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嫌なことがあったら、日常から距離をとる。場所が変われば、考え方も、気持ちも変わるから。そんなふらふらと移動することをすすめるphaさんの『どこでもいいからどこかへ行きたい』が2月6日に文庫で発売になりました(解説は漫画家の渡辺ペコさん)。冒頭を抜粋してお届けします。

余計な会話をしなくてすむマニュアル通りのアルバイトに安心する

シェアハウスに住んでいると言うと、「社交的なんですね」などと言われることがあるのだけど、それは全く間違っている。

僕は人間の様子を一方的に見ているのは好きだけど、人間と会話をするのはあまり好きじゃない。会話や集まりが苦手だから、能動的にコミュニケーションをしなくてもなんとなく周りに人間がいるという仕組みを作りたくて、それでシェアハウスをやっているのだ。

人間と会話をするときは、こちらも人間のふりをしなければいけない。人間のふりというのはつまり、体を起こして表情筋を動かして、「へー、そうなんですね」などと相槌(あいづち)を打って、相手に興味を持つふりをする、といった一連の動作のことだ。

僕も頑張ればなんとか1時間くらいは人間のふりをして会話を楽しむことができるのだけど、1時間を超えると頭が真っ白になって麻痺してきて、今すぐ地面に体を投げ出して死んだような目で口を半開きにしながら全身で蠕動(ぜんどう)運動を繰り広げたい、というようなことばかり考えるようになる。

コミュニケーションでも文字によるもの(チャットやメールなど)ならまだ比較的負担が少ないのだけど、音声による会話は消耗が激しい。いちいち口を開いたり閉じたり舌を動かしたり、声帯を震わせて声を出したり鼓膜の振動の意味を解釈したりするのが、面倒臭くてしかたない。人間はなんでこんな伝達手段を生み出したのだろうか。

そんな感じなので日常ではできるだけ会話を避けるように生活をしている。シェアハウスにはいろんな人間が出入りするのだけど、あまり会話はしない。話さざるを得ないときは、何を言われても「へー」とか「ほー」とか「いいですね」とかひたすら言っていると、そのうち会話が終わる。

一人で外をふらふら散歩しながらぼんやりしているときが自分の中で一番楽しい時間だ。でもそんな散歩の最中に知り合いを見かけると反射的に隠れてしまう。前もって会話エネルギーを用意していないときに他人と会話すると特に消耗が激しいからだ。

会話という行為自体が心理的負担で、発声するたびエネルギーを消耗する人間がいることを考慮せずに、突然話しかけてくる人間がこの世界には多すぎると思う。髪を切りながら話しかけてくる美容師と服屋で話しかけてくる店員のことは憎んでいる。あと突然玄関のチャイムを鳴らす営業マンや宗教の勧誘のことも。

店に行くときはチェーン店がいい。チェーン店の店員はマニュアル以外の余計なことを話さない。個人商店のおっさんのように「このへんに住んでるんですか」とか「最近よく来ますね」みたいな余計なことを言わない(そういうことを言われるともうその店には行かなくなる)。

チェーン店で働いているのは、マニュアルに沿って動くだけの、誰とでもすぐに入れ替わりが可能なアルバイトばかりだ。バイトなんてそれでいい。たかがバイトなんかに人間エネルギーを費やす必要はない。そして、そんな人間味を失った店員の前では自分も、社会性や愛嬌(あいきょう)を持った人間のふりをしなくても許されるような気がするから楽なのだ。

村田沙耶香(さやか)の小説『コンビニ人間』は、他人とのコミュニケーションの取り方が全くわからないという発達障害の傾向がありそうな女性が、マニュアルが完備されたコンビニの店員になることで他人の前でどのように振る舞えばいいかを学び、生まれて初めて「社会」の正常な部品である「人間」になれたと感じる、という話だ。

これを読んだとき、社会の中でみんなどうやって「まとも」に振る舞っているかが理解できないという主人公にまず共感したし、その主人公がマニュアルという規範の存在によって心が楽になるというのも頷(うなず)けるところだった。

そう、制服や挨拶、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」や「こちら温めますか」などといった決まり文句、そういったマニュアルに定められた定型的行動は、生の人間と人間がむきだしのままで直接コミュニケーションをするという恐怖から僕らを救ってくれるのだ。だから僕はチェーン店が好きだ。

もっと欲を言えば、コンビニが全部セルフレジ方式になって今よりさらに店員との接触がなくなればよいなと思っているのだけど。

僕はコンビニで買い物をするとき、100円のものを一つだけ買うのを躊躇(ちゅうちょ)してしまう。そんな安い買い物一つのために店員さんの手や発声機能を煩わせるのは申し訳ない、そんなのは人間の仕事じゃない、とか思ってしまうからだ。そんなに気にしなくていいのかもしれないけれど……。そういうときは無理にもう一つくらい別に買うものを探したりする。レジが無人だったらそんな気遣いをしなくていいのだけど。

飲食店だと、先に会計を済ませるセルフサービス方式か、食券制のところがいい。あとで精算をする方式だと、食事をしたあとに店員と会話して会計をしなければいけないというタスクを残していることが、食事中ずっと軽い心理的負担として残り続ける。先会計だと、嫌なことは全て先に済ませてしまってる感があって気が楽だ。

後会計方式だけど、回転寿司は好きだ。発声しなくても自動的に食べ物が回ってくるからだ。一言も発さなくても目の前に流れてくるものを取り続けるだけで食事ができるというシステムは本当に素晴らしい。

僕は回転寿司でレーンに流れていないものを直接注文することはほとんどしない。発声するのがしんどいのもあるし、そもそも何を食べたいかを考えるのが面倒だというのもある。

発声するのと同じくらい、何かを選択するというのが僕は苦手なので、いつもお店で注文を決めるときに毎回すごく悩んでしまう。だけど回転寿司だと、なんの選択も決定もしないままで、とりあえず席に座ってしまえば自動的に食事が始まるのがよいのだ。そんな店は回転寿司しかない。

何も決めず、流れてくる皿たちをぼーっと眺めながら、気分次第で適当に食べたいものを拾っていく。

「これが食べたい!」という強い意志を持たなくても、なんとなく流れてくるものを見ていれば美味しそうなものは結構いろいろある。自分ではあまり頼まないものが流れてきて、「これもよさそうだな」とか思って食べてみるのも楽しい。

人生だってそんなもんじゃないだろうか。人は自分の生き方を全部自分で決めるわけじゃなくて、たまたまそのとき目の前に出てきたものに左右されて生きていくことが多い。でも多分、それでいいのだ。そうしたランダムさこそが人生の醍醐味(だいごみ)なのだ。

最近すごく悩ましいのはサンドイッチチェーンのサブウェイのことだ。

サブウェイではサンドイッチを注文したあと、

「パンの種類を選ぶ」

「パンをトーストするかどうかを選ぶ」

「トッピングを加えるかどうかを選ぶ」

「野菜を増量するかどうかを選ぶ」

「ドレッシングの種類を選ぶ」

などの一連の選択を全て店員との口頭の会話で行わないといけない。これは会話が苦手な人間にとってはつらい。

決めるのが面倒な人向けに、「全ておまかせで」という注文も可能だ。でもその場合でも「この具材ですとパンの種類はハニーオーツがおすすめですがよろしいですか?」とか「苦手な野菜はありませんか?」といった質問にいちいち答えないといけないのが面倒臭い。正直、パンの種類とかどれでもいいから適当に確認せずに決めてほしい。

じゃあ行かなければいいという話なのだけど、サブウェイのサンドイッチは外食にしては野菜をたくさん摂取できるのでたまに食べたくなるのだ。しかし注文の面倒さが心理的なハードルになっている。

一言も発さずにタッチパネルをピッピッピッて押すだけで好きなサンドイッチが出てくるサブウェイがあったらめっちゃ行くのに。というか、世界中の飲食店が全部そんな感じのタッチパネル式になってほしい。食事のときくらいは人とのコミュニケーションから解放されたい。

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関連書籍

pha『どこでもいいからどこかへ行きたい』

家にいるのが嫌になったら、突発的に旅に出る。カプセルホテル、サウナ、ネットカフェ、泊まる場所はどこでもいい。時間のかかる高速バスと鈍行列車が好きだ。名物は食べない。景色も見ない。でも、場所が変われば、考え方が変わる。気持ちが変わる。大事なのは、日常から距離をとること。生き方をラクにする、ふらふらと移動することのススメ。

pha『できないことは、がんばらない』

他の人はできるのに、どうして自分だけできないことが多いのだろう? 「会話がわからない」「服がわからない」「居酒屋が怖い」「つい人に合わせてしまう」「何も決められない」「今についていけない」――。でも、この「できなさ」が、自分らしさを作っている。小さな傷の集大成こそ人生だ。不器用な自分を愛し、できないままで生きていこう。

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』

定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より 若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

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どこでもいいからどこかへ行きたい

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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