生物はいつ、どこで、どのように誕生したのか? 自分の祖先をずっとさかのぼっていくと、一体どこに行き着くのか? そんな想像をしたことのある人は、きっと多いことでしょう。地球微生物学者、高井研さんの『生命はなぜ生まれたのか』は、生物学、そして地質学の両面から「生命の起源」に迫った、スリルあふれるサイエンス本。本書の中から一部をご紹介します。
* * *
どこから栄養をとっているのか?
そして東太平洋で深海熱水活動域が発見されて10年も経たないうちに、新たな深海熱水活動域を求めて、西太平洋の背弧拡大軸で調査が行われ始めた。
パプアニューギニアの北側にあるマヌス海盆では1986年、トンガやサモアの西側に広がる北フィージー海盆やラウ海盆でも1986年、マリアナ諸島西側のマリアナトラフでは1987年に深海熱水活動域が発見された。
同じころ、日本では、有人潜水艇「しんかい2000」が完成し、深海の調査に運用されるようになっていた。この「しんかい2000」を使って、沖縄諸島の北西に広がる沖縄トラフにおいて日本で初めての高温の深海熱水活動域、伊是名海穴フィールドが1988年に見つかった。
西太平洋における深海熱水活動の研究は、コーリスらの東太平洋での最初の深海熱水活動の発見以来、最も大きな研究の原動力になっていた熱水生物の多様性に関して大きなインパクトを与えた。コーリスらが発見した奇妙な生物達は、当時、生物学上の一つの大発見であったのだ。
例えばジャイアントチューブワーム。このチューブワーム、ゴカイの仲間ということになっているが、ゴカイには口も肛門もあるのに、このチューブワームには口も肛門もない。ではどこから3メートルを超える大物になるぐらいの栄養を取っているのか。
他にもいる奇妙な生物たち
チューブワームの栄養体の中にはグズグズの組織(バクテリオサイトと呼ばれる)があって、そのグズグズの組織の細胞の中では、ガンマプロテオバクテリアというバクテリアの一群に属する硫黄酸化独立栄養細菌がみっしりと飼育されている。
チューブワームの鰓から取り込まれた硫化水素と分子状酸素と二酸化炭素(硫化水素は管の尻のほうから取り込む説が有力である)を栄養体の中の硫黄酸化独立栄養細菌に運搬してやると、細菌は硫化水素を分子状酸素(以下、単に酸素と呼ぶ)で元素硫黄や硫酸に酸化してエネルギー(アデノシン三リン酸〈ATP〉や還元型ニコチン酸アミドアデニンジヌクレオチド〈NADH〉などの化学エネルギー)を獲得しつつ、そのエネルギーを使い有機物をどんどん合成するのだ。
細菌が一生懸命作った有機物を、「年貢を納めよ」というように搾取すれば、口がなくとも3メートルぐらいには成長できるという仕組みである。
東太平洋の深海熱水活動域では、このジャイアントチューブワーム、シロウリガイ、シンカイヒバリガイなどが高密度に生息している場合が多かった。それに加え、ポンペイワームと呼ばれるゴカイの仲間及びその親戚が優占種であることがわかっていた。大西洋での熱水活動域が発見されるにつれ、これらの東太平洋の深海熱水でブイブイ言わせていた生物はほとんどいないことがわかった。
そして西太平洋には、東太平洋では見かけないタニシのような巻貝、アルビンガイ、アルビンガイと少し形態の異なるイフレメリア(和名:ヨモツヘグイニナ)、沖縄トラフの深海熱水活動域で幅をきかしているゴエモンコシオリエビが優占していることがわかっていった。
もちろんこれらの生物も、チューブワームと同様に、熱水に含まれる還元化学エネルギーを基に共生細菌に栄養を作らせ、その栄養を利用することで生育する化学合成生物である。
このように、東太平洋から始まる大西洋、西太平洋に至る様々な地域の深海熱水活動域の探索は、熱水活動に依存した化学合成生物群集の多様性や生物地理を考える上で極めて重要な手がかりを与えてくれることがわかってきた。
そして、この地球規模での熱水活動域での化学合成生物群集の多様性や生物地理を理解する上で、どうしても避けて通れない最後の大きな空白があった。インド洋だ。