前回、ほぼ日のイベント「幡野広志のことばと写真展」について、リポートした。
そちらに行った方はお気づきのように、この展覧会の世界観は、『なんで僕に聞くんだろう。』の書籍のデザインと、大いにリンクしている。
そこで、どうしても装丁(ブックデザイン)の話をしたい。
装丁に写真を入れるか入れないか問題
『なんで僕に聞くんだろう。』をデザインしてくださったのは名久井直子さん。名久井さん助けて―! 名久井さんお願いーー! と、多くの人がすがりつく人気のブックデザイナーだ。
名久井さんに話を持ちかけると、「いつもケイクスで読んでますよ!大好きな連載!」と、速攻オッケーしてくれた。
名久井さん、話がはやい!
この本では最初からこうしたい、と思っていたことがある。
表紙に写真を入れたい。本文の中にも写真ページを作りたい。――ということ。
だって、ケイクスでの連載には写真が多用されている。回答の言葉と写真が必ずしもリンクしてるわけじゃないけど(リンクさせてるわけじゃないですよと、幡野さんもおっしゃってた)、文章を追いかけながら写真が出てくると、気持ちがふわっとなる。ホッとする感じもある。
やっぱり写真、欲しいじゃん。
そんなの誰でも考えるし、あたりまえ、って思うかもしれない。でもこれまで、幡野さんは写真家でありながら、“文字もの”の本には、表紙にも本文にも写真を入れないという判断をされてきた。(これまでの幡野さんの2作『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』は、文字だけのデザイン。)
写真家の本なのに、写真を入れない。そこに幡野さんの意思がある。そして、それが幡野さんらしくていいなあと思っている自分もいる。
今回、写真を入れたいという私の考えを説得できるだろうか……。
幡野さんと名久井さんが顔をつきあわせてのミーティングが持たれた。
ケーキ食べてコーヒー飲んで、おしゃべりをした。
名久井さんは、本文組のデザインを持ってきてくださって、それを見ながらおしゃべりをした。
その本文組を見て、幡野さんが「すごいなー、デザインだけでこんなふうに印象が付くんだなあ、すごいなあー」と言った。
わりと無機質ともいえる本文のレイアウトでも細やかに感動するのが、幡野さんなんだなあと、このときすごく印象に残った。幡野さんが、過去2作を文字だけのシンプルな作りの本にしたのが、なんとなくわかった気がした。
ちなみにこのとき、ブックデザインの細部について、あれやこれやと話した記憶はない。話したかもしれないけど、数分で終わった。
写真については、幡野さんは「入っていても、入ってなくてもいいかな」くらいの感じだった。
おしゃべりのあとに名久井さんが「なんとなくわかった」と言った。
ケーキとコーヒーを挟んだ二人の間に、見えない何かが見えた気がした。つまり、信頼とかそういうもの。
やっぱり写真を入れたいなあということは、打ち合わせが終わった後で、名久井さんにまた伝えた。
名久井さんも「写真入れるの、いいよね」と言ってくれた。そして「入れるなら、できるだけさりげない写真がいいね」と言った。この「さりげない写真がいいね」という言葉が、実は非常に重要なのだが、それは、またのちほど。
ちなみに、名久井さんから「“ある試み”をしたい」と、なかなかびっくりの提案をされたのは、このすぐ後のことである。
「地味にぜいたく」してみた!
さっそく名久井さんから出てきたのが、このカバー。
表1(本の表側)は……おお、こんなふうに。
美しい。文字の置き方、書体、字間、写真の大きさ、位置、白い空間の作り方(文字にすると、急に稚拙になっちゃうけど、こういう陳腐な言葉を黙らせるのが、美しいデザイン!)。さすが名久井さん。めっちゃ素敵。
次のPDFを開いてみる。
うーわ。びっくりした。表4(本の裏側)に、写真全面敷き!?
なにこれ、やっばーい!
うーわ。うーわ。
ん? もうひとつPDFがついている。
なんだろう?と開けてみると、この黄色い色のついた画像が出てきた。
この黄色、なんだかわかりますか?
そう、これが、名久井さんが、打ち合わせの後に言っていた「ちょっとびっくり提案」なのである。
「袖山さーん、透明の箔を押したいんです。この黄色いところに」
キター! 名久井さんの“必殺・無邪気なオーダー”!
はい、名久井さんはとても無邪気なのです。
透明の……箔?!
ちなみに、印刷において「箔押し」というのは、箔を押したところだけ、表面に光沢がかかるようにする加工のことで、その部分にあわせた「金型」というものを作らねばならず、予算のかかる加工だ。
お金のかかるものであれば、「お金かけてますよ」「ゴージャスにしてますよ」っていうのを、わっかりやすく加工をするのが、普通の考え方だけど……
透明の箔ですよ!
透明人間って知ってますよね? 見えないってことですよ。
最高だなあ、こういう無駄。いやいや、無駄なんかじゃない。
最高だなあ、こういうぜいたく。
ちなみに、すでに本書をお持ちの方はおわかりのように、透明の箔を押したところはこうなっている。
一見、地味に見えるかもしれないが、でもこの本を手にした人ならわかってくださると思う。
この、つやっとした、うるっとした、湿度を持った、本の趣き。これによって帯びた、本の存在感、本の体温。
幡野さんという存在と、本が、リンクした感じが生まれた。
名久井さんのこだわりには、必ず”素敵な意味”がある。
名久井先生、アリガトウゴザイマス!
ブックデザインが個展に!
結局、思い切り写真を使ったデザインになっちゃったけど、大丈夫かしらと思いながら、幡野さんに提出。
速攻オッケー!
オッケーどころか、ちょうど個展の打ち合わせも並行でなさっていて、気づけば、この本の世界観が、個展の世界観にもリンクしていくことになっていたのである。
その結果が、コレ。
この桜の写真に、多くの人が、ふわーーと包み込まれるような、なんともいえない気持ちになったのではないでしょうか。
さて、話をブックデザインに戻します。
名久井さんから、再び、“必殺・無邪気なオーダー! ”が届いた。
「表紙のカラーって、有り、ですかね?」
装丁では、「カバー」を外すと出てくる部分を「表紙」と呼ぶ。表紙というのは、多くの本のカバーを外して見てもらえるとわかるように、色数の少ないものがほとんど。
当然、ここをカラー(4色印刷)にしたら、その分予算がかかってしまう。
本を売るときは、カバーがかかっているので表紙は見えないんだから、そこは節約できるところで、つまり、「表紙にカラー」というのはあまり好ましく…な……
「有りです!」
はい、有りにしました。
というのも、これにはちょっとカラクリがある。
実は、さすがの名久井先生、並行してシンプルなデザイン案も提出してくださっていた。ただ、シンプルさを生かすのに、使う紙にこだわりがあった。
一方で、4色の印刷の方は、安い紙を使うことができたので、結果的に予算がこちらのほうが、節約できたのである。
これぞ、名久井マジック!!
あがってきたデザインがこれ。
一目見て、これで絶対いくぞ!と思っちゃいました。
もう、これ見たとき、予算とかそういうのあってもなくても、絶対これ!って思っちゃいました(編集者失格⁉)。
この上にかけるカバーは、手触りのさらっとした、”冷たくない雪”みたいな白さと、青い桜の静けさのある写真が印象的。
それをはずすと、コレが出てくるわけですよ!
センセイ! ナーイス! ナイスでーす!!
「幡野広志のことばと写真展」では、この「表紙」のイメージのクリアファイルが作られた。
この本の表紙と同じように、表と裏と、それぞれ違う写真が使われたクリアファイル。3種類作っていたが、まっさきに売り切れてしまったのが、このスイーツのデザインだったそうだ。
ちなみに、今回の装丁をするにあたり、名久井さんにお願いしていたことがある。
続編を作るときに、ちゃんとシリーズになるような、変化が楽しめるような形にしてほしいのです、と。
このデザインを見ていると、第二弾がどうなるか、すでにワクワクだ。次はどの写真を使って、どんな雰囲気になるんだろう!?
言葉は要らない
さて、本文には、サラッと挟まっているカラーの写真ページがある。サラッとさりげなーく挟まっているので、特に気に留めてる人はいないかもしれないが、実は、これもなかなか頭を悩ませた。
写真ページは、本文のどこかに入れたい。それは、最初から思っていたこと。
しかし、写真をどうレイアウトするか?
本のサイズは縦型。でも幡野さんが撮っている写真はほとんど横位置。
真ん中に横位置の写真を入れたら、上下に、空白部分が生まれる。であれば、そこに何かしらの言葉を添えるといいのか。添えるならどういう言葉を……。
幡野さんに相談したところ、写真にポエムみたいな言葉がつくことがあるけれど、それはしたくない(わかります!)。シンプルに写真の説明的なキャプションをつけるならできるとのこと(なるほど!)。
そこで、名久井さんと私は、原宿のカフェで落ち合うことにした。カフェオレ飲みながら話し始めると、論点は、はたして写真に言葉は要るだろうかという根本的な話に。
そもそも「カバー」に、なぜあの写真を使ったか。そこに立ち戻る。
理由は「さりげないから」だ。
意味の強い写真は、急に色褪せることがある。その写真が、一元的な意味しか持っていないように見えることがある。
そして何より――。
幡野さんも、個展会場でのあいさつ文で、書いていた、
「写真は添えられる言葉で印象がかわる、
焼肉だってタレで印象はかわるのだ。」
この考え方にたどり着いたのである!
もちろん、このときは、幡野さんのこの言葉は知らなかったけれど…。
本書は人生相談として、重い話が続く。
連載のときは、1週間に1回分読むというペースだけど、本で読み始めると、延々と他人の人生相談を読むことになる。なかなか重いものも多い。これって、結構な”思考スパイラル”に入ってしまうことがあるんじゃないかな。
もちろん、そのスパイラルも楽しいと思うけど、そんな読書の合間に、幡野さんが撮った写真が出てくると、ふっと自分を取り戻せる時間が持てるような気がするよね。
そういう存在感であるべき写真に、言葉って、要るんだっけ。
幡野さんの文章から何を感じるかは人それぞれ。写真から何を感じるかも人それぞれ。
この本は、人生相談本だけど、「思考の時間をつくってくれる本」だと思うんだな。
写真は、思考を後押しして、思考の時間を豊かにしてくれる存在だと思うんだな。
そう思うと、写真についた言葉って、思考の邪魔をしちゃうんじゃないのかな。
このとき、名久井さんと私の前には、幡野さんからいただいた写真を出力した紙があった。
写真を見ているだけで、日常の尊さや、自然の光の絶対的な美しさがあるんだとシンプルに伝わってくる。
「ほら、写真を、ありのままで見る方が楽しいよね」。
それに、同じ写真でも、見る時の気持ちによって感じることは違う。
やっぱり、写真にコメントが付くと意味を持ちすぎてしまうんじゃないかな。
――これが、奇しくも、幡野さんが考えていたこととまったく重なっていたというわけだ。
そう、個展会場のあいさつ文のあの言葉。
「写真は添えられる言葉で印象がかわる、
焼肉だってタレで印象はかわるのだ。」
ぞぞぞっとするのである。名久井さんおそるべし。
そして名久井さんと私は、がっつり固い握手をした(実際はしてないけど、気持ちとしては、握手どころか、ぎゅっとハグをしていた)。
言葉では細部を提示し、写真で世界を見せてくれる…なんてこと、幡野さんにしかできない!
もはや、悩みは消えていた。
最初にもやっと思っていたことが、ちゃんと言葉になっていた。
「言葉と写真のバランスを、この本で出せるといいな」。
だから。
「幡野広志のことばと写真展」というタイトルのイベントができて、しかも、その世界観に、本の装丁のイメージとリンクさせていただいたとき、どれほど嬉しかったか…。
はじまりは一冊の本だ。二次元の、印刷されたアナログな世界。
それが、こんなふうに有機的に動き出すなんて、想像もしていなかった。
おまけ:実は「今週の幡野さん」も入る予定だった!
ところで、ケイクスの連載を読んでいる人の中には、毎回の記事の後についている「今週の幡野さん」を読むのを楽しみにしている人もいるのではないだろうか?
私もその一人だ。なんでもないようなことを書いた、あの短い文章が、どうしてこんなに楽しくて心地いいんだろうと、毎回あそこにたどり着くのを楽しみにしている。山を登った後、頂上に座って、コーヒー飲む感じ!(私は登山が苦手ですが)
実は、一番最初のゲラ(レイアウトどおりに出力されたものを、ゲラといいます)では、「今週の幡野さん」も入っていた。
ところが、入れないことに決まった。
これは、幡野さんの希望だった。
本文の間に入る写真ページが、「ホッとする役割」は果たしてくれるし、何よりも、幡野さんは「持ちやすくて、やわらかい、分厚過ぎない本にしたい」という希望を持っていた。
「今週の幡野さん」だけで1ページ占める。のであれば、そのページを全部外して、その分、本に収録する人生相談の数を増やしたい。
そんなわけで、この「今週の幡野さん」ページは、本においては幻となってしまったのである。
と、こんなふうに『なんで僕に聞くんだろう。』の「本」ができてきた…という、ちょっとした裏話でした。
(担当編集者 袖山満一子)
なんで僕に聞くんだろう。
ガンになった写真家に、なぜかみんな、人生相談をした。
「クリエイターと読者をつなぐサイトcakesで史上もっとも読まれた連載」
「1000万人が読んだ人気連載」が待望の書籍化!
「家庭のある人の子どもを産みたい」「親の期待とは違う道を歩きたい」「いじめを苦に死にたがる娘の力になりたい」「ガンになった父になんて声をかけたらいかわからない」「自殺したい」「虐待してしまう」「末期がんになった」「お金を使うことに罪悪感がある」「どうして勉強しないといQAけないの?」「風俗嬢に恋をした」「息子が不登校になった」「毒親に育てられた」「人から妬まれる」「売春がやめられない」「精神疾患がバレるのが怖い」「兄を殺した犯人を許せない」……
――恋の悩み、病気の悩み、人生の悩み。どんな悩みを抱える人でも、きっと背中を押してもらえる。
人生相談を通して「幡野さん」から届く言葉は、今を生きるすべての人に刺さる”いのちのメッセージ”だ。