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どこでもいいからどこかへ行きたい

2020.02.06 公開 ポスト

自宅以外の場所に出かけることはすべて「旅」だpha

嫌なことがあったら、日常から距離をとる。場所が変われば、考え方も、気持ちも変わるから。そんなふらふらと移動することをすすめるphaさんの『どこでもいいからどこかへ行きたい』が2月6日に文庫で発売になりました(解説は渡辺ペコさん)。冒頭を抜粋してお届けします。

行くあてはないけど家にはいたくない

旅に出るときはいつも突発的だ。

「あー、もうだめだ。やってられん。なんかだめ。もう無理。もう知らん」

日常を過ごしていると少しずつこんな風な「あーもうだめだやってられん」がたまってくる。そしてたまった「あーもうだめだやってられん」が限界に達して堰(せき)を切ると、いきなり全てを投げ捨てて旅に出たくなるのだ。

突発的な旅ばかりになるのは計画を立てるのが苦手だという性格のせいもある。

1週間後に自分が何をしたい気分になっているかなんて想像できない。1ヶ月後に自分がどこに行きたいかなんてわかるわけがない。半年後には自分がトラックにはねられて死んでいるかもしれない。

旅というのは非日常、計画の外を求めてするものなのに、その旅をきちんと計画を立ててするというのは、ちょっと衝動を社会に飼い慣らされすぎじゃないか? そんなに自分をうまく管理できるならそもそも旅になんか出なくていいのでは? という気持ちもある。

まあそんな感じで旅に出るときはいつも突然で、できるだけ誰にも言わずに一人でいきなり出かける。

特に旅の目的があるわけでもないので早く着く必要はないし、移動中の時間が好きなので、新幹線や飛行機は使わず高速バスや鈍行列車で時間をかけて移動することが多い。

泊まる場所は移動中の車内で検索すればなんとかなる。宿にこだわりはなく、自分の家以外の場所にいられるならどこでもいいという感じなので、安いビジネスホテル、カプセルホテル、サウナ、スーパー銭湯、ネットカフェなどに泊まる。

旅先でも一切特別なことはしない。観光名所なんか一人で行ってもつまらない。景色なんて見ても2分で飽きる。一人で食事をするときはできるだけ短時間で済ませたいので、土地の名物などは食べず、旅先でも普通に吉野家の牛丼とかを食べている。あとはマクドナルドで100円のドリンクを飲みながら持ってきた本を読んだりスマホでネットを見たりする。

要は普段家の近くでやっていることを別の場所でやっているだけなんだけど、僕にとってはそれで十分楽しい。

多分、僕が旅に求めているのは珍しい経験や素晴らしい体験ではなく、単なる日常からの距離だけなのだ。

いる場所を変えるだけで考えることは変わる。特に家からの距離が重要で、同じように見える街でも家から1時間の場所と3時間の場所と6時間の場所にいるのでは気分が違ってくる。物理的に遠くに離れれば離れるほど、普段自分が属している世界を客観視しやすくなる。日帰りできない距離まで来てしまったときの「もう帰れないし泊まるしかないな」という諦めのような解放感もいい。

僕は旅に出るたび日常を振り返って反省することが多い。と言っても別にそんなに重大なことを反省するわけじゃなくて、「最近ジャンクフードばかり食べてたのはよくなかったな……改めよう」とか「部屋のあの部分が散らかってるのをずっと放置してたけど帰ったらちゃんと片付けよう……」とか、些細(ささい)だけどつい放置してしまっていたようなことなんだけど。

人間というものはすぐに惰性に流されて感覚が麻痺(まひ)して、自分のいる場所や自分のやっていることのおかしさに気づかなくなるものだ。

旅で一旦日常をリセットして距離を取って振り返ってみると、普段の生活のおかしさや行き詰まりや、もしくはなんでもないようなことが幸せだったことに気づいたりする。

旅というのは日常を見直すための、頭の中の整理に役に立つ。

「旅で自分探しをする」と言うとちょっと笑われたりするけど、僕は全然ありだと思う。人間というのは周りの環境にすごく影響を受けるものだから、身を置く環境を変えてみると、自分の行動のどの部分が周りの影響でやっていたことで、どの部分が環境によらず自分がやりたいことなのかが見えてきたりするからだ。

突発的に旅に出て、旅先でふと我に返り、自分はなんでこんなところにいるんだろう、と思う瞬間が好きだ。

今日の朝までは普通に家にいたのに、今はよく知らない街のよく知らない部屋のベッドに寝転んでいる。そう考えるとなんだかちょっとおかしくなってくる。

別に旅に出たからといって何かが根本的に解決するわけじゃない。

だけど、自分の部屋で「あーもうだめだ」とうだうだ考えているよりは、よく知らない場所で「あーもうだめだ」とうだうだ考えているほうが少しだけ気分がマシだ。それだけでも来てよかったのだろうと思う。

とりあえず風呂に入って、適当に何か食べて、ごろごろして眠くなったら寝よう。明日何をするかは明日起きてから決めればいい。

◆文庫発売記念イベントのお知らせ◆

2月6日 20:00~22:00 (19:30開場) 会場 本屋B&B
川崎昌平さん×phaさん「働きたくないし21世紀だし同人誌でもつくろうぜ」
 

2月10日 20:00~22:00 (19:30開場) 会場 本屋B&B
2月10日 phaさん×佐藤友哉さん×滝本竜彦さん「作家の知の整理術」

11月29日(金)pha×よしたに「中年が孤独と不安をこじらせないために」トークを開催!

人生の迷いや不安なども率直に語り合いながら、今後の展望へとつながる知恵やコツを交換しする場にしたいと思います。申し込み方法は幻冬舎カルチャーのページをご覧ください。
 

関連書籍

pha『どこでもいいからどこかへ行きたい』

家にいるのが嫌になったら、突発的に旅に出る。カプセルホテル、サウナ、ネットカフェ、泊まる場所はどこでもいい。時間のかかる高速バスと鈍行列車が好きだ。名物は食べない。景色も見ない。でも、場所が変われば、考え方が変わる。気持ちが変わる。大事なのは、日常から距離をとること。生き方をラクにする、ふらふらと移動することのススメ。

pha『できないことは、がんばらない』

他の人はできるのに、どうして自分だけできないことが多いのだろう? 「会話がわからない」「服がわからない」「居酒屋が怖い」「つい人に合わせてしまう」「何も決められない」「今についていけない」――。でも、この「できなさ」が、自分らしさを作っている。小さな傷の集大成こそ人生だ。不器用な自分を愛し、できないままで生きていこう。

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』

定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より 若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

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どこでもいいからどこかへ行きたい

2月6日発売の文庫『どこでもいいからどこかへ行きたい』試し読み

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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