長年連れ添った最愛の妻が、定年した矢先に、がんで逝った――大きな悲しみの中、独り暮らしを始めることになった元大学教授・西田先生が、孤独な生活を時にコミカルに、時にしんみりと綴り大きな反響を呼んだエッセイ『70歳、はじめての男独り暮らし』(2017年)。その刊行から、はや3年。三回忌を迎え、断捨離を進めたり、新しい趣味に目覚めたり、など心や環境の変容を綴った待望の第2作『72歳、妻を亡くして三年目』より「はじめに」をお届けします。
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はじめに
玄関先の梅が綺麗なピンクの花をしっかりと咲かせ、帰宅した時に心を和ますような甘い香りを送ってくれました。
生け垣のアカメは鮮やかな赤い葉を見せ、対照的にユキヤナギは真っ白な花を咲かせました。赤を背景に小さな点のような白い花という組み合わせは、とても美しいものです。
この素晴らしい光景は精々一週間ほどしか楽しめませんが、私が大好きな光景の一つです。
妻が逝ってから四度目の春を迎えました。
独りになって最初の春は、庭の植木を楽しむ気持ちの余裕などは全くありませんでした。
二年目の春は不思議なことに、妻がいなくなったことを悟り悲しむかのように、一斉に庭の木々の勢いが衰えました。
妻が選んで植えたお気に入りのミモザの木は大きく育ち、妻が最後に見た時には二階にまで届く高さに生長し、美しい黄色い花をいっぱいに咲かせていました。
しかし、昨年はなぜか上半分が枯れ、とうとう黄色い花を見ることが出来ませんでした。植木屋さんにお願いして、手当てをしていただき今年は少し黄色い花が戻ってきました。
来年にはもっと沢山の鮮やかで綺麗な花を咲かせてくれることを祈っています。
昨年の冬は例年以上にとても厳しい寒さでした。
四月になると今度は大変暖かい、あるいは暑いと言っても良いような春を迎えています。
春になって暖かくなってくると、若葉が一斉に出てきます。
私は、春の息吹を感じさせる若葉が大好きです。特に、朝日を受けた若葉の新緑は、心に沁しみ込むようで本当に素晴らしいものです。
若葉の中に散らばっているドウダンツツジの、小さな釣り鐘状の真っ白な花がとても爽やかです。
梅の木、紅葉もみじの木、ドウダンツツジなどなど庭中の木々が、これでもかというほどに鮮やかな緑の若葉を茂らせてくれています。
出かける時などしばらく立ち止まって庭を眺めて目を楽しませています。
鮮やかな新緑を眺め、安心すると同時に、季節が巡れば枯れ木のような枝から再び新緑の若葉が蘇生するように、妻が戻ってきてくれたらなと思いますが、これだけは叶わぬ願いです。
私の人生を、青春、朱夏、白秋そして玄冬と区別して考えますと、いわゆる働き盛りの朱夏の時代は、現代の感覚では理解出来ない、とんでもない生活を送る日々でした。
朝早くから大学に出かけ、診療や手術を行い、さらに深夜まで研究室で実験を重ね、欧米の研究者に認めてもらえるようにと必死になって英語で論文を発表してきました。
今振り返ると、家事や育児は全て前妻に任せ、自分はただ診療、手術と研究だけをするという生活でした。そのつけは、離縁したこと、子供たちと疎遠になったことなど色々な形で私の人生に深く投影されています。
ただ有り難いことに、人生の収穫期の白秋の時代に、同じ眼科医である妻と再婚することが出来ました。
何を相談しても「やってごらんなさいよ」の一言で、どんな時でも背中を押してくれました。うまくいったこともありましたし、失敗したこともありました。
しかし、とにかく妻が背中を押してくれたことで、何をするにも思い切って出来たものでした。有り難いことでした。
医学部の教授職を六十三歳で定年退任し、しばらく理事・副学長として大学の運営にも関わりましたが、六十六歳の時に完全に公職から退きました。
いよいよ夫婦二人で、豊かになったこの国で、ゆっくりと残された人生を共に楽しもう。
そう考えていた矢先。
私は妻に先立たれました。
妻が先立つ、という全く予期していなかった事態に直面すると、私にとって良き妻であっただけにかえってその喪失感は大きなものがありました。
私たち二人は、家のことや職場のことなど小さな出来事でも、何でもよく話をしていました。妻は、私が診療や研究に専念出来るようにと、一切の家事を自分でこなして私には何もさせませんでした。
このように、ある意味甘やかされてきた私が、妻に先立たれ独り暮らしを始めねばならなくなりました。
そこで、初めてする家事の数々の失敗や工夫と、妻が逝ってからの刻一刻と変わる心の変化を綴り『70歳、はじめての男独り暮らし おまけ人生も、また楽し』と題して、上梓させていただきました。
沢山の読者の皆様からお便りを頂戴しました。
何よりも私と同じように、奥様に先立たれた方がこれほど沢山おられることに驚きました。
厚生労働省が発表する二〇一七年の国勢調査では、男性の平均寿命が八十歳なのに対して女性は八十七歳です。
平均的には、女性の方が少なくとも七歳長生きをされるはずです。
私自身も妻が先立つまでは、自分が先に死ぬものとばかり考えていました。
まさか妻が先立つとは……というのが実感です。
その意味でも、妻に先立たれて初めて家事を自分でせねばならなくなった時の男の狼狽は大変なものです。
沢山の皆様方から頂戴したお便りは、私にとって素晴らしい励ましでもありました。
また本を上梓することで、年に一度の年賀状のやりとりだけだった昔の職場での同僚やお付き合いのあった方から「読んだよ」というご連絡をいただきました。
何人かの方とは数十年ぶりにお目にかかることが出来、「お互いに歳をとったよね」などと言いながら、若い頃の思い出やその後辿ってきた互いの人生を語ることが出来ました。
人生の最終楽章で、本を通じて素晴らしい出会いを得ることが出来ました。
妻が亡くなって一年半ばかりの間の生活の変化と心の変遷を先の本では述べました。
二年経って三回忌の法要を済ませた頃から、再び心は大きく揺らいできています。
心の中の悲しみや寂しさとは関係なく、いやでも生きていかねばなりません。妻が整えてくれていた生活基盤から脱して、自身が便利に生活出来るように私なりの家を作り上げていく過程でもあります。
断捨離を通じて、様々なものを整理してきました。
最初は何をして良いのか分かりませんでしたので、とにかく妻のしていたとおりに行うということの毎日でした。
しかし、家の中の様々なことを自分で管理するためには、妻のやり方から脱する必要があります。
引き出しを開けると、私には必要ないなと感じるものが沢山ありましたが、何かの機会に必要になるかもしれないと断捨離することが出来ませんでした。
三年以上生活してみますと、一年を通じて必要なものも大体把握出来るようになってきます。基本的に、二年間一度も手に触れなかったものは捨てても良いのだと理解出来るようになりました。
そしてそのうち、様々な思い出の品や妻が使っていた日用品などのものを通じてではなく、心の中に妻が復活してきていると感じるようになりました。
その頃からでしょうか。なかなか捨てることの出来なかった妻の遺品を、思い切って捨てることが出来るようになってきました。
同時に、徐々にですが私なりのスタイルの家になってきました。
このように、三回忌が一つの大きな節目となり、いよいよ悲しみや寂しさを乗り越えて、自分自身の心を癒やし、残りの人生を独りで楽しく生きていくためにどのように生活していけば良いかが少し分かってきました。
古(いにしえ)より言われているとおり、「日日薬(ひにちぐすり)」は極めて有効な薬のようです。
そこで、三回忌が過ぎてから、日日薬がどのように効いてくるのかを中心に、『72歳、妻を亡くして三年目 おまけ人生の処方箋』を綴らせていただきました。
前著と共に、少しでも同じような境遇におられる皆様方のお役に立てばと祈っています。
西田輝夫
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