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本屋の時間

2020.02.15 公開 ポスト

第78回

途方にくれる大人辻山良雄

店の近くに「原っぱ公園」(正確には「桃井原っぱ公園」だが、正式名称で呼んでいる人を見たことはない)という、広い公園がある。店が休みの日の夕方など、近所の若いお母さんが子どもと遊んでいる姿をよく見かけるが、その脇を歩きながら、ふと遠くまできてしまったと思うことがある。

ローリング・ストーンズに「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」という曲がある。ある日の夕暮れどき、座っていたわたしは、子どもたちが笑いながら遊ぶのを眺めている。そのほほえみはわたしに向けられたものではないが、そこにある断絶から、わたしは自分に与えられた時間が限られたものであることを思い出す——

曲を知っているから目のまえの光景に心を動かされるのか、目のまえの光景から知っている曲を思い出すのかはわからないが(それは分かちがたいものだ)、その曲が流れてきた瞬間、感情につかまれないように、すぐにその場を立ち去った。

 

流れ去る時間をまえにして、人はあまりにも無力だ。人生をさかのぼってもう一度やり直す気にはなれないが、「そうあるべきだったのか」と自らに問う声は、どこまで逃げても影のようについてくる。目のまえで無心に遊ぶ子どもたちは、幸いにしてまだ、その声を聞くことはない。

先日発売になった『誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ』(イ・ギホ著、斎藤真理子=訳、亜紀書房刊)は、そうそう、こんな小説が読みたかったのだという短篇集。幾つかの話には作家本人を思わせる小説家が登場するが、彼らはみなそうありたい自分の理想を持ちながら、思うにまかせぬ現実にとまどい、翻弄されている。

誰かの苦しみを理解して書くのではなく、誰かの苦しみを眺めながら書く文章。僕はそんなのをいっぱい書いてきた。

「ハン・ジョンヒと僕」

目のまえの他人と、どれだけわかり合えることができるのか。それは作家である以前に、人間として彼に根差した問題意識のように思える。

なんだかひとごとではないと思い、著者であるイ・ギホの略歴を見ると、わたしと同じ72年生まれだった。ちょっと人生には慣れてきたけど、まだまだ予期せぬことでつまずいてしまう年齢。自分が思い描いていた生きかたは、いまのそれとはすこし違うのかもしれないけど、なんとかこのままやっていくしかない。作風はバラエティに富んでいるが、いい大人が途方にくれている姿が、最終的には心に残った(そんなシーンはなかったのかもしれないが)。

そういえば、店にくる小さな子どもと話すときは、いまでも顔がこわばってしまう。そのとき感じる、あのすこし足りない気持ちはなんなのだろう。

今回のおすすめ本

『フライデー・ブラック』ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー 押野素子=訳 駒草出版

小説はつまるところ、その人の声である。差別と偏見にされされた怒りや悲しみは、この人物に〈声〉を与えた。ダークでスマート、刻みつけるような短篇の数々。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

○2024年11月15日(金)~ 2024年12月2日(月)Title2階ギャラリー

三好愛個展「ひとでなし」
『ひとでなし』(星野智幸著、文藝春秋刊)刊行記念

東京新聞ほかで連載された星野智幸さんの小説『ひとでなし』が、このたび、文藝春秋より単行本として刊行されました。鮮やかなカバーを飾るのは、新聞連載全416回の挿絵を担当された、三好愛さんの作品です。星野さんたってのご希望により、本書には、中面にも三好さんの挿絵がふんだんに収録されています。今回の展示では、単行本の装画、連載挿絵を多数展示のほか、描きおろしの作品も展示販売。また、本展のために三好さんが作成されたオリジナルグッズ(アクリルキーホルダー、ポストカード)も販売いたします。

※会期中、星野さんと三好さんのトークイベントも開催されます。
 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

◯【書評】

『アウシュヴィッツの小さな厩番』ヘンリー・オースター [著]/デクスター・フォード [著]/大沢 章子 [訳](新潮社)ーーアウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは? [評]辻山良雄
(Book Ban)

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

◯【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(3)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第3回が更新されました。今回は〈時間〉や〈世界〉、そして〈自然〉を捉える感覚を新たにさせてくれる3冊を紹介。

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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